「ゴールドカラー層の形成」という趣旨の論文(Robert Earl Kelley (1985). The Gold-Collar Worker)を読んだのはもう 10年以上も前ですが、最近はこの動きが現実になってきたようです。
それにしても学者ってすごいです。
何十年も前に「世の中がこれからどうなっていくか」を学術的に推測できるのだから、軽く嫉妬を感じるほどです。
ざっくりした内容を紹介すると、
その昔、第一次産業から第二次・第三次産業への移行期に、ブルーカラー層とホワイトカラー層が分離しました。
昔は大半の人が農民や工場労働者などブルーカラーだったのに、その息子や娘が営業職や事務職に就きはじめます。ブルーカラーとホワイトカラーの分離です。
この次の段階として、先進国ではホワイトカラー層からゴールドカラー層が分離する、というんです。
論文の中では、先進国ではブルーカラー層が減少するだろうと予測されてます。
たしかにそうですよね。日本でも工場自体が減り、そこで働く人も大幅に減少しました。農業従事者も激減です。
かわりにサービス業で接客業に就く人がでてきていますが、こういった仕事でも、アジアからの留学生に頼る職場が増えています。こうして、“日本人”からはブルーカラー層が消えていきつつあるわけです。
先進国の人がブルーカラー的な仕事をしなくなるのはヨーロッパも同じです。
ドイツなど失業率が 15 %を超えていても、道路工事や清掃系の仕事はトルコ移民や出稼ぎの人がやるもの、という感じになってます。
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ホワイトカラーから分岐して新たに現れるゴールドカラー層とは何かという話ですが、その特徴は「人生における移動距離が圧倒的に長いこと」とされています。
たとえばブルーカラー層は、生まれた町で高校まででて、隣町の工場に勤め、配偶者とは近くのバーで出会い、子どもも地域の学校で育つ。ので、人生は半径 50キロくらいのエリアで完結します。
ところが、ホワイトカラー層は一生の間に数百キロは移動します。
日本で言えば、金沢に生まれ育って、東京で大学に行き、大阪に配属になったりします。
妻の実家は仙台だとしましょう。東京・大阪間が約 600キロ。人生はだいたい半径 500キロくらいの範囲を舞台として繰り広げられるわけです。
それに比べて、ゴールドカラー層は、数千キロ動きます。半径数千キロというのは、つまり世界を股に掛けるということです。
先日、雑誌に載っていた米国の投資銀行のチーフエコノミストの方。
中国の田舎生まれで、清華大学(中国の理系のトップ大学)の工学部で博士号をとり、その後ハーバード大学で経済学の博士号をとって国際機関で働き、今は、米系の投資銀行で働く傍ら、中国政府のアドバイザーもやっている、と書いてありました。
この“移動の距離”が彼がゴールドカラーであることを示しているのです。
日本人でもそういう生き方を始める人がでています。
日本の田舎で生まれて、今は米国で活躍する野球選手、ずっと日本で育ったけどシリコンバレーで起業する人、20代でアジアに渡り、タイやベトナムで働く人。音楽家を志す子供もすごく早い段階からヨーロッパに行って教育を受け始めたりね。
最近ではごく普通の人でも、日本(半径数百キロで行けてしまう範囲)を越えた選択肢の中で、「どこの大学に行こうか?」と考える人がでてきています。
「人生の舞台の半径が、ヒト桁違う」
これがゴールドカラー層の特徴です。
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もうひとつの特徴は、ゴールドカラーは「誰にも使われない」ということです。
ブルーカラー層の人もホワイトカラー層の人も、結局は「使われている=雇われている」人です。
部長や課長や工場長や社長の指示を受けて仕事をしているし、そもそも「就職活動をする」というのは「会社に選んでもらう」人生だってことです。
一方のゴールドカラー層の人たちは、「会社に選んでもらう」のではなく「会社を選ぶ」人達です。
だから「一生同じ会社」などには所属しません。高成長を続ける自分にふさわしい会社を次々と選んでいきます。時には自分で会社を作ったりもします
「できるだけいい組織に選んでもらいたい!」と考えるブルーカラーやホワイトカラーの人たちと、「でいるだけいい組織を、自分が選ぶのだ」と考えるゴールドカラーの人たちでは、組織と個人の関係が真逆です。
もちろん日々の仕事においても、自分でやるべき事を判断、提案しながらやっていく。指示されて作業するのではなく、成果で評価され、その達成方法は自分で考える。
だからホワイトカラーの人は組織や上司に愚痴ばかりいいがちですが、ゴールドカラーの人はそういう愚痴とは無縁です。
だって嫌なら転職すればいいし、自分で組織を変えてもいいからです。
上の例にだしたチーフエコノミストも、投資銀行から給与をもらっており、形としては「雇われている」わけですが、
別に首になっても大した問題じゃないし、首にならなくても時期がくれば自分で次の仕事を選んで転職していきます。
つまり、使われているわけではなく、対等の立場で雇用契約を締結し、報酬をもらっているという感じ。
もっと言えば、自分のキャリア形成や、自分が人生で達成したいことのために、適宜必要な大学や会社を“利用・活用している”のです。
これが、ゴールドカラーの人の特徴です。
「どうやったら自分は選んでもらえるか」ということを気にしない人たち。「次は何を選ぼうか」と“選ぶ視点”で考える人たちです。
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もうひとつ印象的だった点、それは「こういった社会層は発現から 3代で定着する」という一節でした。
ブルーカラー層とホワイトカラー層の分化が始まった頃は、お父さんは農家、お兄さんは工場で働いて、弟が大企業でホワイトカラー、というのがあり得ました。
しかし 3代たつと大半の家は「家族全員がブルーカラー」か「家族全員がホワイトカラー」というように「家族ごとに分離・定着」してしまう、と。
そして今後は同じことが、ホワイトカラーとゴールドカラーにも起りますよ、と予想するのです。
ここから数十年は、ひとつの家に、長男はゴールドカラー、次男はホワイトカラー、三男は親の農地を継いで耕作している、みたいなこともあり得ます。だって過渡期だから。
それが 3代たてば、「父も母も兄も妹もゴールドカラー」という家がでてくる。
一方で「ゴールドカラーの人なんて親戚中に誰もいない。うちは家族全員ホワイトカラーだよ」という家もでてくる。
ゆっくりと、でも確実に、今の「ホワイトカラー家庭」は、「ホワイトカラー家庭」と「ゴールドカラー家庭」に分化する、ってことです。
たとえば、自分の子供にたいして「いい大学をでて、いい会社にはいれる(=いい会社に選んでもらえる)ように育ててあげたい」と考え、高い塾の授業料を払いながらお受験をする家庭もありますよね。
でも、そういう方法で育つのはあくまで「ホワイトカラーになる子供」です。親も子もホワイトカラーで終わり。
でもあるところで、親はホワイトカラーだけど、子供はゴールドカラーという家がでてくる。そして、そのうち、「親も子もゴールドカラーで、ホワイトカラーなんて眼中にない」という家庭がでてくる。
子供をゴールドカラー層に育てるには英語を学ばせればいいんだろって?
そうではありません。その発想が既にホワイトカラー層のものです。
なぜなら「親にいわれたから英会話学校に通っている」というのも「指示されたことをやる人」に過ぎないから。
ゴールドカラーとは自分で路を選ぶ人達です。
小さい頃から“人と同じことを人より上手くやれた”ことではなく、“他人と違う言動”を褒めてもらえないと、そういう子は育ちません。
突拍子もないことを言い出しても応援してもらえる。「そんな馬鹿なことを言わずにとりあえず勉強しなさい」などとは決して言われない。そういう環境から彼らは育っていくのです。
ある意味では「素直なよい子」とは対極にあるところから、そういう人達が育っていくのだということ。
それもちょっと楽しみだったりします。