“縦の壁”もなくなる

最近、知人友人から届く電子メールの文面が短い。


たとえば昔は↓

ちきりん


元気?日焼けは治った?この年になって日焼けするとあとが怖いよ〜
ところで、来週の土曜日ヒマ?○○の家で飲もうって話になってるんだけど、どう?
久しぶりにxxとかも誘うっていってたよ。これそうなら連絡してね。買い出しの分担とか教えるから。


そうそう、この前もらった○○のxx、めちゃ美味しかったね。また食べたいです。
じゃあ、返事まってます。


○○より


今はこんな感じ↓

ちきりん、来週の土曜日ヒマ?○○の家で飲もうって話になってるんだけど、どう?久しぶりにxxとかも誘うらしい。これそうなら連絡してね。買い出し分担とか教えるから。


もしくは、昔が

○○会社 ○○部門
○○ ちきりん様


先日はお忙しいところ、お時間を頂き、大変ありがとうございました。
弊社担当者もちきりん様のお話を大変興味深く思ったようで、是非今後ともプロジェクトを継続していきたいと申しておりました。次は技術部門も含めまして詳細をつめるミーティングを来週あたりに開かせていただきたいと思っています。ご希望の日程、時間帯などありましたらお知らせいただけると幸いです。


プロジェクトの成功のためメンバー一丸となって全力で取り組みます。
ではどうぞよろしくお願いいたします。


○○会社
○○○○

今は↓

ちきりん様、先日のミーティングはすばらしかったです。弊社担当者も感動していました。次回は来週でしょうか。次は技術部門も呼びますね。ご都合のよいお時間等お知らせいただけますか?よろしくお願いします!


何の影響か明らかでしょ・・・メールがツイッター化しているですよ・・・

ちきりんはツイッターを使っていないので、誰かがちきりんに連絡を取ろうとすると電子メールを送ってくれます。その際、先方は一日中ツイッターでつぶやいたり、ダイレクトメッセージで特定の人といろいろ話してるんだけど、たまに(ちきりんのように)ツイッターをやっていない人に連絡する必要もでてくる。その時だけメールするわけで、ついつい“文調”がツイッター諷になる。そりゃあそうなるよね。わかります。


時々、ちきりんのエントリのURL(短縮)をツイッターで孫正義氏や鳩山由紀夫総理に送っている人がいるんです。「総理、この10個を公約にしたら支持率があがりますよ」とか、「孫社長、ちきりんが絶賛してましたよ」とか言って・・・これもね、もしメールだったら、と考えると、まずは(たとえ、総理や孫氏のメールアドレスが公開されていても)そんなことする人はほとんどいないだろうし、加えて、送るとしてもそういう文面ではないですよね。

たとえばツイッターで「総理、この10個を公約にしたら支持率があがりますよ」というメッセージを送っている人も、メールで送れと言われたら・・

内閣総理大臣 鳩山由紀夫様


はじめまして。私は○○県で○○を営んでおります○○と申します。
突然にメールをお送りする無礼をお許しください。


実は昨日、「Chikirinの日記」という人気ブログの「やるべきこと10個」というエントリが大変に注目されました。既にご存じかもしれませんが、この10個を発表されましたら、現在低空飛行を続けております貴内閣の支持率もかなりの上昇が期待できるのではないかと思い、大変僭越ながらここにそのURLをお送りさせていただいている次第です。ご多忙とは存じますが、お時間のある時にお目通しいただけましたら幸いに存じます。


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100506


どうぞよろしくお願いいたします。

○○ ○○

こんな感じになるわけで(ってか、そもそも誰もこんなもん送らないだろうという話ですが)、無意味に丁寧で長くなる。結局のところメールの文章にも「意味があるようで、別に何の意味もない挨拶や言い回し」がたくさん含まれてるのね、ってのがよくわかります。


昔、電子メールがビジネス現場で普及し始めた時にも、「紙の手紙から電子メールへの移行」には、ちょっとした逡巡があった。日本の手紙って様式美があり、時候の挨拶まである。“格別のご厚情”とか、“ご清栄を心からお祈り”とか、意味も読み方もよくわからん慣用句が一杯あり、専門ノウハウ本まであった。

「誰かに会ってもらった後、お礼状を書く」のは今でも同じだと思うけど、当時「礼状はメールではなくて手紙で書くべき」と主張する人もいた。そのうち、「んなもんメールの方が早いんだから」という話になった後も、手紙の様式美や慣用句をどこまで電子メールに持ち込むべきか、という戸惑いがちな試行錯誤の時期があった。

それが数年かけて「メールでもある程度の挨拶や結びは必要、ただし、手紙よりはかなり簡略でOK!」という“業界常識”が浸透した。たとえばメールでは“拝啓・敬具”や時候の挨拶は不要だが、「いつもお世話になっております」「今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」くらいの挨拶&結びは(たとえたいして世話になってない人にたいしても)書け、みたいな。


で、今後はビジネス上の簡単なアポ取りメールやお礼メールなんかもどんどんツイッターに代わっていくんだろうし、その流れの中で、メールで今使われている「ごく簡単な儀礼のための定型文」もなくなっていくんだろう。

しかもこれってリアルの関係性にも影響を与えるよね。たとえば、初めて会った人、もしくは名前は知ってるけど会ったことはない人からメールを貰う。その際、先方のメールが途中からツイッター諷に変る。すると当然ちきりんもツイッター諷に返事をするようになる。だって向こうが短文メールを送ってくるのに、こっちがいちいち挨拶文書いて、結びの一文も書くなんて変でしょ。なのでメールなんだけどお互いに社交辞令句を省いて短文コミニケーションをとるようになる。

で、その後に初めて実際に会うと・・・初対面なのにめっちゃ関係性が近いよね。既にやたらと直球的なメッセージのやりとりをしているのに、いきなり“儀礼的段階”には戻れない・・。

で、「ありゃー」と思ったわけ。これは日本社会には特にいい影響があるよね、と。日本って、組織の外の人と中の人、知らない人と知ってる人、上の人と下(部下)の人、というような「人の距離感」を言葉使いや慣用句的挨拶で表現する社会なのに、140字制限のために儀礼的挨拶の文言を長々と使うことができなくなり、そのことにより、人と人との距離、端的には“ヒエラルキー”が維持できなくなる・・・


いろんな人が「ツイッターすごい!」と言っていて、ちきりんも本当そうだ、すごい、と思うのだけど、特にこの“文字数制限による短文スタイル”という特徴は、他の国に比べて日本社会に与える影響が大きいかも。確固たるヒエラルキーって日本社会の大きな特徴だったわけだから。

というわけで、よく言われているフラット化のお話なんですが、昨日のエントリタイトルにひっかけて、縦の壁(ヒエラルキーの壁)もなくなりますよ、ってことを書いてみた。


そんじゃーね。


Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)

Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)