細胞再生=生命

とある高名な学者の方が雑誌に「生命は何か?」と書いておられました。曰く「一目見た瞬間に、私たちはそれが“生きているかどうか”理解できます。蟻を見れば“生きている”とわかるし、消しゴムを見れば“生きていない”とわかる。なぜ、私たちは瞬時に“生命”を見分けることができるのでしょう?」と。

こういう洞察に溢れたコメントを読むと一部の脳みそが感動で震えるよね。

確かにそーだ。


なんで私たちは一目で“生命”と“非生命”を見分けることができるのか?

★★★

同じ記事で「生命とは精密な再生装置である」と説明されてました。人間のすべての細胞は一定期間で死亡する。しかし、常に同じ機能を持つ細胞が再生されている。肌の細胞が死ねば肌の細胞が、肝臓の細胞が死ねば肝臓の細胞が再生されている。

死ぬ細胞より発生する細胞の方が多い(スピードが速い)と成長する。反対に、発生する細胞より死ぬ細胞が多くなると、体は衰える。再生が間に合わなくなるとその部分(臓器等)が死に、最終的には生物自体が死を迎える。


なーるほど。


年を取ると、幾らお手入れしても肌が艶を失いしわができる。細胞の再生が追いついてないってことですね。

★★★

この「細胞の再生」が何のために行われるのか、ってのが「生きる意味」なのかどーかは別の話として、この「細胞の再生」にこそ「エネルギーが必要」というのはよくわかる。

ちきりんも若い頃はめちゃくちゃ食べてたけど全く太らなかった。最近は食べ過ぎるとすぐ太る。昔は「太らない体質」などと思っていたが、それは大いなる誤解だった。あの頃、すべての摂取エネルギーは「細胞の再生」に使われていたということだ。

今はもう「成長している時期」ではないから、再生のためのエネルギーは不要だ。だから食べ過ぎるとすぐ太るんだろう。


その転換点はどこにあるのか?


体力的なことと脳力的なこと、感覚的なことでは転換点はかなり違うだろう。生物としての転換点はおそらく20代前半だと思う。生物的には、多分「子孫を生んだら終わり」なんじゃないかと思う。「生物としては生殖が唯一の生存意義」なんじゃないかな。

★★★

脳力的、感覚的な成長はもう少し続きそうだが、いずれにせよたいして長くはないと思う。先日書いたように、年を取って成長し続けるのは「人間」に関する洞察だけだ。



何が言いたいか、って?

自分でもよくわかりません。


ただ、なんつーか、巧くできてるよなあと思って。ちきりんがもし20代なら、ロシアでも大声で「まずいな〜!」とか言いながらもガンガン喰っていたと思う。

その上、戻ってから「あ〜まずい国だった!!」とかいいつつ焼き肉やらお好み焼きやらアイスやらを食べまくってると思う。それでも「再生」にエネルギーが消費され、たいして運動もしないのに太ったりしないのだろう。



まあ、なんつーか、運動量なんか関係ないってことです。生命ってのはそれ自体が細胞再生のためのエネルギー変換機構体であって、細胞再生機能が衰えればエネルギーは余剰になる。この仕組みから逃れられる人はいない。

「太るのは運動不足だから」とか「食べ過ぎだよ」とか言うでしょ。あれ、嘘だと思う。というか不正確だ。もしそうなら、若かろうと中年だろうと太る人の割合は同じだろ?と思いませんか?実際には年を取ったほうが太っている人は多くなる。なんでか。

それは、「太るのは、体が死に向かっているから」という理由だからだ。「細胞の再生スピードが極めて遅くなっている」から、食べ過ぎると太るのだ。若い頃は食べ過ぎても運動なんかしなくても太らなかった、という人は、ちきりんだけでなく沢山いるだろう。

既に死滅する細胞の方が多く、再生する細胞はそんなに多くありませんので、そんなに食べなくて良いですよ、ってことだ。

★★★

「脂っこいものを食べても胃がもたれないようにする胃腸薬」のCMが流れてますが、余りに不自然な商品だと思う。胃腸が「もう不要ですよ」というサインを出しているのに、そんな薬飲んでまで脂っこいもの食べる必要がどこにある?




なんで人は一目で生命と非生命を見分けられるのか?その答えは、記事の中には書いてなかった。いい問いだ。考えてみましょう。


(屁理屈を言えば、昆布は生きてるのか?とか結構わかりにくい。このあたりにヒントはありそうだ。)



んじゃね。