起業家達の2008年

リーマンショックから始まった世界の金融混乱、その結果としての信用収縮が不動産業界を直撃したことにより、逝ってしまったふたつの会社について書いておきたいと思います。


株式会社リプラス

創業者社長は、姜 裕文(かん・ひろふみ)氏。1971年(昭和46年)兵庫県生まれ。

灘高から東大経済学部へ。大学時代は芝居にのめり込む。95年に新卒でボストンコンサルティンググループ(BCG)=戦略コンサルティング会社に就職し3年在籍。

その後、家業の経営に参画するが“理屈と理想”に先走った改革が大失敗。創業者である祖父に会社を追い出される。

2000年、BCGの大物パートナーが退職して創業したドリームインキュベーターというベンチャーキャピタル(かな?)の創業に誘われ執行役員として参加。

2002年、株式会社リプラスを創業。

「保証人や多額の保証金、敷金、礼金等がなくてもアパートが借りられる仕組み」を提供する事業を開始。フリーターや元ホームレス、留学生でもアパートが借りられるということで事業は急成長。会社は2004年年末に東証マザーズに上場。最近は不動産開発投資事業にも積極的に関与。

今年 8月民事再生の申請。従業員(単体)で 800人弱。



都市デザインシステム

代表梶原文生。1965年東京生まれ。

1989年、東北大学工学部建築学科卒業。大学時代はボート部に所属。卒業後、起業のための 3年間と考えて、リクルートコスモス社に入社。マンションの設計、営業、企画などを経験。

1992年 都市デザインシステム設立。コーポラティブハウスのコーディネイト事業を開始。

最近は、古いホテルのデザインホテルへのリノベーションや、企業の社員寮を老人ホームへ改修転用するコンバージョン事業、大規模なリゾート開発などにも事業を拡大。

今年 8月、民事再生法の適用を申請。従業員は 200名弱。


★★★


今あなたが大学生で、将来起業したいと思っていて、もしもある程度成功したと思える時がきたならば、こういう人にアドバイスをもらいに行けばいいと思う。

個人的な指向と事情があうならば、順調に成長しつつあるあなたの会社の取締役への就任を依頼するのもいいかもしれない。

このふたりがもつ経験値は、まさにこれからの若き起業家達に必要な知恵そのものだから。


孫正義氏が起業を考えていた頃、当時日本マクドナルドを率いていた藤田田氏を訪ねてアドバイスを乞うた話は有名だけれど、溢れ出るエネルギーと高い志、新しいものへの強い希求をもって起業する若い人達にとって、波乱の歴史の中で様々な成功と失敗の経験をもつ先輩達の助言は、千金の価値を持つはず。

シリコンバレーが起業家の孵化エリアとしてもつ機能の一つは、こうした“起業家としての先輩”がすぐ近くにたくさんいて、それぞれの発展段階で必要な知恵と助言を与えてくれる先輩を、しかも自分に合う人を、容易に見つけられることだと思う。

“日本でもベンチャーが育つ風土を”という試みはお役所主導で何度も行われているけれど、日本で若い起業家達に意味ある助言ができる経営者はまだ多くありません。

孫氏が藤田氏を訪ねたのも、経団連企業のような大企業だの財閥企業だのの“組織内部で上り詰めた型の社長”に会っても、自分にとって意味ある助言が得られないと考えたからでしょう。

ましてや日本で一番保守的な選択をした公務員の人達に“起業家支援”とか言われても・・って感じだよね。

その他にも、孫氏は京セラの稲盛氏にも助言をもらいによく通っていた。稲森氏も創業型の社長であり世界を舞台にできる起業を育てた経営者です。孫社長が、“自分に必要な知恵を誰が持っているか、ということに極めて意識的”だったとがよくわかります。


日本に起業という産業が(起業という生き方ではなくて)根付くためには、一定数の起業経験のある人達の層が必要となります。これから相当数の起業家がでてこないと、“企業の成長の各段階でアドバイスをしてくれる、成功経験者と失敗経験者”が揃わない。

でも今後は、そういう人も少しずつ増えてくるよね、と、上記 2社の破綻を聞いて、ちきりんは感じました。「この破綻の経験は、これから起業する人達にも、むっちゃ役に立つでしょ」と。


★★★


日本における起業家の歴史をどこまで遡るか。パナソニックもホンダもソニーも、その“創業のストーリー”はまだ色あせていないし、それぞれの創業者達もとても魅力的です。


とはいえ、もうちょっと近いところから始めれば、ちきりん的には 1999 / 2000年辺りの“IT起業ブーム”が第一次起業ブームだったと思う。

当時、若者達は夜な夜な渋谷に集まり、連日名刺を配り集めるだけの“ネットワーキング”を“起業準備”だと思っていた。彼らの集まりに専用飛行機だかヘリだかで駆けつけた孫さんは、彼らの時代のヒーローでした。


2000年にITバブルが弾けた後にやってきた二次ブームの担い手達が、一次ブームから抜け出た“ホリエモン”であり折口氏、三木谷氏などです。

彼らは時代の波を捉え、“六本木ヒルズ”という成功の館に集まります。資本という権力を手にいれた彼らは、高らかに既存勢力との戦いを宣言したけれど、その多くが“体制側にある権力”や“既存制度の巧妙さ”にねじ伏せられ退散せざるを得ませんでした。


最初に書いたリプラスの姜社長と都市デザインシステムの梶原社長は、その後の起業グループです。第一次の起業家達は“時代のブームに乗った”人達。二番目のグループは、無謀ともいえるその言動が特徴的な“社会からとんがりでた人達”でした。


ではリプラスと都市デザインシステムの共通点は?


(1)ふたりとも最初から起業を目指してた

姜氏の選んだキャリア(外資系コンサルティング→実業経営参画→創業に参加)は、今となってはあまりにも典型的な“起業への道”だし、梶原氏も最初から“業界の仕組みを学ぶために 3年だけ働く”と決めて就職しています。

ふたりとも“最終的には起業する”と決めていて、そのために新卒時の就職をしてる。“何も考えずに興銀に入った”三木谷社長とは異なるキャリアの選び方です。


(2)社会構造の変革を目指してた

姜氏がなぜ“保証人がいなくてもアパートが借りられるシステム”を作ろうと思ったか、理解できない人はいないでしょう。

梶原氏が始めた“コーポラティブハウス”は、一生をかけてなローンを組んで買う家という商品が、あまりにも供給者側の論理で作られていることへの、建築を学んだ学生からの素朴な反発だったと思います。

ふたりとも「今の制度はおかしいだろう? 世の中はこうあるべきだ!」という気持ちから、最初の事業を選んでいます。


(3)どんどん“普通”に近づいてる

第一次起業ブームの時、『ネット起業! あのバカにやらせてみよう』という本がでてました。これは当時のブームをよく表している。当時起業していたのはまさに「あのバカ」であり、そこにでてくる人達は、ちょっと自分の周りにはいないよね(いると困るよね)と思えるほど変わった人達でした。

第二次ブームの人達は、それよりは普通の人達だし、事業内容もより現実的。

しかしながら彼らの既存産業との戦い方は、やはり既存のビジネス常識からはかけ離れていたんだと思います。制度ができたばかりの介護事業になんのノウハウもないところから参入したり、テレビ局を買収、野球球団を保有するなど、猛スピードで既存の体制を変えようとしたり・・・。

「なんでそこまで過激で戦闘的かな」と思うような仕事のやり方や、創業者であるトップがテレビにでまくり「広告塔」となって企業価値をあげ、事業拡大に利用するモデルもこの時期の特徴だったと思います。

今回のふたりも、“平均的な大学生”ではなかったかもしれないけれど、とはいえ、ものすごく特殊、という感じもしません。

仕事のやり方も、世間に喧嘩を売るようなやり方ではありません。起業家が、起業するということが、どんどん“普通のこと”になってきている、と感じられます。


(4)企業の誕生、成長、終焉のパターンが同じ

第一次ブームの起業は、潰れたというより“始まってなかった”って感じがします。中身のないことがブームで騒がれ、ブームが終わるとなくなった、それだけ。

第二次ブームの人達は、株式公開が間に合った。株価が高いうちに多額の資本を手に入れた。それを元にして、成長をドライブ。そして潰れ方も共通している。“無茶をして調子に乗りすぎ、既存権力に潰されました”ってパターン。

今回の 2社も、その軌道を一つにしています。


創業はバブルの後で必ずしも景気のいい時ではない。社会の“おかしさ”に目をつけた若者が、有るべき姿を目指して起業。ニッチ市場ではあるけれど、一定のニーズを掴んで成長する。

でも、ニッチな分野だけでは既存の産業に追いつけません。

結局はどんどんレバレッジを掛けて事業を拡大していく必要があります。その矢先、リーマンショックで資金が完全に引き揚げられ、すべてが終わってしまう。


事業そのものとは無関係に見える「信用収縮」ということが、これだけ簡単に何年もの創意工夫と努力と熱意をかけた事業を一瞬にして潰してしまうのだという事実は、彼らにとって驚愕であり、文字通り信じられないことだろうし、茫然自失の出来事だと思います。

だからこそ、“起業家としての経験”という目で、この二人と二社の歩みを見れば、まさに今回の破綻こそが「こんなに貴重な経験をもつ人達が日本にも出てきた始めたよ!!」という声を上げたくなるほどの価値ある経験と学びだと思える。

こういう人こそが、日本にたくさん必要なのだよね。こういう衝撃的な体験をした人がたくさんいて、後輩にアドバイスを始めて、そして初めて日本でも、企業成長の各ステージにおける種々の難関を乗り越えられる人が出てき始める。


★★★


第一次ブームで「そうか、事業実体がないと単に仲間で盛り上がって起業してもあかんのだな」と気がついた。

第二次ブームで「金に物を言わせ、派手に既存産業に喧嘩を売るようなやり方は賢くないな」と学んだ。

そして第三次ブームで「ビジネスはいつ何時何があるかわからない。何十年も成長を続けるには、そういった危機を乗り越えないとだめなんだ」と学んだ起業家たち。


そう。パナソニックやホンダは、オイルショックも円高も対日バッシングも乗り切った。マイクロソフトも多くの訴訟やネット時代への対応遅れを乗り切った。

リーマンショックも含め、こういう「どうしようもないだろ?」と見える危機を乗り切る企業だけが世界トップに駆け上がることができる。

グーグルをはじめ、世界の高みを狙う企業の多くが、経営者のアドバイザリーとして二回りも年代の違うシニアな先達を積極的に迎え入れることにはちゃんとした意味がある、ってことだと思う。



リプラスと都市デザインシステムの破綻は残念なことです。ふたりとも立ち直るのに最低でも数年は必要でしょう。

けれども、彼らが今回手にいれたものは、宝の杖です。彼らがこれからの数年で学んでいくであろうことは、大企業に何十年勤め上げて出世しても決して手に入れられないものなのだから。


何事にも時間のかかる国ではあるけれど、それでも少しずつ進化していると思える。


若者よ。大志を抱いてね。少しずつ、条件は整っていくですよ。


頑張って!


そんじゃーね。