足りないのはどっち?

日経新聞の経済教室っていうコラムで、少し前にふたつの相反するような文章を読みました。

ひとつは、誰だったかノーベル賞受賞学者が書いた「日本は理科教育を復興させなければならない」的な意見。そしてもう一つは、「日本が今必要なのは、文系高等教育の充実だ」という意見でした。

これらを読んだ時、意見は全く反対ながら、どちらもおもしろいなと思ったのだけど、今日、ソニーが犬型ロボット、アイボ(ミス変換では「愛慕」!)の新規開発を停止したという記事を読んで、ふたつの論文について思い出しました。

「結局、足りないのはどっちなんだろう?」って。


★★★


よく、日本はロボット開発では世界の先端を言ってると聞きます。「日本には手塚治虫がいたから」と言う人もいる。幼い頃アトムに熱狂した人たちが、今、企業でロボット開発の最先端にいると。

ロボットを開発するというのは、企業に三つの余裕があることを示しています。

資金力、技術力、そして組織のゆとり、の三つ。


なぜなら、ロボットはまだ単独で儲かるビジネスじゃないからね。ホンダもトヨタもソニーも、金、技術、組織に余裕があるからロボット開発をやってきたわけです。


今回ソニーが愛慕(アイボです・・)の開発を止めるのは「んなことやってる場合ではない」という決断を象徴的に表すためでしょう。「人の首を切りたくないなら、儲からないビジネスは切るぞ」と。

初の米国人新CEOは、ソニーの日本的体質に阻まれ、思い切ったリストラができていない、と欧米経済誌から叩かれてきました。だから今回の決断はひとつの決意を表したものと言えます。

ロボットに特別な感情を持たない米国人的な視点からみれば、そして今流行のROEだったり時価総額だったりの数字を見れば、ソニーがアイボを作り続ける合理性は見つけられないのでしょう。

まあ、そうかもねって思います。


ちきりんは、ロボット開発って、技術に置ける茶道だとよく思っています。お茶は、着物・陶器・掛け軸(書)から着物まで、様々なことを理解しないと楽しめない総合芸術だと言われてるんだけど、ロボット開発もそういうところがあるなと。

視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触感を代替するための様々なセンサー、細かい動作を実現する機械工学的な緻密さ、その駆動を超小型の機器で支える高度なエネルギー効率利用システム、そして人工知能を実現する高性能な半導体に、洗練されたプログラム、そして生物学的な人の脳の機能のリプリケーション。総ての技術がそこに凝縮しています。

だからソニーがそれを止めるってニュースは、かなり残念な感じに思います。


★★★


今回のソニー経営危機の最大の原因は、テレビでの主導権を失ったことでしょう。

テレビは家電はいろんな意味で、「家電の王様」で、ブラウン管テレビの世界では、ソニーは長らく世界のトップ企業でした。ソニーのトリニトロン技術が(何が凄いのか知りませんが)、ソニーを世界一にした。


でも、いろいろ見誤り、ソニーのテレビに「サムソン製」の液晶を搭載したあたりから、完全に間違えた。

消費者は「ソニー製品」という“ブランド”を買っていたのに、サムソンの液晶を搭載した液晶テレビでは、お話しにならないよね。


一方、シャープは液晶を日本の工場で作ると決めました。

日本の技術がすばらしいという理由ではなく、海外の工場で作ると技術流出が起こるからでしょう。あとは、「地元に大企業が欲しい」自治体が、めちゃくちゃな好条件を提示してくれたからかな。


とはいえ、日本で生産すればコスト競争力は失われる。だから「亀山工場製です」と命名して売り始めた。「工場のブランド化」ってやつですね。

たしかに今までも、アジアや中東に於いては、同じソニー製品でも「made in Japan」製品は「made in Taiwan」製品より何割も高く売られていました。

アジアや中東では「どこで生産されたか」までプレミアムの元になってたわけです。(洋服のダナキャランも当初、すべての高級品を中国で生産し、失敗しました。その後、高級服は made in Italyでなくてはならないと気が付いて方向転換しました)


これまでソニーブランドは、海外でも圧倒的にブランド価値が高かった。パナソニックやシャープとも一線を画すくらいにね。

そのブランドを、こんなに大事にしなくていーんだろうか。

アイボの開発停止でソニーが失うものは、最先端技術開発力なの? それとも、「利益は生まないが夢を生むタイプのロボットを創る会社」というイメージなの?


必要なのは、最先端技術を支える理系教育なのか? それとも経営を支える文系高等教育なのか?


とってもおもしろい小論文を読んだと思う。


おわりです。