過去の実績の過大評価制度

ちきりんは“偏差値世代”と呼ばれた最初の世代だと思う。全国統一試験が導入され、テスト業者のコンピューターがどんな田舎の子供にも“あなたの偏差値”を伝え始めた。偏差値が1〜2だけ違うことが“志望校”の選択に影響し、“卒業大学名”が直接的に“入社できる企業名”に影響し、そして収入にまで影響した。

最初に偏差値などというものを教育に導入した人、人間の、学校の成績を、統計処理しようと考えついた人(いったい誰??)は、こんな世の中を本当に想定していたんだろうか?


なんて怖いことなんだろう、と痛感したのは就職活動をした時だった。女性の就職状況は決してよい時代ではなかった。雇用均等法もまだなかった。ちきりんは、就職市場において高く評価されている大学の学生だった。だからなんとかなった。でももし、ひとつ「下の」大学に進んでいたら、あの最初の職を手にすることはできなかったと思う。

その年、400人以上の学生を採用した、とある金融機関でちきりんは社会人としてスタートした。400名余の中、女性はちきりんを含め7名。この7名の女性は全員4つの大学の卒業生だった。この4つの大学に入っていなければ、この会社で「男性と同じ、制服を着る必要のない仕事」は手に入れるチャンスさえ与えられなかった。そういう時代だった。


この金融機関で男性と同じトレーニングを受けることができた。男性と同じ責任の仕事を任された。そしたら、男女の区別をしない外資系金融機関が新しいチャンスを提供してくれるといってきた。その外資系の金融機関の名前が一流であったために、米国の一流大学院に入学する切符を得られた。そして、その大学院を卒業したら、年収が倍になる職のオファーが目の前にあった。

これを「自分の努力で手に入れました」などと言える人はいないでしょう。

★★★

一度「なにか」を手に入れると、どんどん選ばれて、どんどん与えられちゃう、という「仕組み」があると気がついた。反対に言えば、その「なにか」が手に入れられなければ、その後のモノは何も手に入れられない、そういう「罠」というか「落とし穴」があると。

「なにか」は学歴とは限らない。たとえば、子供を特定の幼稚園に入れたければ、お母さんは専業主婦か女優でなければならない、みたいな。それぞれの分野にいくつかの「なにか」がある。

じゃあ、その「なにか」は、自分の努力やら能力やらを総動員して手に入れたのか?といえば、それもまた、かなり怪しい、と思う。上に書いたように、偏差値が5も違えば、入学できる(=卒業できる)大学は全く違ってしまう。しかし、偏差値の5ポイントくらいってのは、元の「テスト」とやらに戻れば、そんな大きな違いではない。「あまり正答率が高くない質問」3つくらいに正解すれば、偏差値は5くらい違ってくる。

「あまり正答率が高くない質問3つ」なんて、前の夜にたまたま教科書のその該当箇所を眺めてたとか、なんか気まぐれな理由でその部分を覚えてたとか、そんな程度の差にすぎない。

その質問3つができた人と、その質問3つができなかった人には、たいした能力差もたいした努力の差もない、です。単なる偶然、ちょっとした不運と幸運の差、しかない。

それが、時間と共に、どんどん「拡大」される。途中からは、全くリカバーできない差に昇格され固定されてしまう。しかし元をたどれば、その差はとるにたりない差にすぎない。事実上なんの差もないでしょ?みたいなことさえある。

★★★

ちきりんが今持っているものの大半は、親の愛情と社会の仕組みによって手に入れたものだ。すべてが「ラッキーな方に」ころがったし、「ほーんのちょっとの偶然で手に入れたもの」を、「どんどん過大評価していく」という、日本社会の「過去の実績の過大評価制度」が、ちきりんには有利に働いた。

そして、この制度の怖さをピリピリと痛感する。

どこかひとつでつまずいたら、どんなに努力しても、リカバーさせてくれないのだろうな、と思えるのだ。この社会は。


一度フリーターになった、一度心を病んだ、一度学校制度からドロップアウトした、一度他人を殴って大きな怪我をさせてしまった。一度、感情が抑えられずに悪態をついて職場を飛び出した。

一回失敗したら、「次の道」が制約される。最初の制約は小さく見える。「まあ、自分は失敗したんだから仕方ないかな」と思うかもしれない。「今度は頑張ろう」と思うかもしれない。でもその制約は、次第に等比級数的に厳しくなる。いくら頑張っても、その頑張りではなく一番最初のつまづきを社会は指さして言う。「あの時、失敗したでしょ」って。

努力しても努力しても、それは全く見てもらえずに、「あの時」の話をずううううっと蒸し返されたら、私たちはどんな気持ちになるだろう。それはもうほとんど、「あんたは不細工だから、この世ではもうチャンスはありません」とか「あんたは背が低いから、どんなに頑張っても、どれだけ努力しても、もう一切チャンスはありません」と言われているに等しいんでないの?って、ちきりんは思う。

基本的な人権の問題だよ、これはもう、って思うのだ。


ちきりんは、自分がどんなに恵まれているか、どれだけラッキーであったか、ずうっと痛感してきた。とても感謝しているし、どこかで何かを返さなければとずっと思っている。


ではね