実証志向の必要性

サイエンスの世界で「まだ全然わかってないこと」ことってのは、二つあります。人間の脳と宇宙です。ガンだって克服できていないわけですから、科学が実効的でない分野はいろいろありますが、まだまだ「ブラックホール」状態なのは、「脳」そして「宇宙」です。

なんでこの二つがわかんないか、というと「実験ができないから」ですね。それ以外のたいていのことは実験ができる。つまり「わかる」というのは「実証できる」ということなんです。数式で理解できても、それを実際に確かめられないと「でも、結局はわかんないでしょ」ということになる。

人間の体にもまだまだわかんないことは多いですが、医療行為の他、似た動物を使った実験が可能。内臓系ならサルと人間が一緒、とは言わないが、似てるとかここが違うとか言える。でも、サルの脳をいじくっても人間の脳に関する実験はできない。サルはコミニケーションできないし、だからフィードバックできない。宇宙もそうですね。ビーカーの中に宇宙をリプリケートできないから、実験できない。

だから、こういうことを研究している人と言うのは、ひたすら仮説を立てる。式を作る。んで、「きっとこういうことだ」と言う。「この式が成り立つ“はずだ”。」の世界です。それを実験するのは難しい。まだね。

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たとえば、無重力状態。無重力でこーゆーことしたらどーなるか、ってやつね。実験方法は二つある。ひとつは、実際にロケットをとばすこと。宇宙ロケットの中でオタマジャクシ育てるとか、変な実験やってますよね、いつも。ああいうのはロケットとばさないと実験できない。反対に言えば、ロケットとばせば実験できる。「宇宙がどうなってんの?」ってのは、ロケットとばしても実験できない。大変。

ちなみに、無重力状態は別の方法でも作ることができる。どっかの地中の深いところで、下向きに(地球の真ん中にむけて)すごい速度で何かを動かせば(ちっちゃなロケットを地球の真ん中に向けて、地中に掘った穴の中で発射させるイメージ)、すごい短い時間ですが無重力状態が再現できます。化学反応とかの実験なら、みじかーい時間でも無重力状態が作れたらそれでいいので、こういう方法もあります。すげー大変な実験だが、ロケットとばすのよりは簡単?そうだ。

というわけで、重力の研究でも、実証にはすげーお金と時間がかかる。宇宙なんて、当面(千年くらい?)実験できないだろう。

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今日ちょっと思ったのは、「日本でやらなくちゃいけない学問」ってのがあるな、ってこと。たとえばね、戦後60年で日本で一番役にたった学問は「工学」でしょう。「技術大国ニッポン」ってのは、「工学ニッポン」と同じ意味だ。

一方で、「理学」とか、別に日本でやらなくてもいいと思う。こういうのは(人口の多い)中国か、(お金の余ってる)米国かに任せておけばいいんでないの?と、勝手なことを考えた。日本人で理学がやりたい人は、アメリカと中国で大学行けばいいじゃん、と。(そんな身勝手な・・・)

薬学も別に日本でなくていいよね。薬学、化学ってのは、どこの国の研究者がやっても同じだろ、と思うのよ。一方で、たとえば医学は日本でやる意味がある。だって「花粉症」の治療方法とか「成人病」の予防方法とか・・・中国ではやってくれないでしょう、まだ・・

文系的学問でいうとですね。宗教、哲学云々は、世界で一緒にやればいいじゃん。歴史は微妙だな。問題多そう・・。文学、芸術はどーでもいい。これって学問なのか?って気がするから。

法学、政治学は、それぞれの国でやった方がいいね。制度論だし、テクニカルな学問だ。「テクニカルな学問」って、それ自体、矛盾した言葉だな。学問じゃないんじゃない?こんなの。

でね、本題。(「えっ?ここから本題??」→「はい!」)

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経済学の出番じゃないの?日本は。って思うのさ、最近。今までの日本は工学の時代だったんだけど、これからの学問は経済学と社会学かな、と。この二つは日本でやらないとダメでしょ、と。なんでかっつーと、日本って特殊な社会に入っていくからね。少子で高齢化なのに「頑張る」という。

経済学は「昔けっこう流行ってた」。世界の他の国と同様に日本も「マル経」に翻弄され、それから「開発経済学」がまだ体系化されてない時代に、それをもって復興を遂げた。(日本は開発経済学の実証舞台となったとも言える。)なんだけど、その後の経済学、つまり、高度成長の後の成熟経済、資本主義社会の中では、経済学の先端は常に米国にある。日本で経済学勉強してて「先端」がやりたければ、米国的な課題を研究したりする。

ノーベル経済学賞って日本はまだひとつもないよね、確か。ノーベル賞がマーケティングの賜である、という論を半分信じるにしても、サイエンス分野では、日本だってそれなりの実績がでてきてるんだから、言い訳になんないでしょ。

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なーんで、日本の経済学ってイマイチか。ここで、ブログの最初のところに戻るわけです。最初のセクションで今日書きました。「脳と宇宙が解明されないのは、実験できないからだ。」と。同じです。日本の経済学がイマサンなのは、実証的な姿勢の欠如に原因がある、とちきりんは思ってる。

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アメリカの経済学者って、自分が考えた理論で(自分が生きてるうちに)大もうけしたりしている。これって、まさに「実証実験」じゃん。大統領の顧問とか政策シンクタンクが発表した理論に基づいて、財政や金融の政策も採られたりする。これも実証実験と見える。日本って、そういうのがない気がしていた。そう、今まさに竹中さんがやっているのが、ある意味で「日本における経済学の実証実験」の最初では?と。

開発経済学の時代は、実証が先で理論が後だから、つまり「過去の事象の分析」。これはまあ、学問の一つの形です。過去を調べて「何が起こってたねん」ってのを後付で体系化する。しかーし、過去の分析の意義ってのは、そこから見つけたルールの再現性にあるはずで、だったら、それを実証実験しないと、やっぱ意味ねーだろ、と思うちきりんです。
まあ、グローバルにみれば、非常に役立ってるみたいですけどね。日本の「復興経済モデル」ってのは。韓国や台湾なんてまさにそれをやってる(た)わけだから。

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でね、日本はこれから世界のどの地域にも存在しない形での経済成長や社会成熟化を迎えるわけです。「仮説」をたて(=理論を構築し=モデルを作り)、それを「実証実験し」(=実際の政策として採用し)、フィードバックしていく(選挙)というループを回さないと、誰も答えを提示してくれたりはしないし、右往左往する社会になってしまう、と思うわけだ。

社会学も同じ。ニートとかフリーターとか、かなーりユニークな状況になりつつある。対処療法的な対応とか、情緒的な討論(番組!)ではなく、科学的な実証に基づいて進むべき道を探らないと、大変なんじゃーないの?って気がする。日本がやらないと、これらについては、他の国で進化してその恩恵を受けられる、というようにはならない。

社会学も経済学も「先端である」という理由で米国的な課題を研究しててもしゃーないじゃん、と思うわけだ。その実証は日本ではできない、もしくは、意味無いんだから。

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「実験ってのは大変なんだ。そんな簡単に言うなよ!」というのは、よくわかる。しかーし、サイエンティストがやってるだけの努力を、経済学者や社会学者が本当にやっているか?ってのに、ちょっと疑問符を持っているちきりんです。何十秒かの無重力状態を作るために、どっかの荒野に深〜い穴掘って、その中でロケット発射して・・・っていうレベルの実証努力を、本当にやっているのか?と。(いや、やってるかもしれません。ちきりんが知らないだけかもしれんのだが・・)

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田中角栄より後の日本の社会と経済について、きちんとしたモデルって解明・説明されているんだろうか?断片的な論文は時々見るけど、「有効な仮説モデル」ができあがってる気がしない。とりあえず、この辺りから、頭がよくて根気のある人が頑張ってくれることに期待したいな。

相変わらず自分はやる気がなく、他人様に期待するだけのちきりんではありますが・・・


ではまた明日!