“食べものが世界を駆け巡る時代”

中国で粉ミルクと牛乳に化学物質メラミンが混入し、赤ちゃんが死亡したり重体に陥る事故が起きているようです。

このニュースを聞いてちきりんが思い出したのは、1950年代に日本で起った“森永ヒ素ミルク事件”でした。日本が今の中国より貧しいくらいの経済状態であった頃、森永乳業の粉ミルクにヒ素が混入したのです。

この事件のヒ素中毒被害者は一万数千人とも言われ、死亡した赤ちゃんはなんと 100人以上。それに加え、多くの子供に後遺症が残りました。中国の事件より圧倒的に規模が大きな乳児向け食品事故であったわけです。


ふたつの事件の共通点としては、まず一流乳業メーカーが起こした事件であるという点があげられます。今回問題となっている「伊利集団」や「蒙牛」は、日本における森永乳業同様、中国の大手メーカーです。

さらにもうひとつの共通点は、今の中国と当時の日本の経済状態、そしてそこから派生する“暗黙の社会ルール”です。

森永ヒ素ミルク事件が起った1950年〜60年代、日本ではあちこちで公害が起こり、深刻な被害をもたらしていました。

しかし当時は、企業の活動を安全・環境面から規制する法律も監督する仕組みもありませんでした。日本で環境庁が設立されたのは 1971年なのです。

経済成長が人の命より優先されていたとまではいいませんが、そのバランスは今の日本とは大きく異なる時代でした。


ちなみに森永乳業が「あれはヒ素が原因でした」と認めたのはなんと事件発生の 15年後です。そして、森永乳業は今も存続しており、この事件で倒産したわけでもありません。

今の日本で、もし粉ミルクで 100人の赤ちゃんが死んだら、そのメーカーは存続できるでしょうか?

当時は行政も社会もそれを許していたのです。「生産設備と技術を持つ大手メーカーは潰せない」、そういう時代だったということなのでしょう。


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一方で、中国でのミルク・メラミン混入事件と森永ヒ素ミルク事件には違いもあります。

それは、森永粉ミルクがほぼ日本だけで消費されていたのに対し、今回の中国のメラミン混入問題では、日本、香港、シンガポールなど多くの国がそれらを輸入していたため大騒ぎになっていることです。


今回は生乳だから近隣国が多いですが、アメリカでは中国製のペットフードを食べた犬の死亡例が報告されているし、中南米でも中国製の歯磨き粉や風邪薬で死者がでています。

いまや世界中が中国の食品や製品を輸入しており、中国の商品に問題があると地球の裏側の国で健康被害や、命が危険にさらされる可能性があるのです。


しかし、その中国はこの問題を日本や他の先進国同様に深刻にとらえているでしょうか? 日本における環境庁の設立は“東京オリンピックの 7年後”でした。そう考えると、今の中国との時間距離がわかりやすいのではないでしょうか。

もしくは、1960年代の日本から 2010年の日本に食料輸出が行われている状況だと想像してみてもいいでしょう。今では使用が許されていない農薬がたっぷりとかかった野菜が輸出されてくるかもしれません。


さて、この間、食べ物の流通は大きく変化しました。ひとつは、「食べ物」が世界中を駆け巡るようになった、ということです。

食べ物の長距離移動には、冷凍コンテナなどの装備、野菜を空輸する技術や、虫食いや腐敗を防ぐ薬品など様々な技術が必要です。家電や繊維商品と異なり、生食料が世界中をこんなに大規模に動き始めたのはここ数十年の話でしょう。


また、「食品の加工」を行う場所が家庭から工場に移り、食品が工場で作られるようになったことも大きな変化です。

昔は、流通する食品とは、野菜丸ごとや魚丸ごと、肉は切っただけの生肉だったのです。それ以上の加工(調理)は家庭で行われていました。ところが今は、この加工プロセスが家庭ではなく工場で行われるようになりました。

食品工場では、それぞれ異なる国から別々に調達された原材料が、工場の中でベルトコンベアに乗って運ばれ、機械で洗浄されたりカットされたりします。

原材料のひとつでも問題があれば、全体が汚染されますが、それらの原材料がどこでどのように作られたものか、組み立てメーカー(調理メーカー)が把握することも非常に難しくなっています。

今回の中国ミルクのメラミン混入事件でも、日本の食品メーカーがミルクを原材料として使っていたことで、商品の出荷停止、回収が行われました。


このように「工場で加工された食べものが、大規模に世界を動く」というのは、ここ数十年で起こり始めた“あたらしいモノの流れ”です。

ところが、その新しい流れに衛生面、安全面からどう対応するか?という方法論が、まだ国際的に確立していないようにも思えます。


日本では7年くらい前に輸入野菜の残留農薬が問題になりました。その後、日本の商社や食品メーカーは現地の農場を指導して農薬の日本基準を導入させ、検査も強化しました。

数年前にはうなぎなどの養殖魚に残る抗生物質が問題になりました。その時も日本の輸入元が現地指導をし日本基準に合わせて育ててもらえるよう改善を指導しました。

しかし、これではきりがありません。そもそも食料を輸出している国と輸入している国の基準が異なり、その基準はそれぞれの国の経済状況を反映しています。問題が発覚するごとに個別の対応をやっていては、問題はいつまでも続きます。


さらにいえば、こういった「経済状態や社会における優先順位が異なるレベルの国」から、世界中に食品が輸出されはじめていることにたいして、その動きに対応した食品の輸出入の枠組みやルールがまだ確立されていないことが根本的な問題です。

世界の農業議論といえば“自由貿易か保護貿易か”という視点ばかりが注目されます。けれど、これからは安全性の統一基準という、“食べ物の輸出入のルール”についても国際的ルール作りが必要と思われます。

問題はそれをどの国が、また、どういう機関がリーダーシップをもって提案していくか、ということです。各国の農業関係団体や役所が、関税問題だけではなく、こういった分野での検討や協調をより強力に進めてくれることを期待したいものです。


じゃね。


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