こんにゃくゼリーの最大手、マンナンライフの蒟蒻畑カップサイズが製造中止になるとのこと。
幼児が喉に詰まらせて事故死というニュースが大きく報じられ、政治問題化さえしていたので、メーカー側も追い詰められたようです。
この件に関してネットでは「危ないか、危なくないか」という議論が多いようですが、私はこの問題において、“危険度”が大事な論点だったとは思っていません。
蒟蒻畑が製造中止に追い込まれた理由は、危ないからではなくて、
(たいして)「必然性がないものと判断されたから」でしょう。
喉に詰まって人が死ぬ代表的な食べ物といえばお餅です。
お正月に高齢者の事故が多いですよね。
調査は難しいでしょうが、「ゼリーより餅の方が危ない」という結果になる可能性は十分あると思います。
けれど、“喉に詰まって死ぬ人がいるから”という理由で、日本でお餅が販売中止になるとは、考えられません。
理由は「お餅はお正月に不可欠」と考えられているからです。
反対にいえば、毎年毎年、餅を詰まらせて死ぬ人がいても“餅の製造中止”などという話が議論にさえならないのに、
蒟蒻畑が製造中止に追い込まれたのは「危ないからではなく、要らないから」もしくは「要らないと判断されたから」です。
蒟蒻畑の最大の消費機会は「子供のおやつ需要」(自宅の他、保育園や幼稚園含む)と「ダイエット中の人のための甘味」だと思いますが、どちらも代替物はたくさんあります。
そういう「存在の絶対的な必要性」が弱いものは、死亡事故がおきると、社会から抹殺されかねないってことなのです。
★★★
たとえば、年に数千人が交通事故で死んでいても“自動車の製造中止”などという議論にはならないし、
タバコもいくら健康被害が報道されても大きな税収源であるため、どの国でも販売中止にはなりません。
実験的とも言えるレベルの先端医療も(少々、死亡率が高くても)禁止にはなりません。
結局のところ「いかに危いか」ではなく、「いかに必要か」が議論のポイントなんです。
そういう視点でみれば、今回ゼリー側に勝ち目はなかったということでしょう。
「蒟蒻畑がなくなると社会的にこんなに困る!」という論陣を張るのは、かなり難しそうだから。
危険でも必要性の高いものは、「なくそう」ではなく「なんとかしよう」という議論になります。
交通事故による死亡数は減少傾向にありますが、この背景にはシートベルトやエアバッグなど安全策の強化、飲酒運転や違反の取り締まり強化など、様々な施策強化がありました。
自動車が危険なことはみんな知っていますが、それを使用中止にできないこともまたわかっています。
だから「なんとか共存しよう」という話になったのです。
餅も同様で、正月前になると「喉に詰まらせないように気をつけましょう」というキャンペーンが行われたり、詰まった時の応急措置などがテレビで取り上げられます。
危ないのは皆わかっているけれど、無くせるものではないので、少しでも工夫しましょう、という話です。
今回、蒟蒻ゼリーが製造中止に追い込まれたことで、「より危ないと思われる餅が販売中止にならないのに、なぜ蒟蒻ゼリーだけ責められるのか?」という議論や、「餅と蒟蒻ゼリーはどちらが危険か」という議論が盛り上がり、役所では本格的な調査まで行うようですが、
私としては「餅と蒟蒻ゼリーのどちらが危ないか」という議論にあまり関心がもてません。
なぜなら、たとえ餅の方が危ないと科学的に証明されても、この国で餅が製造中止になることは考えられないし、
「より危ない餅が売られているのだから」という理由で蒟蒻ゼリーへの批判がとまるとも思えないからです。
このふたつは「危険度」ではなく、「必要度:が違うのです。
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このことからわかることは、「must商品"になること」と、「nice to have商品」として存在することは、全く違うということです。
そしてそれは、商品に関してだけではありません。
人間や企業でさえ、同じように判断されるのです。
存在意義が高いと思われればリストラされにくいし(されても再就職が容易だし)、
企業の場合も、存在意義が高ければ、「なんとか倒産を回避させよう」と政府や銀行が協力します。
その存在意義は、必ずしも社会的な“善”でなくてもいいんです。
支持者がすごく多い必要もありません。
少数でも熱烈に「俺たちにはアレが必要!」「コレがなくては成り立たない。生きていけない」と思ってくれる人がいれば、いくつか欠点があってもなんとか生き延びることができます。
反対にそういった「絶対必要だ!」という声が誰からも得られないと、ちょっとしたことで血祭りにあげられてしまう恐れがあります。
代替の効かない、「なくてはならないもの」になること。
そうしなければ、ちょっと不況がやってくると、もしくは、ちょっとヒステリックなマスコミや大衆に目をつけられると、一気に抹殺されてしまう。
要らないよ、と言われてしまう。
商品であれ人間であれ企業であれ、そんな気がした事件でした。