滋賀県、琵琶湖の南側、八日市(ようかいち)にある社員 30名ほどの老舗パジャマメーカーを訪問しました。
二代目社長の北川恭司さんに( 3時間近く!)伺ったお話しがとてもおもしろかったので、何回かに分け、シリーズでお伝えしていきます。
訪問したのは、株式会社ラブリー
東海道線の近江八幡駅から最寄り駅の八日市駅までは、 1時間に 2本の電車が走っています。本数は少ないけど沿線は(田んぼではなく)住宅地なので、世田谷線と同じような趣でした。
八日市の駅前。ビルや道路の立派さに比べると人が少ないです。途中の商業施設でパジャマ売り場を覗いた後、歩いて目的地へ。
株式会社ラブリーは創業 50年を超える老舗企業ですが、5年前までの 30年間あまり、某有名ランジェリーメーカーが販売する高級パジャマを縫製していました。いわゆる“大企業の協力工場”(下請け工場)だったのです。
発注元のメーカーはランジェリーやパジャマ分野の高級ブランドで、商品は主に百貨店、デパート内にある専門店コーナーで売られています。
ブラジャーなら 5千円から 1万円、パジャマは 1万円を超えるものも珍しくありません。下着一式を揃えれば、すぐに数万円かかります。
スーパーや通販では、よく “3枚 1000円のパンツ”が売られていますが、このブランドのパンツ(パンティ? てかショーツ)なら 1枚 2000円なんてこともあるハイエンドなブランドです。
もちろんそのメーカーも国内外に自社工場を持っていますが、試作品製作や小ロット商品の縫製には、高い技術を持ち、小回りの効く協力工場も必要です。株式会社ラブリーは長い間、そんな協力企業の一つでした。
ところが 5年前。ラブリーに(てか、世界中&日本中に)激震が走ります。
その前年、2008年秋に起こったリーマンショックの影響が 1年をかけて、ウォールストリートから遠く離れた八日市にまで到達したからです。
これまでそういった高級ブランドのインナーを買っていたのは、「下着はこの会社のモノしか身につけない」とか、「家具・家電から文具、下着まですべてを百貨店で買う」といった保守・伝統的な価値観をもつプチ富裕層(中の上以上の家庭)でした。
リーマショックはこの層の消費を直撃します。
そして 2009年に入ると日本中のデパートには閑古鳥が鳴きました。誰もデパートなんかでは、買い物をしなくなってしまったからです。
当時は、大企業を含め数多くの企業が大量の非正規スタッフを雇い止めにし、年末には寝る場所を失った失業者が日比谷公園で大規模な炊き出しを受けるという事態まで起こっています。
1年も前に決まっていた内定を突然に取り消された学生もいたし、日経平均も 6000円代まで暴落。政府は金融機関に、異例の融資返済モラトリアムを依頼しました。
こうして世の中が大混乱に陥る中、ラブリーでも取引メーカーからの発注が激減。企業存亡の危機に直面したのです。
「アメリカの金融危機が、まさかこんな田舎町の小さな工場に影響を与えるなんて、まったく想像していませんでした」 (同社 北川社長)
そうですよね。金融にも投資にも縁の無い滋賀県の小さな工場にまで、アメリカの投資銀行の破綻が壊滅的な影響を与える。世界は既につながってしまっているのです。
30名の社員を抱えた北川社長は、生き残りを賭けた模索を始めます。
それは、有名ランジェリーメーカーという「組織」に評価され、選ばれていた縫製工場から、パジャマを買う顧客という「市場」に直接選んでもらえる直販メーカーになるための、第一歩でした。
当ブログでは、何十年もの間、大組織に評価されてきた株式会社ラブリーが「市場による評価」を得る企業へと脱皮したプロセスについて、これから数回に分けてレポートしていきます。
そんじゃーね!
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