昭和最後の日

昭和最後の日、1989年 1月 7日、朝の 7時すぎにオフィスに着くとスグに全員が集められました。

神妙な表情の上司は、「今日は休日になります。すぐ帰宅するように。間違っても皆で飲みにいったり、ゴルフに行ったりしないように。静かに家の近隣ですごしてください」と告げ、社員はみな帰途につきました。


朝、家を出る前のテレビでは、アナウンサーのネクタイは既に黒かったけれど、天皇崩御をまだ確定的には伝えていませんでした。

しかしその 40分後に会社に着いた時には、既にオフィスビル一階のホールが薄暗く(照明が半分、消してあった)、「ああ、そうなのね」とわかりました。

皇居に近い場所に会社があったので、記帳して帰りました。たくさんの人が集まっていましたが、話す人も少なく、静寂そのものでした。


その後、自宅に戻ってVHSテープ(!)を 3倍モードにし、NHKの録画を始めました。

そして友人とドライブに出かけたのです。名付けて「昭和最後の日を見ておこうよ!」ドライブ。これは本当におもしろかった。

最も驚いたのは、その日の夜 11時 45分に首都高速に乗ったら、領収書は昭和 64年になってたのに、12時(夜中)から 30分たってもう一回乗ったら今度は 1989年になってたこと。機械から出てくる印刷された領収書なのに・・だよ。


昭和 64年 1月 8日というレシートが欲しかったのですが、手に入りませんでした。

それにしても手際がよすぎます。

たしかに昭和天皇は年末からずっと危篤状態だったから、そういった準備も整えられたのでしょう。そういえばカレンダー業界も周到に準備していると言われてました。



(崩御の日の日経新聞夕刊・ちきりん保有)


銀座のデパートの対応も迅速でした。なんとその日の午前中には、ショーウインドーの中がすべて、白い菊で埋まっていたのです。

前日まで溢れていたお正月用の飾りはキレイに片付けられ、残っているマネキンは黒の喪服を着せられていました。なんという準備の良さ!

海外の皇室や王室のある国でも、元首崩御の際にはこんなことになってるんでしょうか? 

それとも日本だけ?? ショーウインドーの中を埋め尽くす白い菊と、その中に直立する喪服姿のマネキンを見ながらしばしボー然としました。


「すごすぎる。 みんな完璧なマニュアルを作ってたんだな」と理解しました。

デパートだけではなく、丸の内のビル一階店舗のショーウインドウもいつの間にかすべて白い菊で埋まっていました。

花なんて長期保存ができないのに、どうやってこれだけの白い菊を用意したのか、いつ誰がこれだけ大量の花を各ビルに配送したのか・・・ものすごいロジスティックス能力だと関心しました。


また、いろんなファミレスにも入ってみました。

すると、すかいらーくなど上場系チェーン店では、メニューのお頭付きのお刺身など、お正月用の“おめでたい”メニューにはすべて上からシールが貼ってあり、「都合により、この商品は本日はご提供できません」と書いてありました。

シールまで用意してるなんて準備周到ですよね。当然、どのメニューを提供中止にするかも、事前に決めてあったのでしょう。


ところがその同じ夜、チェーン店ではない個人経営の居酒屋や割烹に入ると、いつもどおり“お正月限定! お頭付き活け作り”メニューが提供されていました。

1月8日ってまだまだお正月モードですからね。


その時、ちきりんは理解したんです。上場会社と個人経営での店では、“万一の事態への備え”が全然違うんだな、と。

上場しているような“しっかりした組織”では、万が一の時に何をどうすべきか、ちゃんと事前に考えているんです。

でも、個人経営のお店はそんなこと考えても無い店が大半。


この日の体験は私が“会社組織”の動き方と個人の動き方がいかに違うものか、強烈に意識させられた記憶として長く残ることになりました。



また明日

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/