山内溥氏の「人と組織」

先日、任天堂の前社長、山内溥氏が亡くなられました。享年85歳。ご冥福をお祈りいたします。

山内氏の功績については、私などが解説する必要さえないでしょう。

50年以上(なんと半世紀以上)も任天堂の社長を務め、同社を「花札メーカーから日本を代表するグローバル企業」に育てたのが山内氏です。

たまたま最近、任天堂に関する本を2冊、読んでいたのですが、その中には、驚いて声がでてしまうほど感嘆するエピソードがてんこ盛りでした。


その中でも特に私が「スゴイな、この人・・・」と思った話をふたつほど紹介しておきます。

任天堂 “驚き”を生む方程式

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(創業から2009年までの歴史がコンパクトにまとまっています。kindle版もあり)


任天堂は、1889(明治22年)にカルタ(花札)を作る会社として創業されました。すごく歴史のある企業です。山内溥氏は、初代社長の山内房治郎氏の曾孫にあたり、父親が家を出ていたため、早くから任天堂の後継者と目されていました。

京都で生まれ育った山内氏ですが、戦後すぐに「東京で遊びたい」という理由で上京、早稲田大学法学部で学ぶこととなり、祖父が渋谷に購入してくれた一軒家に暮らします。

学生でありながら、友達と一緒にビフテキを食べ、ワインを嗜み、ビリヤードに興じていたとのこと。女性の出入りも多かったと書いてありましたが、時代が時代(=東京が焼野原になった数年後!)ですからね。周囲に住む貧しい庶民との生活格差は、今では想像できないくらい大きかったはずです。


東京での青春を謳歌していた氏ですが、二代目社長が倒れると京都に呼び戻されます。そして、なんと 22歳で任天堂の後継者になるのですが、この時の山内氏の「会社に戻る条件」がスゴイ。

彼は、「任天堂に、山内家の人間はひとりでいい」と言ったのです。

これは、すでに任天堂で働いていた山内家の親族達を解雇しろという意味にあたります。(もちろん路頭に迷わせろという意味ではなく、任天堂の経営からは退いてもらう、という意味です)

実際にこの条件は認められ、山内氏は任天堂の若き経営者となります。


これ、どう思います?


22歳で相当規模の会社を引き継ぐことになったら、それまで会社を切り盛りしてくれてた親類(叔父やいとこや)との関係を巧く保ち、「社長とはいえ若輩者なので、なにとぞよろしくご指導ください」ってな感じで入社するのが普通だと思いませんか?

たしかに創業家の人間が複数在籍していると、権力闘争が起こるかもしれません。自分が他の企業でそれなりの経営経験があり、かなりの自信があったなら、そういう条件を出すのもわかります。

でも、なんのビジネス経験もない学生が、最初から「山内家の人間は自分ひとりでいい」と言い切って会社を継ぐ。

こんな判断をする22歳の青年が存在するなんて、俄かには信じられません。ホントーに驚かされました。


★★★


もうひとつ彼がスゴいのは、自分の後に任天堂を託せる人材を 3名も見出し、抜擢してきたことです。多くの方がご存じのように、任天堂には、山内溥氏のほか、
・横井軍平氏
・岩田聡氏
・宮本茂氏
という“超超超スゴイ人”が 3人も、現れています。


山内氏の功績は数々あれど、この 3人を“ちゃんと見出して”、“ちゃんと引き上げた”ことが、彼の一番の功績だろうと私には思えます。


横井軍平氏は、花札とトランプの会社だった任天堂に数々の“新感覚おもちゃ”をもたらしました。
・ウルトラハンド
・ラブテスター
・ウルトラマシーン
・ウルトラコープ
などなど・・・

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この本、最初にカラーページで、当時の任天堂のおもちゃ&ゲーム機のカラー写真がふんだんに掲載されてます。これが理由で(読んだ本の大半を処分してしまう私も)この本は手元に残すことにしました。

英語の記事ですが、この記事の一番下の方には上記おもちゃの写真が載っています



任天堂といえばファミコンで一躍、大成功というイメージが強いですが、「花札・トランプ」と「ファミコン&ゲームボーイ」の間には、ウルトラハンド始めとする物理的なおもちゃを次々と大ヒットさせた時代がありました。

その開発を担当したのが横井氏であり、それら一連の商品の大ヒットによって、任天堂はファミコンの開発費用を稼ぎ出したのです。


横井氏が開発した“大人目線のおもちゃ”は子供たちを夢中にさせました。当時の思い出のある方なら、(今でも売っていたら)思わず大人買いしたくなるようなおもちゃばかりでしょう。

男女が手をつなぐとその愛情度が“数字で”判定できるラブテスターは、子供のおもちゃの発想を完全に超えてるし、高い壁の向こうが覗ける(という)ウルトラコープなんて、今だったら発売できないくらい“おちゃらけ”た商品です。


その根底には、「子供には子供らしい遊びを」という(子供だましの)発想ではなく、「大人がおもしろいと思うものを、子どもだっておもいろいと感じるのだ」という基本的な考え方があります。子供を大人扱いしてくれる、そんな商品を次々と世に出したのが横井軍平氏でした。


★★★


岩田聡氏と宮本茂氏は現在の任天堂の経営者です。岩田社長は、山内溥氏に乞われて関連会社から任天堂に転職、42歳で社長に抜擢され、任天堂の急成長期を率いています。

宮本茂氏はマリオやピクミンの生みの親であり、ゲームクリエーションの世界で(日本で、ではなく、文字通り世界で)“神様”と呼ばれる人です。

こうした人たちを見出し、チャンスを与え、その才能を開花する舞台を提供したのが山内溥氏なのです。


山内氏は長い経営者人生の間に、アレコレ新しい事業や商品を手掛け、その中には(当然)失敗した事業もあります。それでも「携帯ゲーム機を二画面に」と、DS(=ダブル・スクリーン)につながる画期的なアイデアを推進するなど、商品開発にもすばらしいセンスを発揮されています。

なのですが、やっぱり私には、氏の最大の功績は、自分の後に続く後継者をちゃーんと見つけておいたことだと思えます。


商品開発やビジネス戦略に天才的なセンスを発揮する経営者は、一定の確率で出現します。どこの会社、どこの業界かはわからないけど、一定の割合でめちゃくちゃすごい人が現れるもんです。

でも、そんな自分と決して引けを取らない“自分の次”の人材を 3人も見つけておいた経営者って、他に思いつきません。

22歳の時に「山内家の人間はひとりでいい」と言い切った青年は、当時から人と組織に関して、卓越した知見を有していたのではないでしょうか。


★★★


山内氏の座右の銘は、「失意泰然 得意冷然」だそうです。


運に恵まれない時は、慌てず泰然と構え努力せよ。
恵まれた時は、運に感謝をし、冷然と努力せよ。


という意味です。他にも、任天堂の意味を「天に運を任せる企業」という意味だとも言われたとか。当たりはずれの大きなエンターテイメント産業の本質を捉え、ユーモアのセンスも光ります。


本当にスゴい人だったのです。
心よりご冥福をお祈りいたします。




3DSはLLの白がお気に入り & 「どうぶつの森」は本当に良くできたゲームです。

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