今日は、1981年に北海道と青森県に生まれた、二人の男の子についてのお話です。ここでは、北海道で生まれた男の子をK君、青森県で生まれた子をD君と呼ぶことにします。
K君は小さなころから囲碁や算盤に熱中します。小5で2級となった囲碁では道場に通い、算盤でも北海道大会に出場する腕前となります。高校生になると将棋を始めたほか、週に5日もゲームセンターに通い、メダルゲームやダンスダンスレボリューションに熱中します。
青森で生まれたD君の方は、小学校2年生の時に東京に転校。自宅や友人宅では、当時大ブームとなっていたファミコンでドラクエをやりこみ、そのうち格闘ゲームにはまって毎日のようにゲームセンターに通うようになります。
ふたりとも“ゲーセン”に通い詰めていたとはいえ、ひ弱な少年ではありません。K君は少林寺拳法やバレーボール部でも活動していたし、D君も腕っぷしが強く、学校ではガキ大将でした。
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異なるタイミングではあるけれど、ふたりは学校の仕組みに割り切れないものを感じます。
D君は中学校でも高校でも、先生に言われる「試験前なんだから勉強しろ」という言葉に反発します。
「試験前だから勉強しろということは、勉強の目的は試験でいい点をとることなのか?」
「試験前じゃなければ、勉強しなくてもいいのか?」
「いったい勉強って何のためにやるもんなんだ? 試験のためなのか?」
K君の方は大学に入って2年目、第二外国語である中国語の単位を落として留年します。大学入学当時、物理の研究者を目指していたK君は思います。
「自分は研究がしたいのに、第二外国語の単位を取らないと先に進めないというのは、なんとも本質を無視している」
「自分が研究者になろうと頑張るにあたり、中国語は本質的に不要だ。なのに大学では、それを落とすと前に進めない仕組みになっている」
「2回目の2年生の時は中国語の授業にでる以外、大学に行く必要がなかった。だから必然的に麻雀にのめり込むことになった」
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もう二人とも大人なので、敬称を「君」から「氏」に変えましょう。
中国語を落として“必然的に”(?)麻雀にのめり込んだK氏は、その後、誘われるままにバックギャモン、ポーカーへと興味を移していきます。特にハマりこんだポーカーでは、半年ほどで相当の腕前となり、1年後にはラスベガスのカジノに、稼ぎにでかけるほどとなります。
一方のD氏は格闘ゲーム一本に集中し、なんと 17歳で世界一となります。その後も順調に勝ち続け、23歳の時に世界大会で魅せた世紀の逆転劇の動画は、これまでに2000万回も再生されるほどの人気となり、世界のトッププレーヤーとして、その名声と地位を固めます。
時を同じくして二十歳前後から、K氏はラスベガス、D氏はロサンジェルスと、いずれもアメリカ西海岸において、世界の舞台における勝負を始めていたのです。
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D氏はK氏より先に「世界のトッププロ」となっていますが、D氏にはその後に「迷いの季節」が訪れています。一時期は麻雀のプロを目指したり、介護の世界で働いた後、ゲームの世界に復帰し、現在も格闘ゲームの世界におけるトッププロとして戦い続けています。
K氏の方は勝負の楽しさを教えてくれた高校と、東京の予備校でのレベルの高い授業にワクワクし、順調に勉強を重ね、物理の研究者となることを夢見て一流大学に合格したのに、上記に書いたような事情により、大学に行かなくなってしまいます。そして、最終的には休学を続けていた大学を10年かけて卒業し、ポーカープロを目指すと決めたのです。
“思考と練習”を繰り返し、信じられないほどストイックに“誰にも負けないだけの練習”を積み重ねる両氏は、それぞれの分野における世界的な大会で実績を残し、相次いで日本人初の契約プロとなります。スポンサー企業はいずれも海外の企業です。具体的には、
2009年、世界で最も権威あるゲーム大会 EVOにおいて、格闘ゲームで優勝したD氏は、その翌年、アメリカ企業と契約を結び、日本人初のプロ・格闘ゲーマーとなっています。
その2年後、世界で最も権威あるポーカーの大会である WSOPのサイドゲームにおいて、日本人として初めて優勝したK氏は、欧州企業と契約を結んで日本人初の契約ポーカープロとなっているのです。
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ふたりは今、プロゲーマーとして世界の頂点を目指しつつ、自分たちの職業や、それぞれのゲームについて多くの人たちに知ってもらいたいと、驚くほど精力的に活動しています。
ふたりとも一年に何冊も本を出し、数えきれないほどのメディアの取材に応じ、ゲームの世界の外にいる人たちに向けて、多大なエネルギーを注いで情報発信をしているのです。
その根底にある、二人の問題意識も似通っています。それは、
1)自分が職業としているゲームの世界は、日本ではまったく理解されていない
2)そのイメージを変えるために、自分こそが積極的に発信し続けなければならない
3)「プロの格闘ゲーム家です」「ポーカープロです」と自己紹介した時、日本でも多くの人に、「すごいですね!」と言ってもらえるようになりたい
というものです。
このあたりに関する二人の考えは、聞いていてびっくりするほど似ています。
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さて、ふたりが生まれる1981年のずうっと前、関西でひとりの女の子が生まれました。名前をCさんとしておきましょう。
小さな時から文章を書くことが好きだったCさんは、或る時、ネット上に匿名でブログを書き始めます。数年後、そのブログは人気が高まり、数多くの人が読むようになりました。
2013年の始め、Cさんは仲介者を通して、D氏から対談の申し込みを受けます。対談とはいっても、実質的にはCさんがD氏にアレコレ質問をするインタビューです。
その席でD氏は、Cさんに切々と訴えます。
「日本では、ゲームなんてまともな大人の職業にはなりえないと思われている。たかがゲームだと思われていて、こんなものをいくらやっても意味がないと思われてる。でも、自分のやってきたことはそれだけじゃない。格闘ゲームは人と人との勝負だし、考え続けないと強くなることはできない。ぜひ多くの人にそのことを理解してほしい」
その数か月後、CさんはK氏からも「ぜひ、ポーカーについても取材してほしい」と依頼を受けます。
取材の席でK氏は切々と訴えます。
「日本ではポーカーなんてギャンブルで、まともな大人のやる職業だとは思われていません。でも、ポーカーはそれだけじゃない。ポーカーは人と人の勝負だし、頭脳ゲームなんです。そこで学べることは、人生にもビジネスにも活かせる。ぜひ多くの人にそのことを理解してほしい」
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1981年に北海道と青森で始まった二人の人生のシンクロニシティは、2013年「Chikirinの日記」での交わりを経て、この先どこまで続いていくのでしょう?
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そんじゃーね