先日、チューク州やグアムで第二次世界大戦の時の戦跡をアレコレ観てきたというエントリを書いたところ、「ちきりんさん、僕らと一緒に日本の戦跡を探検に行きませんか?」というメールをいただきました。
「えっ? あなたたち誰?」
って感じではありましたが、戦跡好きの私、やる気まんまん(↓あたしの足)
訪れたのは三浦半島。ここって、戦争の時、本土決戦(これこそマジ?)を控えて、アメリカが上陸してくるのを、大砲や人間魚雷(特攻隊の魚雷バージョン)で迎え撃つために作られた戦壕がたくさん残ってるんです。
たとえば、ここなんてごく普通の場所に見えますが、真ん中辺にブロックが見えるでしょ。
このブロックで閉じられた穴も、おそらくそういう戦壕のひとつです。
ネットで調べると、中がどうなってるのか、詳しくレポートしているサイトも見つかります。
中に入ってみると、こんな感じ。大半の場所は立って歩ける高さ。
広い部屋の部分では、誰かが家として使っていたような痕跡もあります。フロまで付けてるし・・・
おそらく 70年代や 80年代、ここを勝手に家として使ってた人がいたんでしょう。難しい本が残ってたりもします。
70年代の本なので、ホームレスというより、警察に追われてる活動家とかが潜伏してたのかもしれません。前のエントリでは、チュークの人が戦壕を住居として使ってるって驚いてましたが、日本も同じだったんですね。
中は迷路のようだし真っ暗だけど、アチコチに出口があるので(迷って出られなくなる的な)恐怖は感じません。
ただ地質がもろいので(だから戦壕も掘りやすいのですが)、いきなり崩れてきたりしないよね??という不安はあります。一人で行くべき場所でないことは、理解しておきましょう。
海からやってくる敵を迎え撃つための戦壕ですから、入り口の大半は海に面してます。でもね、ここまで米軍が来たら、すでに終わりでしょ。
こういう戦壕に格納されてた「人間魚雷の回天」って知ってます?
ぜひこちらをご覧ください→ 回天の画像検索
当時は自動制御なんてできないので、この魚雷に人間がひとり乗り込み、アメリカの戦艦に激突していくわけですね。
それだけでも悲惨ですが、この回天、訓練のために乗せられ、そのまま中で窒息死してしまった人もたくさんいたようです。つまりは魚雷設計のための実験に、生身の人間の命が使われたのです。
そもそもコレ、中に一人乗り込むと外からネジをかけて密閉するわけで、乗員はその時点でもう「生きて帰れない」と確定してしまうんです。
こんなものに乗り込む時の青年の気持ちや如何に。
信じがたいほどのメチャをやってたんだな、日本軍・・・って感じです。
というわけで、戦壕の中や周囲にはいろんなモノが落ちているので、それが戦争当時のモノなのか、それとも後の時代のものなのか、いちいちチェックして回るのも戦跡巡りの醍醐味です。
戦壕の中には水が貯めてある場所もあり、懐中電灯を持ってないと、いきなり落ちてアウト!かも。
いろんな生き物もいます。カニならかわいいんですが、大量のコウモリや大ゲジ虫が密集する壕も・・・
こちらも戦壕の天井から地上に向けて開けられた穴。上から見張り役が「敵が来たぞー」とか叫ぶためのものかな?
しっかりしたドアまで付けられてる壕も・・まったくもって、チュークと同じですね。
しんみりしました。
ランチを頂いたのはスグ目の前が海という立地にあるマリンショップ。案内してくださったのはここのスタッフの方だったんです。
→ 三浦 海の学校
ダイビングのライセンスもとれるし、その他にもいろんなマリンスポーツのプログラムがあるみたいです。
ご飯を食べながら、最初は「こういう戦跡巡りって、ツアーになりますかね?」みたいな質問を受けてたのですが、だんだん
「うちのサイト、どう直せばいいでしょう?」
「今度、こういうイベントやるんですが、どういうプログラムがいいと思いますか?」
「今売ってるこのツアーなんですけど、何をアピールすべきですかね?」
などと矢継ぎ早に質問されて・・・
行く前は「ゲジの大群なんて見たら、失神するかも」と思ってましたが、行ってみたらすっごく楽しかったです。
誘ってくださってありがとうございましたー!
<戦後70周年 記念イベント>
・『昭和史』をテーマにしたソーシャルブックリーディングは8月8日(土)です
※このイベントは終了しました。
『昭和史』によると、特攻で命を散らした若者の数は、海軍2632名、陸軍1983名、合計4615名。
この海軍の特攻の手段が、回天という人間魚雷です。が、訓練中に窒息などで死亡した兵士の数は含まれていません。
参考: wikipedia 回天