西松建設問題について

この件については、秘書逮捕と政権交代とのタイミング、検察と政治の関係について多くの議論が行われている。ただ、ちきりん的には別の点にも大きなインパクトを感じたので、今日はそっちについて書いておく。


それは「未だにこういう状態なんだよね。」ってこと。


国の公共事業や公的機関の工事、建設は、普通の価格より3割程度は割高な値段で発注される。この“無駄に使われる3割の税金”の最終的な行き先は次の3つだ。(1)工事費を受け取ったゼネコンから政治家への献金として環流する。(2)工事の詳細発注をした官庁の監督業界企業に回され、天下り役人の給与や退職金を支払うのに使われる。(3)闇に消える。

ダムや地方の高速道路、治水事業等はもちろん、箱物行政の象徴である立派な県立の美術館、音楽堂、多目的ホール、“しごと館”などの役所直轄や特殊法人等の施設、それから“かんぽの宿”の建設費用にだって全く同じことが起こっている。

これは列島改造論の頃に、田中角栄氏が完成させた日本の政官財癒着の構造そのものであって、以来40年たった今でもこの構造は全く変わっていない。その「構造を改革」しようという動きさえ既に止まってしまって久しい。


しかも今回のお金の集め方を見ている限り、その無理矢理さかげんが限界まできていたのだろうなということが窺える。献金を受けた時に小沢氏はずっと野党である。日本の財政も逼迫を始め、東北地方の開発に大型発注を続けられる状況でもなかった。

にも関わらず彼に多額の献金をせざるをえないゼネコンの姿勢は、豊富な公共事業費があり、国中が大型開発&大建設のブームに沸いていた40年前とは全く異なる。

当時であれば「どんどん献金してどんどん工事を受注しよう!」ということだろうが、今回の小沢さんのケースではそんな“前向きな”献金ではないだろう。おそらく「あの人に睨まれると東北では工事はできん。とにかく割当て分の負担金を払ってくれ」と幹事ゼネコンに無理矢理割り当てられ、青息吐息の中小&零細地場ゼネコンが泣く泣くひねり出した裏金なのではあるまいか。

野党である小沢さんの“発注側への影響力”は限定的かもしれない。しかし“東北地方での大型工事については、小沢さんが首を縦に振らない限り決まらない”のだとしたら、ちきりんには今回の資金は「政治献金」というより「小沢陣営による恐喝」とさえ言えるようなものなのではないかと思える。それは、祭りの時に暗躍する闇の勢力の、夜店にたいする物言いとおそらく何も変わらない。「おいおまえ、誰の許可を得てここで商売やっとんのや?」ということだ。


昔のように企業側も裏金を簡単に隠したり利用したりできない。役員の誰かが逮捕されるリスクを負ってまで海外から不明金を持ち込まねばならない。余りにも危ない綱渡りが要求される。

政治家側だって、どんどん削減される公共事業や官の事業を民営化から守るのに血眼になっている。ITやエコなどの新しい言葉もすべてを“箱もの建設”に結びつけてこの難局を乗り切ろうとしている。どちらも死にものぐるいの様相で、まさに断末魔のごとく怒気迫るものがある。

関係者全員が古い利権の構造に捕らわれ、逃れられなくなって自壊しつつある。既にその構造が「もたなく」なっており「終わっている」ことに気がつきながら、誰もそこから逃れることはできない。当事者達は皆、40年前に高度成長が終わったことを受け入れられないでいる。


長く野党にいてもゼネコンからこれだけの献金を受けられる小沢さんは「あっぱれ」だと思うが、この理由のひとつはその出身地にもある。「東北」だから、なのだ。ちきりんも何度か「地方をどうするのか」というテーマでエントリを書いているけれど、未だに日本の地方には公共事業以外の解が何もない。

なぜなら「その地方の次の世代の生きていき方」を考える責務を負っている地方出身の政治家自身が公共事業で食べているのだから。彼等には「それ以外の次の方法」を考える動機が全くない。

万が一にも、東北がシリコンバレーなみのハイテクやらITやらの集積的立地になんてなってしまったら、そういう“企業献金”をしてくれない企業ばっかりになってしまったら、東北出身の政治家はおまんまの食い上げである。「未来永劫、公共事業でしか食えない地域」であってくれればこそ、たとえ野党の議員であっても「公共事業がほしいなら、うちに挨拶に来て貰わないとね。」と言える状況が維持できる。


小沢さんのことばかり書いているが、二階氏の和歌山県だって全く同じ状況だろう。ただ、今回は「野党でも影響力がもてる」ということの意味が大きいのだ。

なぜなら、与党でないと献金が受けられないなら、それは「発注側への影響力」問題として捉えられる。しかし、「与党か野党かは問題なく、その地域への影響力があるかどうかがポイントなのだ」と捉えれば、発注への影響力行使とはまた別の、「場所代」的利権が金の源になるということを意味するからだ。

それはまさに「地方のドン」の権益と言えるものなのだ。


今回の問題を「形式犯である」という人達がいる。彼等がわかっていてとぼけているのか、わからずに言っているのかちきりんは知らない。しかし、これは形式犯などではありえない。現行法の抜け道を利用して、従来の利権構造を維持しようとしていたという意味で、とても本質的な“構造問題”と言えるだろう。


小沢さんはよく民主党の若手政治家にたいして「政治を知らない」と言ってきた。「どぶ板選挙をやれ」と言ってきた。そりゃあそうだろう。自民党の多くの政治家や小沢氏のように「地元に密着した」議員は、民主党の若手の中には極めて少ない。

ワープロ打ちの紙をみて「大スキャンダルの証拠だ!」と息巻いたメール事件や、覚醒剤関係の逮捕、キャスターとの不倫問題を見る限り、彼等はそんな古い「土建屋を牛耳る地方のドン」などでは全くない。単なる“SPA!世代の合コン好きの男の子”って感じである。




認可保育園が足りないという理由で、キャリアか出産のいずれかをあきらめざるをえない人がいる。3月末で職と住居を同時に失う、なんの保証もなく違法な労働条件でずうっと働かされてきた人達がいる。どうしようもない状況になってから役所にやってきて、それなのに窓口で生活保護の申請書さえもらえずに門前払いをくらう人もたくさんいる。

介護の現場で、食べていけないような薄給で酷使されている人達がいる。医師不足のせいでたらい回しにされて命を失う救急患者がいる。重い障害があって収入の道がないにも関わらず「自己負担」を求められ、福祉サービスをあきらめなければならない人がたくさんいる。

リハビリの途中で規定の期間が来たからと退院させられる脳疾患の患者さんがいる。米国の何十分の1しか研究費用が補助されない一流の研究者もいる。親のリストラで授業料が払えないため、高校の卒業証書を取り上げられる子達さえいる。


なぜこんなことになっているのかと国民が問うと、政治家と官僚はこう答える。
「財政的に難しい」「国の予算が苦しいのだ」と。



しかし一方で、旧守派の政治家達は、未だに巨額の国の予算の一部をピンハネして懐に入れ、自分達の勢力を拡大するために使っている。

官僚達はそのピンハネを制度的に支援し、ついでに自分達の天下り先にも如才無く資金をネコババして分配している。

それらは紛れもなく私たち国民の税金であるはずだ。


この構造を根本的に変革するのに、私たちにはあと何十年が必要なのだろう?