前回に続き中国で訪れた歴史記念館を紹介しつつ、感じたこと、考えたことを残しておきます。
こちらは瀋陽にある「九・一八事変陳列館」、例によってすんごいデカイ。これ、建物じゃなくて、看板です。看板だけでこんな巨大!
小学生、中学生の見学隊もたくさん来てました。今日のエントリの写真はすべてこちらのものです。
ところで「九・一八事変」って、なんの事件かわかります?
街で聞いたら大半の人が知らないんじゃないでしょうか。
今回、中国の歴史記念館で強く意識させられたのが、この「戦争の日付」です。
前回の戦争で日本人が一番よく覚えている日付といえば、間違いなく 8月 15日でしょう。
次が原爆の落ちた 8月 6日と 9日?
で、その次となると、真珠湾を奇襲した 12月 8日か、沖縄陥落の 6月 22日あたりですが、この辺になると覚えてない人も多いっしょ。
日本人にとって「記憶に残る戦争の日付」は、圧倒的に 8月 15日なんです。
ではこの終戦記念日、8月 15日・・・日本は「どこの国」に負けたのでしょう?
アメリカですよね。
もしくは連合国軍ですが、連合国ってどこかと聞けばアメリカなので、つまり日本人は「アメリカと戦争をしていた」と考えていて「アメリカに負けた日が 8月 15日」なわけです。
この「日本人にとっての一般的な戦争のイメージ」からは、中国という存在自体が浮かび上がってきません。日本人の多くが「あの戦争」を思い出す時、その相手は「アメリカ」なんです。
では日本はいったい「いつ中国との戦争を始めた」のでしょう?
「植民地獲得を目的とした帝国主義的な戦争」という意味では日清戦争からと考える人もいそうですが、今の中国にとって“清”というのは別の国です。日本にとっての“江戸幕府”みたいなもんですね。
彼らの考える日本との戦争は、「今の中国=辛亥革命で清が倒れた後の中国」と日本の戦争=日中戦争です。
これが始まったのはいつ?
ちゃんと勉強した人なら、下記のいずれかを答えるでしょう。
・1931年 9月 18日に起こった満州事変(柳条湖事件)の日
・1937年 7月 7日に起こった盧溝橋事件の日
ようやく「九・一八事変」が何か、わかりましたね。9月 18日とは、満州事変=柳条湖事件の起こった日です。
この巨大な記念館が「九・一八事変陳列館」と呼ばれているように、中国はこの日付をものすごく重視しています。
(柳条湖事件を調査しに来たリットン調査団の写真。これは日本の教科書にも載ってた)
で、日本の侵略が 1931年(の 9月 18日)に始まったとすると、「 1931年から 1945年まの 14年間、中国は日本と戦っていた」という話になるんですが、
これも日本人で「日本は中国と 14年間、戦争をしていた」と意識してる人はあんまいないでしょ。
また、「アメリカ、イギリス、中国、オランダから資源や物資の輸入を止められた= ABCD包囲網によって追いつめられたため、日本は戦争をせざるを得なくなった」という話もよく聞きます。
これは
=日本は欧米列強にイジめられたから、戦争に踏み切ったのだ or
=日本は欧米列強にイジめられ、戦争に踏み切るようハメられたのだ!
という主張ですが、
たしかに物資禁輸は日米通商航海条約の(アメリカからの)一方的な破棄(1939年)により始まったので、
「日本が アメリカと 戦争を始めたのは、ABCD 包囲網で追い詰められたからだ」というのは時系列に筋が通った話です。
しかし中国への軍事進出はそのずっと前から始まっているわけで、「欧米列強に追い詰められて仕方なく始めた」と言うことはできません。
日本は「我々も欧米列強のように多くの植民地を有する経済的・軍事的な大国になりたい!」という拡張主義的な野望をもって、中国に軍を進めたのです。
今は平和国家を自認する日本ですが、当時の日本はまさに「軍国主義国家」だったということでしょう。
日中の戦争認識の違いというと、南京大虐殺で殺された人の数とか、慰安婦に日本軍の関与があったかどうか、といった細かい話がクローズアップされがちですが、
ほんとの認識差は、「中国にはこんなにデカい記念館があるのに、九・一八という日付を聞いても、日本人の大半がなんのことかわからない」という点にあり、かつ、
中国は「日本に 14年間も苦しめられ、必死で戦った」と思っているのに、日本にはそもそも「中国とそんな長い間、戦っていた」という認識さえないことなんだと理解できたのが、今回の訪問の大きな収穫でした。
(満州を占領した日本によって、多くの中国人が炭鉱で強制労働させられた、って話の模型)
さて「戦争の日付」といえば、今のアメリカで最も記憶されてるのは 911 でしょう。
2001年にあの事件が起きたとき、アメリカでは盛んに「パールハーバー以来のアメリカ国土への攻撃」と報道されていました。
つまりアメリカに攻撃を加えた純粋な外国(=独立戦争で戦ったイギリスを除く)は、最初が日本で、次がアルカイダだというわけです。(次が北朝鮮??)
だから「リメンバー パールハーバー」という言葉はアメリカでは知らない人がいないくらい有名ですが、中国でも「勿忘 九・一八」という言葉はとても有名です。
図らずも世界屈指の大国がいずれも「日本にやられた日のことを忘れるな!」と思ってるなんて・・・
「日本は平和国家」と信じている日本人との大きなギャップを感じます。
★★★
もうひとつ。この記念館、前回紹介した 731部隊記念館に比べると、ものすごーく「日本への憎悪をかき立てるために工夫された展示」がなされています。
てかこの記念館を観ると、731部隊記念館が中立的・穏健展示に思えるほど過激。
たとえば 731部隊の人体実験の様子は、(731部隊陳列館にはないのに)ここではジオラマで再現。
マルタ(中国人など人体実験に使われた人)の死体が積み上げられた様子まで再現しており、かなり怖い。
前回のエントリで書いたように、あちらは世界遺産登録を目指しているので、過剰な演出は抑えているのかもしれません。
中でもいちばん驚かされたのがこれ。つり下げられた日本刀の下に血しぶきが印刷されてて・・・
日本刀がここまで残虐なイメージで陳列されてるのを見たのは初めてだし、かなり衝撃的でした。
じゃあ、この施設は「反日教育のために作られたのか?」というと、
日本側の説明では常に伴う「中国を植民地化しようとしてたのは日本だけじゃなく、欧米諸国を含め、当時の帝国主義国家はみんなそうだった」という説明はほとんどないし、
やたらと残虐さを煽る展示物やその手法を観ていると「日本ってホントにヒドい国だな」とは思いますが、
それに加え「中国共産党が、いかに人民のために頑張ったか」というアピールの強さも、きわめて強く印象に残ります。
ご存じのように、当時の中国は資本主義国を目指す国民党と、共産主義を目指す中国共産党が対立していていました。
ここの展示では「腰抜けの国民党に比べて、日本と勇敢に戦い続けた共産党」というイメージが、繰り返し強調されています。
「中国共産党が頑張ってなかったら、今頃、中国は日本の植民地にされてしまっていたかもしれないんだぞ!」
的な脅しメッセージがびんびん伝わってくるんですよね。
(館内の説明は中国語、英語、日本語の 3カ国語。この文章もめっちゃ過激)
でもさ。
日本において「中国共産党が日本に勝った」と思ってる人、いませんよね?
日本人の認識は「日本はアメリカに負けた」+「だから植民地にしようとしていた中国を失った」のであって、「中国共産党が勇敢に戦ったから、日本が中国に負けた」とか考えてる人、いないでしょ?
たしかに(当時の日本でさえあまり報道されておらず、かつ、中国での展示はかなり誇張されてるように思え、フェアに判断するのは難しいのだけど、)中国における抗日ゲリラの活動はかなり激しかったようです。
だとしても、「中国の抗日戦士と戦って負けた」という認識は、日本側にはほとんどありません。
それが中国の歴史記念館では、
「中国共産党は果敢に日本と戦って勝利した。今、中国が独立できているのは中国共産党のおかげだ!」って話になってるわけです。
この陳列館の最後のパネルには、
「日本は謝罪し、我々は和解した。これから両国は共に発展するのだ」的な話の後に、
「でも油断してはいけない。常に警戒していないと、日本はいつまた牙を剥くかわからない」的な話が書いてあり、
ここでも「日本が再び軍事大国を目指すのを警戒しよう!」という話だけではなく、
「そのためには、中国共産党の力が不可欠だ!」とか
「そのためには、我が国も一丸となって南沙諸島や尖閣列島を守らねばならない!
国内で揉めてるヒマはない! 国内が安定してないと、またやられてしまうぞ!」
的なプロパガンダを強く感じました。
もちろん私も「中国共産党は反日感情を利用して国内の民主化運動を抑えている」というニュースはこれまでなんども耳にしていました。
でも今回この記念館を訪れたことで「反日感情を共産党独裁体制を維持するために利用するってどういうことなのか」、初めて腹落ちする形で理解できたというわけです。
そういえば併設のお土産屋さんにも、尖閣列島の中国名を記したミサイル型容器入りのお酒が売られていました。
それと中国に限らず、海外の戦争関連記念館にはこういった爆弾型キーホールダーとか戦車の模型とかがよく売られてるんです。
日本の原爆記念館にはもちろんこんなものは売られていません。平和グッズばかりです。
じゃあ、「日本では戦争グッズはいっさい売られてないのか?」というと・・・そうでもありません。
靖国神社の売店には、かなり好戦的な戦争グッズがあれこれ売られてます。
やっぱりあそこは戦争犠牲者を悼むための宗教施設ではなく、日本にとっての「戦争記念館」だってことなんでしょう。
いずれにせよこの記念館にも、日本人として学べることは多々あります。非常にうっとうしい内容ではありますが、機会があればぜひ訪れてみてください。
あと・・・この下に数枚、同陳列館にあったちょっと残虐な写真を載せています。
「こんな写真が展示されてるんだ!」ということが知りたい人、敢えて見たい人だけ見てください。
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