ハワイ旅行について紹介するシリーズ。
第一回は物価について
chikirin.hatenablog.com
そして前回は戦争ミュージアム@真珠湾の最初の 2セクションを紹介しました。
今回はその続き、戦争博物館@真珠湾 part II としてミズーリ号と航空博物館を紹介します。
★★★
ミズーリー博物館の入り口。
ここに着いた段階で「でかっ!」とは思ったのですが、
全景をみたら本当に大きな戦艦でした。
しかも甲板に上がってみると、さらにすごい迫力!
そしてミズーリー号が日本人にとって特別なのは、この船こそが 1945年9月2日、日本が無条件降伏を受け入れる文書に調印した場所だということです。
下記の写真がそのときの様子ですね。右側に立っているのが無条件降伏書にサインするべくやってきた日本の代表団。左側のデスクでサインをしてるのが米軍代表。
ミズーリー号の乗組員たちは鈴なりになって「降伏しにやってきた日本人」を見物していたようです。日本の代表団、ものすごいアウェイ感を感じたことでしょう・・・
そして!
今回わたしが訪れたこの甲板こそ、まさに上の写真の場所なんです。
甲板には、1945年9月2日、ここで日本が無条件降伏書にサインしたと書かれた銘板が設置されています。
近くには無条件降伏書のコピーも展示されてて、
外務大臣のサインもくっきり・・・
さらに甲板を進むと Kamikaze と書かれたパネルがあったので読んでみると、
「ミズーリー号に特攻機が激突したのはこの部分です」との説明あり!!
激突した特攻機のパイロットは甲板に投げ出され死亡が確認されました。米軍はその兵士を丁重に弔ってくれたようです。
ミズーリー号内部には当時の関連資料も展示してあり、特攻の出発基地であった鹿児島、知覧との交流もあるらしく、兵士が特攻直前にしたためた手紙なども展示してありました。
読んでると涙が・・・
※この船に激突した兵士の手紙ではありません
その他、ミズーリー号の内部は広く開示されており、自由に歩き回れます!
こちらは兵士の寝室。大変だよね、こういう環境で戦地に向かうなんて。
巨大な戦艦の大半が公開されているので、じっくりみてると 2時間以上かかってしまいました。
★★★
そして次は航空博物館へ!
まず目に入るのが日本のゼロ戦!
零戦はアメリカでも有名で、説明も詳しい。
"Zero"was unbeatable. とか書いてあって、アメリカ側からも高く評価されてた戦闘機だとわかります。
ご存じ中島飛行機についての説明も。
※中島飛行機は当時、東洋一の飛行機メーカーで、日本軍向けに多くの戦闘機を製造していました。現在の SUBARU や日産自動車の前身でもあります。
こちらは真珠湾攻撃のルートや内容を詳細に説明したパネル。
日本人なのに、これを真珠湾まで来て始めて学ぶ私。日本ってほんと、こういうのを学ぶ場所がないよね。
ミッドウェイ海戦の説明もありました。なるほどなるほど。
1895年からの日本の領土的拡大について説明するパネル。明治の途中からその野望はどんどん大きくなってきた感じですね。まるで今の中国だわ。
下記、大破してるので、実際に使われたものだと思うのですが、
真珠湾で日本軍が(アメリカの戦艦に)打ち込んだ潜水爆弾(Dive Bomber) のようですね。これを戦艦の下部に横から打ち込むと、もっとも効果的に戦艦にダメージを与えることができるらしい。山本五十六氏の作戦でしょうか。
このように、ハワイ真珠湾の戦争ミュージアムでは、「日本がどんな攻撃をしていたのか」しっかり学ぶことができるようになっています。
現在の友好的な日米関係を反映してか、日本に対する敵対的な記載もほとんどありません。むしろ山本五十六氏やゼロ戦などにたいしてはレスペクトさえ感じます。
ハワイに行かれる際には、みなさんもぜひ足を運んでみてくださいな。
なお、これらの戦争博物館の訪問に関しては Voicy でも赤裸々に語っていきますので、ご興味のある方は下記のリンクよりそちらもぜひお楽しみください。
<ハワイ旅行記 音声配信 >
・01. 人生初ハワイ!
・02. 日本人なら真珠湾くらいは訪れよう!
・03. ミズーリー号の巨大さに震撼。まさに東京湾のゴジラ
・04. ハワイの軍人墓地に戦争の「詳細説明」がある理由
・05. 冒険野郎と弱虫ビビり屋の両方が必要
・06. リスク許容度のグラデーションが人類繁栄の鍵
・07. 国際的な観光地&リゾート島、成功の条件