“妥当な値段”

何かの値段を聞いた時、“高い”もしくは“安い”と感じる個人の金銭感覚には大きなバラツキがあります。

収入や資産など経済力の差に加えて価値観の違いもあり、同じ値段でも高いと思う人、安いと思う人がいます。様々な人が持つ“妥当な値段”という感覚。これが結構おもしろい。


たとえば衣料品やファッション雑貨の価格帯は、すごくきれいに複数の層=レイヤーに分かれています。

(1) 普段は数千円の衣服、雑貨、鞄を買っている人なら、一点 2万円のバッグやセーターは高級品に思えるでしょう。

(2) 2ー3万円のものは普段からよく買う。でも、5万円を超えると“高い”と感じ、“ブランド品だから”等と自分を納得させないと買えない、という人もいます。


さらに (3) 5〜 10万円のものを買うことはよくある。でも 30万円を超えるスーツやコートは“高いなあ”と思う人もいるし

(4) ごく日常的に 20〜 40万円のものを買っているが、この指輪は 200万円ですといわれると、ちょっと高いと感じ、買うには“限定品だから”“記念日のプレゼントだから”など特別な理由が必要、という人達もいる。


ここから先の人は数は少ないですが、でも確実に存在していて、

(5) 日常的に 100万円単位の買い物をする。でも「この宝石は 1000万円です」と言われると、主人に相談してからにしようかな、と思うレベルの人もいます。

こういう人は行きつけのブランド店でお店に入るとすぐに奥のソファに通され、お茶が出してもらえます。そのまだ上もあるでしょう。

(6) 買い物する時に値段なんて見ない人達。宝石箱には数百万、数千万円の指輪が並んでいるし、着物から置物まで芸術品。ご主人は数千万円の車に改造費をたっぷりかけて注文し、しかも複数台保有、という人です。


★★★


どのレイヤーにいる消費者も「自分にとって正当化できる価格」と「自分には正当化できない馬鹿げた価格」のふたつだけを認識しています。


例えば (3)の「 5万円程度の洋服や鞄はよく買っているが、30万円のコートは簡単には買えない。」というレベルの人は次のように考えます。

この 5万円の鞄は作りもいいし、皮も上質。使い勝手もいいし、それだけの価値はある。“一生モノ”だから安物買いの銭失いになるよりはよっぽどお得だわ。


でもこっちの 30万円のコートは、あきらかにブランドマークの値段よね。実際それだけの価値があるとは思えないわ。流行廃りもあるし、汚れるかも。こんな値段のものを買うのはばかげているわ。


この人にとって“ 30万円のコートが馬鹿げた値段である本当の理由”は、それが自分には簡単に手に入らないものだから、なのですが、人はそれを“馬鹿げた価格”と呼ぶことにより自分がそれを買わないことを正当化します。「私の経済力では買えない」のではなく、「賢い消費者の私は、あんな馬鹿げた値段のものは買わない」と理解しようとするのです。

そして (4) や (5)の人も、(1) や (2)の人も同じように思っています。“客観的な妥当な値段”なんてのは存在しないのです。


食べ物でも同じですよね。「ひとり 10万円のコース料理なんてばかげてる!」と思う人は、「やっぱりお値段だけのことはある」と言って1万円のコースを食べにいきます。

でも毎日のランチが 500円以下という人にすれば、「 1万円の食事なんて無駄遣いの骨頂」となります。一方、「やっぱり 10万円くらい出すとまともなモノが食べられるよね。素材もいいし、シェフも一流だし、価値があるよね。」と言う人もいます。

ここにも“絶対的な妥当な値段の水準”なんてないのです。誰もが、「自分が買っているものは品質がいいからそれだけの値段を払っているのだ。妥当な値段なのだ。」と考え、

自分が買わない、一段上の値段のものに関しては「あんな馬鹿高い額を払ってブランドモノが欲しいなんてバカみたいだ」と思うわけです。


なぜこんなことが起るのかといえば、市場が分断されており、消費者には自分が手の届くレベルと、その一段上しか見えていないためです。

日常生活において消費者は“自分が馬鹿げてると思う値段のもの”を日常的に買う人にも会わないし、“自分がお得だと感じているもの”を「馬鹿げた値段」と言い切る人とも会いません。

そのための方法のひとつが“情報の遮断”、です。超高級店は“関係のない層の人の目に付きやすい場所”に店を出すことを慎重に避け、広告も“誰でも見られる”テレビや新聞には出しません。

高級ホテルのインハウスマガジンへの広告や、高位のクレジットカードホルダー、特殊な会員制クラブメンバーへのDMしか出さなければ、違う層の人に広告さえ見つからずにすみます。店舗の入り口を重厚感と威圧感のある作りにし、“間違った人”が入ってこないように工夫します。

こうして消費者は、まるで世の中には「自分が考える妥当な値段のもの」と「馬鹿げた値段のもの」しか存在しないかのように感じ、楽しくお買い物できる、というわけです。


★★★


ところで、実は「経済成長とは、“人々が妥当だと思う値段”が全体として少しずつ上がっていくプロセス」でもあります。

昔は皆が 1万円のものを高級品だと思っていたのに、そのうち多くの人が「 1万円なら普及品、高級品とは 3万円から」という感覚に変わっていく。そして全体に売れ筋商品の平均価格が上がっていきます。


この「妥当価格」の切り上げのためには、経済成長とそれに伴う収入の伸びに加えて、「より高い価格を正当化する理屈、理由、ストーリー」が必要です。それがないと、人は「妥当性」を正当化することができません。

「高くても価値があるんだな」と、消費者がより高い価格を正当化しやすくなるストーリー、たとえば「このブドウはこの畑でしかとれない」とか「日本に何人かしかいない職人が何ヶ月かけて作った」「この店は創業 200年で天皇家にも納めてて」とかね。

そういうストーリーを感動的に盛り上げることによって、商品、サービス自体の本質的な効用は何も変わらないのにプレミアム価格の妥当性が形成されていくのです。


ホテルも昔は一泊 1万円で超高級だった。それがバブル期は一泊 2〜 3万円でも“妥当な値段”になった。ここ数年で東京都心に大量進出している欧米のホテルの場合、一泊 4万円から 6万円くらいですよね。

ホテルなんてベッドとデスクがあって、バストイレが付いていて、という本質的なところに大きな差はない。設備が新しいとか少し広いとか家具が豪華だとかの違いはあるにしても、それだけじゃあせいぜい半日ほどしか過ごさない場所に 6万円は出してもらえない。

そこでその値段を正当化するために、「究極のサービス」、「世界のセレブが定宿として使用」などの「物語り」が喧伝される。


社内研修を感動ドラマ諷に演出して「○○ホテルグループでは、こうやって世界に通用する特別なホテルマンを生み出しています」などとテレビで特集することもあります。

そういうのを見てるうちに「 1泊 6万円なんてありえない」と言っていた人達が、「あのホテルのサービスにはそれだけの価値があるんだ!」と言い出す。

・・・単なる幻想ですよね。

客観的に見ればそんなのは普通の研修だし、帝国ホテルのサービスは、一泊 2万円の時代から今の欧米高級ホテルのサービスに何の見劣りもしなかった。

でもそんなことを言っていたら経済レベルが“ランクアップ”しない。一泊 6万円を「妥当な値段なのだ」と認識する社会層が作りだされないと、消費市場は拡大しない。


反対に人々が「妥当な価格」を競って切り下げ始めると、景気が良くなることはありません。

「松茸も椎茸も胃腸に入ったら同じ」と言いだしたら、「車なんて走ればいいのだ」と言いだしたら、高いモノは売れなくなり消費市場はどんどん縮小してしまいます。

いかにして人々が感じる“妥当な価格”を引き上げていくか、そこがビジネスの腕の見せ所、ということなのでしょう。


んじゃね。



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