これまでの技術や機械は「人間の生活をより快適に、便利にするため」研究・開発されてきました。
このため生活の中で使えない技術や機械は、未熟な技術、未熟な機械だとして受け入れられませんでした。
反対にいえば、「その製品や技術が完成、成熟したかどうか」は、「生活の中で使えるレベルになったかどうか」によって決まっていたわけです。
でも今は「技術や機械が未熟なら、生活のほうをそれにあわせて変えればいいじゃないか」となりつつあります。
その典型例が自動掃除機のルンバ。
今、家具店に行くと、「下にルンバが入れる高さです」と表示されたソファやベッドが売られています。
いままでなら「掃除機に合わせて家具をデザインする」なんて考えられなかったでしょう。
従来の発想では、足の短いソファやベッドの下にも入れるよう、ルンバ側が薄型化を実現せねばならなかったのです。
実際、日本の掃除機メーカーは「ベッドやソファの下も掃除できます!」とアピールするため、ヘッドの薄型化を進めていました。
衣類と洗濯機の関係も同じです。
一昔前であれば、洋服デザイナーは素敵で着心地のよい洋服を作り、
洗濯機や洗剤メーカーのほうが「そんなおしゃれ着でも家で洗える機械や洗剤」を開発してきました。
でも最近は「家で洗えるビジネススーツ」まで現れています。
この
「おしゃれ着が洗える洗濯機の開発」と、
「洗濯機で洗えるスーツの開発」は、
一見、同じように思えますが、実は完全に逆方向の発想からできています。
前者では、消費者の好むおしゃれ着が最初に存在し、それに合わせて洗濯機が開発された。つまり、機械が人の選択に合わせたのに、
後者では、現時点での技術や機械にあわせて、人が着る服を変え始めたのです。
今後、普通のスーツが洗える洗濯機が登場しても、「別に今の洗濯機で洗えるスーツを着るからそれでいいよ」という人は一定数に上るでしょう。
食洗機も同じ。
普及率が欧米より低い理由のひとつとして、日本には熱湯をかけつづけるべきでない漆器のお椀や、機械では洗いにくい多彩な形状の和陶器が存在するからと言われます。
このため各メーカーはこれまで、日本の食器でもきれいに洗える食洗機の開発にしのぎを削ってきました。
でもね。もはや「食洗機でもきれいになる食器しか使わない」という家庭もでてきてると思うんです。
てか、「電子レンジに入れられない食器は買わない」って人なら、既にたくさんいますよね?
私は留学中にアメリカで食洗機を使っていましたが、食器なんて平皿とボウルとコップくらいしか存在しないんですよ、あの国には。
だから日本のように「食洗機では十分にきれいにならない」みたいな話はありません。
ここで「食洗機を日本の食器に合わせて進化させよう!」となるのか、それとも「使う食器のほうを変え、洋食器だけ使おう!」となるのか、それが転換点です。
そういえば私はある時から、カレーにジャガイモを入れなくなりました。ジャガイモは冷凍・解凍すると美味しくなくなるからで、
これは「電子レンジと家庭用冷凍庫」に合わせてレシピを変えた、ということを意味しています。
また、今後マンションをリフォームする際には、一切の段差を無くすでしょう。
高齢化に備えてのバリアフリー化というよりは、ルンバや「そのうち一家に一台になるロボット」が動きやすい家にしたいからです。
★★★
この「今の慣習に合う機械の開発を目指すべきか」、それとも「今ある技術や機械に合わせて、生活や慣習のほうを変えるべきか」という問題については、ビジネスの世界でもしばしば判断が問われます。
欧米の企業が IT システムが利用しやすいよう、従来の業務プロセスをどんどん変更していったのに対し、日本企業の多くは、自分達の仕事のやり方に合わせて IT を開発(カスタマイズ)しようとしました。
その結果、日本では IT を導入してもまったく生産性が上がらず、単に「無駄な作業を追認する摩訶不思議に複雑なシステムが、多額の費用を掛けて次々と構築される」事態が生じました。
IT投資による生産性向上の効果において、日本は欧米に大きく遅れをとったのです。
それがどれほどバカらしいコトであったか、笑い話のような実例を紹介しておきましょう。
ある企業では初めて全社員にメールアドレスを割り振ることになった際、メールアドレスを見て役職がわかるよう、アドレスに役職を入れ込むよう依頼してきました。
たとえば田中等さんが課長であったなら、そのメールアドレスは、Tanaka_Hitoshi_Kacho@gmail.com にしたいと言うのです。
田中さんが部長になったら?
もちろんメールアドレスも変更です。Tanaka_Hitoshi_Bucho@gmail.com に・・・
これではいくら IT 投資をしても、仕事の生産性が上がったりはしないでしょ。
笑ってる場合じゃありません。同じような事例はあちこちで見られます。
下記の「斜めに押せる電子印鑑」もそうだし、
こんな付加価値のない慣習を IT 化してどーするよ。。。ほんと生産性低いことを温存したがる国だな。。。 https://t.co/PCrLAy0fTO
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2017年7月24日
最近、荷物の再配達コストが社会問題化したため、個人宅用のパーソナル宅配ボックスが大人気なのですが、
それらにはボックスに荷物をいれたあと、配達伝票に「受領印」を押す機能まで装備されてます。
でもね、よく考えてみてください。 ホントにそんなモンいる?
「自分の家専用の受取ボックスなんだから、受領印とかいらんやん!」という方向ではなく、受領印を押すシステムが搭載された宅配ボックスをわざわざ開発する。
これこそが「今の慣習」をどこまでも大切にする(=一切変えたくない!)ジャパンクオリティ。
そんなのなくても、「宅配ボックスに荷物を入れた後、配達員がスマホで写真をとっておく」くらいでよくない? それで「確かに荷物を入れましたよ」っていう証拠は残せるじゃん。
しかもこの受領印機能。ちゃんと「判子は 1回の使用で 1回しか押せない」ようにプログラムされているらしい。
呆れるというかなんというか。。。そこまで煩雑な機能をつけるから商品の値段が高くなり、日本でしか売れない商品になるんだよね。
他にも製造業の世界では、今 Industry 4.0 と言われる動きが起こってるんですが、ここでも日本企業はふたたび同じ道を選ぼうとしてます。
日本のビジネス慣行ってホントに変わらない。
んが!
個人のほうは企業とは異なる選択をし始めた、ってのが最初に書いた話です。
家具屋に「ルンバが入れる高さのソファ」が目立つようになったのは、それを選ぶ消費者が増えているからでしょう。
パナソニックが自動掃除機の開発に出遅れたのは、「仏壇にぶつかっても、ろうそくや線香立てが倒れず、火事にならない自動掃除機の開発が必要」と考えていたかららしいのですが。
そんなことお構いなしに、ルンバは普及しました。
消費者側が「倒れたら火事になるようなモノは家の中に置かない」「そういう部屋にはルンバを使わない」と決めればそれで済む話だからです。
「技術は生活を便利にするためにある」と考える企業は、必死で人々の生活にあわせ、製品やサービスを開発しようとしています。
彼らは「消費者は、未熟な技術に合わせて生活を変えたりしない」と思い込んでいるから。
でも消費者のほうは既に、「大幅な生産性向上が期待できるなら、現時点で利用可能な技術のレベルに合わせ、生活のほうを変えるのも大ありだ」と考え始めています。
だから「完璧を期すまえに、どんどん市場に出してくるメーカー」の商品が、先に市場を奪ってしまえる。
「技術が未熟だからまだ商品化できない。もっと時間をかけて開発を進めよう!」となりがちな企業は、「生活者は機械のために生活習慣を変えたりはしない」という思い込みを、いちどゼロから見直してみはいかがでしょう?