インドネシア政府の決断から考える

先日行われたインドネシアの高速鉄道の入札結果は、とても興味深いものでした。

ここ数年、首都ジャカルタからバンドゥン(インドネシア第三の都市)まで新幹線のような高速鉄道を敷くという計画がもちあがり、日本と中国が受注を競っていました。

世界一の技術と安全性を売り込む日本にたいして、コストの安さと工期の短さを訴え、「中国の高速鉄道なら、ジョコ大統領の任期中に完成しますよ!」とアピールする中国。

この二ヵ国はインドネシアにとって超重要な経済関係国。どちらが勝っても、負けた国との関係が悪化するのでは? と懸念されるほどの激しい受注競争でした。


最初は日本が優勢だったらしいけど、途中で日本が取り込んでいた商業大臣が辞任、中国側が猛追すると、

日本も建設費用のための円借款( ODA )の返済条件を大幅に緩和するなど、最後までデッドヒートが続いており、その結果には多くの人が注目していたんです。


ところが、この入札・・・・あっと驚く結末を迎えました。

インドネシア政府が出した結論はなんと、


高速鉄道の建設中止!


えーーー、なんじゃそれ!?

と誰もが思ったはず。


でも私としてはコレ、卓越したバランス感覚に基づいたすばらしい判断だと思えたし、かつ、これからの日本の「技術輸出」にたいしても、極めて大きな示唆が与えられたと思うんです。


★★★


こんな結果になった理由としては、

・中国と日本のどちらを選んでも、選ばれなかった国との関係が悪化する。インドネシア政府はそれを避けたかった。


・ジョコ大統領は最初から「政府の資金を投入せず、民間資金で建設、運営できる高速鉄道を作りたい」と言っていたが、どちらの案もその条件を満たしてなかった。


・150キロ先のバンドゥンまでなら、普通の特急(日本の特急レベル?)で十分と判断された。700キロ以上離れたスラバヤ(第二の都市)まで延長できるのは、まだ相当先だし。

などと報じられています。


まあだいたいそんなところだとは思うのですが、今回のインドネシア政府の(というかジョコ大統領の)判断には、それ以上に示唆深いものを感じます。

というのも、
日本を含めこれまでアジアで高度経済成長を経験した国のインフラ開発といえば、「巨額の税金(政府予算)をつぎ込み、「無駄すぎない?」と思えるほどの大規模な投資をする」、というのが基本だったからです。


日本の新幹線は 1964年の東京オリンピックにあわせて造られましたが、当時の日本には、高速移動にたいする今ほどのニーズはありませんでした。

お金持ちは飛行機に乗ればいいし、庶民は特急や夜行列車で十分という時代だったんです。

でも、それから 50年たった今の東海道新幹線の乗車率の高さを見れば、「新幹線が今の日本を作った」と言えるほどの活躍振りであることも事実。

だから「建設当初は無駄と思えるような過大なインフラも、半世紀後には必須の社会インフラになる」というのが、日本など“昔の高度成長国”が持っている感覚なんです。


★★★


自らの経験から得たこれらの信念に基づき、これまで日本は、舗装道路さえまだ少なく国中に砂埃が舞ってるような途上国にたいしても多額の資金援助をし、そのお金で過大とも思える鉄道、道路、港湾やダム、橋などの建設を促してきました。

「大丈夫。今は誰も使わないような巨大な建造物を作るのは、お金の無駄に思えるかもしれません。しかし、決してそうではありません。将来、「あのとき、これを作っておいてよかった!」ときっと思いますよ!」

って言ってきたわけですね。

で、大半の途上国はその勧めに従い、建設時点ではどうみても過大と思える投資をしてきました。お金はないけど、日本がそれも貸してくれるというのだから。


ところが、ジョコ大統領の考えは違いました。

「身の丈にあった投資でいい。大きな借金を背負ってまで、過大な投資をする必要はない。それに、できるかぎり民間の資金を活用すべきだ」と考えたのです。


実はこのジャカルタ・バンドゥンを走っている特急電車に、私は今年の 3月に乗っています。
→ 若者を煽りにバンドゥンまで行ってきた! (写真あり)

150キロを 3時間半というのは、新幹線など高速鉄道に比べればかなり遅いです。“のぞみ”なら加減速や途中駅での時間を考えても 1時間以内で到着できるでしょう。


でもね、あたしも「ここには新幹線は作らない。普通の特急でいい」というジョコ大統領の考えに賛成です。

だってジャカルタもバンドゥンも、街中の渋滞が半端ないひどさなんです。

ジャカルタの自宅やホテルから駅までは、駅から数キロの都心に住んでいる人でも(確実に間に合う時刻に駅に着くには)1時間以上前に家を出ないといけません。

加えてバンドゥン側もすごい渋滞なので、駅から目的地までに延々と車の列が続き、数キロの距離に1時間かかることも珍しくありません。

街中がこんな状態なのに、「高速鉄道だけ時速 500キロで走らせることに何の意味があるのか?」というのは、たった 1回現地に行ったことあるだけの私でも思います。


それよりむしろ、渋滞に左右されない市街地公共交通(地下鉄やバンコクのような高架鉄道、首都高やバイパスのような高速道路)を作る方が優先順位が高いし、国民の満足度や経済効果も高そう。

つまり、ドア2ドアの所要時間を短くするには、鉄道の高速化よりラストワンマイルの改善のほうが効果ありそうなんです。


加えて、今は渋滞すると 5時間かかることもあると言われる空港と市街地をつなぐ都市鉄道を作れば、(バンドゥンまで開業した後に延長して敷設という計画もあった第二の都市)スラバヤまでなんて飛行機で十分だし、国際ビジネス客の利便性も圧倒的に高くなります。

普通の特急電車が新幹線の半額の予算で実現できるなら、余った資金をより日常的に使われる、都市部の交通インフラ整備に使った方が良い。

インドネシア政府がそう思ったとしたら、それはまったくもってマトモな判断でした。


★★★


以前も書いたことがあるのですが、日本が高度成長した時代と今では「インフラ」の意味が変わってきています。

重厚長大産業を立ち上げることが経済成長の王道だった昔は、幹線道路や港湾、長距離高速鉄道など大型の建造型社会インフラへの投資が何より重要でした。

それらは「個人のためのインフラ」ではなく、「産業のため、大企業のためのインフラ」です。

しかし今は、それと同じくらい都市交通や情報通信網も大事です。都市に優秀な若者や投資家が集まり、使いやすい情報通信網を利用しての起業が促進されれば、そこから経済発展につなげることも可能だからです。


一定の予算しかないとき、
1)新幹線を敷設
2)特急電車を敷設 + 街中に完全無料 wifi を設置
というふたつの投資オプションがある時代なら、2)を選ぶという判断は、決しておかしなものではないのです。( wifi は例です)


★★★


また、社会インフラ整備のためのファイナンスの方法についても、ジョコ大統領は日本より遙かに先進的な考えを持っています。

日本には「インフラ投資は、国家予算で行うもの」という田中角栄思想が未だに染みついています。

しかし自らも起業家出身のジョコ大統領は、「大規模なインフラ投資だって、民間ファイナンスで実現する方法があるはず。その道を探すべき」と考えています。


これは、宇宙開発まで民間が始めているアメリカとよく似た考え方であり、

「何がなんでも国の予算を爆投入してやるのだ!!!」などと考えているのは、日本や中国など極めて国家優先的な(経済体制として古い)国の考え方になりつつあるのです。


★★★


日本政府は今後、原子力発電所や新幹線(高速鉄道)、衛星打ち上げ事業や上下水道システムなど、様々な巨大システムを海外に販売したいと考えています。

こういったインフラの輸出事業が、新たな日本の基幹産業になればと期待しているのでしょう。


しかし、古い時代に経済発展を成し遂げた日本や韓国、そして、「国作りは当然に国家の仕事」と考えている共産国(中国、ベトナムやビルマなど)はともかく、

普通の資本主義国家であるインドネシアを含め、これから経済発展を始める国の考えは、

・宇宙開発が民間資金でできる時代になった。社会インフラへの投資も、税金ではなく民間資金で実現する方法を探るべきである。


・道路やダムなど、古いタイプのインフラだけに巨額の資金を投入するより、情報通信など新しいタイプのインフラにも予算を配分したい。


・そのためには、コスパのいい「こなれた技術」を導入することもひとつの選択肢になる。

と変わっていく可能性があります。

つまりこれから発展を始めるアジア、アフリカ、南米の国では、日本式の開発経済学の常識とは異なるスタイルで、経済発展を目指し始めるかもしれないってことです。


そうなれば、
・「民間が大規模なインフラ投資を主導するなんて聞いたこともないぜ!」的な霞ヶ関が主導し、

・未だに「新幹線に求められてるのは、もっと早く走ることだ。だからリニア作るぜ! 新幹線の中の wifi を誰にでも使いやすくしろって? そんなこと全く重要じゃない。そんなの“インフラ”じゃないだろ?」的な感覚の日本企業が、

技術的には世界最先端だけど、建設費が巨額な日本製品を一生懸命売り込んでも、今後の国際社会におけるインフラ輸出競争においては、あんまり有利な立場にはたてないかもしれません。


今回のインドネシアの決断は、たんに日本と中国のどちらも怒らせたくなかった、という政治的な配慮だけからでてきたものではなく(もちろんそれもあったでしょうが)、

20世紀の開発経済学と21世紀の開発経済学の転換点となる、最初の一歩になのかもと思った次第です。


ビバ! ジョコ大統領!


そんじゃーね



以前にも似たような話を書いてますね。

<関連エントリ>
経済成長に必要なインフラが変わる!
インドのバレキさん
リバース・イノベーションについてようやく理解できた!
世界を歩くと、ほんとにいろいろ考える

追記)9月29日
中国側が「政府の財政負担を伴わず、民間企業体で建設、運営できる案」を提案し、日本は脱落。インドネシア政府は中国案を採択と報道されています。→ NHK NEWS

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