おもしろい

高校の世界史未履修問題って、おもしろすぎる・・・

現実の社会って本当におもしろい。人間もすごいおもしろい。ちきりんは、ホント社会科学系の人間だ。


何がそんなにおもしろいか?


(1)「ある問題」が「見逃される範囲」が、「どこで閾値を超えるのか」?というのが、おもしろい。これは社会系の研究テーマに成り得るレベルの課題だと思うよ。

今までは、校長も教育委員会も、そして(まだ大声では言われていないようだけど)文部省の小役人も、「まあ、しゃーないか」と思っていたんです。指導要領には反してるけど、現実的にしゃーないやろ、と。

ところが、ある日突然に、それは「許されないこと」に変化する。

日本全体が「許せん」と言い出す。言わざるを得なくなる。


この「とある問題」が「問題視されない世界」と「問題視される世界」の境界線はどこにあるのか?マスコミの報道か?問題の拡散度合いか?それともリカバーにかかる犠牲の大きさか?

考え始めると寝られなくなるくらいおもしろいトピックだ。



(2)もうひとつ、この問題のおもしろい理由。それは、内包する(ひとつ下のレベルの)問題の多様性と複雑性です。


これ、いくつかの異なる問題を含んでいるでしょ。たとえば、

・そもそも何を高校での必修とすべきなのか?
・なんで日本史じゃなくて世界史が必修なんだ??
・高校での必修と国立大学が受験で求めるものの整合性はどうあるべきか?
・地方の公立高校は、どうやって東京の私立と競争するのか?
・文部省と教育委員会と校長の責任と権限の範囲は?
・学校の犯罪の罰を、生徒が受けるのは、問題ないのか?(アメリカだと、生徒が校長を訴えるわけですが。)
・なぜこんなことが起こったのか?
・今の3年生は、じゃあ、世界史勉強するまで卒業させないのか?
・すでに卒業しちゃった人は、どーすんだ?

などなど。


これらの問題を「どう構造化するか」というのが、まず最初に行われるべき議論なのだが、世の中には、そういうことを最初に議論するという方法論が定着していない。

だから、これらの問題は構造化されることも、問題としての適切さを議論されることもないまま、いきなり「解はこれではないか?」みたいな、思いつきに支配された、お手軽な議論に時間が費やされる。

その混乱が、また大好きなちきりんではあるのだが、一方でこの問題群の構造化について、紙と鉛筆をもって考え始めたりすると・・・気づかぬうちに、いつのまにか朝になってしまったりする。



(3)そして最後に、「現実的な解」にも、すごい興味をもつちきりんです。具体的には、
・既に卒業しちゃった人
・今の3年生
・これからの高校生
に対して、どんな策がとられるのかしらね〜ってこと。



人間って「現実的な解」を捻りだし、そしてそれがあたかも「正当な解」であるかのように理屈づけるのが、すごい「うまい」のだ。その創造性とツラの厚さに、ちきりんはいつもホレボレする。

それを是非見てみたい。そこにも関心がある。です。

★★★

ちきりんは大学受験科目には日本史と政治経済を選びました。でも、確かに世界史も履修した記憶がある。そーか、だからだったのね、って感じだ。

3年生の時は受験に関係のない世界史の勉強は徹底的に手抜きしました。今から思えば世界史もちゃんと勉強しておけばよかったかなと思う一方で、歴史なんて後からでもいくらでも勉強できるから、たいした問題でもないとは思う。(たとえば、物理とかに比べたら圧倒的に独学しやすい。)

あの頃の通信簿、今でもあるけど、世界史って10段階で、2とか3とかがついてます。「けったくそわるいなあ」と思います。(超方言です。)


んではまた!