20年を彷徨う

ひとつ前のエントリで、自民党が税金(機密費)を使って、野党や新聞記者、評論家などを買収していたという話を書きましたけど、ちきりんは必ずしもこの件について誰かを糾弾したいわけではありません。

この話には、平野貞夫氏も話しているように、前提となる「近代史の背景」があります。1945年の終戦の後、すぐに世界は“アメリカの仲間である資本主義陣営”と“ソビエトの仲間である共産主義陣営”に分かれます。

1949年には中国が共産国家として成立し、翌年には朝鮮半島で両陣営が熾烈な戦いを始めました。続いてベルリンには着々と壁が築かれ、1960年からはベトナム戦争も始まっています。日本でも1970年あたりまでは学生の政治運動も盛んでした。アメリカやイギリスのような高度に発展した資本主義国ならともかく、日本を含め、戦争で焼け野原になり既存の価値感が崩壊した国、元々貧しい国では、いつどこが共産国家になっても不思議ではなかったわけです。

そんな中、1955年に保守大合同で生まれた自由民主党の最重要ミッションは、「資本主義国であり続けること、アメリカ陣営の一員であり続けること」でした。経済発展さえそのための手段に過ぎなかったとも解釈できます。日々の生活が改善すれば、多くの人が「資本主義の方がよい」「アメリカについていく方がよさそうだ」と思います。だからアメリカも日本を一生懸命支援してくれたわけです。

その大目的のために沖縄の土地を米軍に提供するのも当然だったし、核の持ち込みにぐちゃぐちゃいわないのもあたりまえでした。そして、野党や言論人を金の力で骨抜きにし、くだらない社会運動が盛り上がらないようにすることもまた、政権与党の大事な仕事だったのです。

経済成長期だったとはいえ、1960年、70年には今よりも貧しい人がたくさんいました。格差だって今より大きかった。それでも、貧困問題を真剣に追求し、大企業優遇策を本気で問題視する野党もマスコミも現れませんでした。自民党による巧妙であからさまな「野党、言論人、飼い慣らし策」が功を奏したのでしょう。

今の政権をみているとわかるように、日本には社会主義的な志向の人がたくさんいます。それでもこれまで日本がソビエトや中国の陣営に入ることなく、資本主義国家として(少なくとも昨年の9月まで)やってこれたのは、これらの裏の施策のおかげともいえるでしょう。機密費は国益を守るために使われたのです。

なので、そういう環境下でのああいった慣行を糾弾するのは先日のエントリの主旨ではありません。ちきりんはただ、世の中がどういう仕組みで動いているか、どう回っているのかが書きたいだけなんです。

★★★

さて、しかしながら客観的に見て、日本が共産国になる可能性は1980年代あたりでほぼ無くなりました。遅く見積もっても1991年のソビエト連邦崩壊後にはそんな可能性は皆無になった。だから1990年以降日本は、政治体制や国の運営の在り方を(戦後体制から)一新する必要があった。

ところが、1990年から20年たった今でもまだその変革が起こっていません。小沢さんらが自民党を離党したのは1993年、これが「今までとは違う体制が必要」と考えた人の最初の動きです。でもこの時は一般国民はまだその意味がよく分かりませんでした。だから彼らの動きも支持されなかった。“too early”ってやつです。次が2001年の小泉政権の誕生の時で、この時は国民も「今までのままじゃだめだ」と痛感していた。多くの人が「今までとは違う仕組みが必要」と思いました。

ところが結局この20年、“冷戦体制の次の仕組み”を日本は作れていません。旧体制は中央集権体制、土建政治、派閥制度、官僚依存政治など様々な形で深く日本社会に埋め込まれてしまっていて、「時代が変わったのはわかってるけど、やっぱり自分だけは変わりたくない」という人達の抵抗力も想像以上に大きい。しかも、ぐずぐずしているうちにリーマンショックが起って、いきなり日本は社会主義的な大きな政府に向かおうとしている。


戦後からの流れを図にするとこんな感じです↓


本当は、1945年〜1991年の45年間の体制は、その終焉が見えてきていた最後の10年(1980年〜1990年)の間に打破してしまい、1990年からは新しい体制に入らなければならなかった。それなのに、1990年から既に20年、私たちは「次」を模索しながら彷徨っています。下手するとさらに10年以上も彷徨うのかもしれない。それとも45年間続いてきた体制を壊すのに45年間かけるつもりなんでしょうか。


大変なこった。

そんじゃーね