「投票する側」ではなく「投票される側」の問題

東京都知事選で石原慎太郎氏が4選を果たしました。投票率は57.80%と、地震直後で選挙戦が盛り上がらなかったわりには高かったようです。前回より3.45%高いし、全員が新人候補で有権者の関心が非常に高かった12年前(石原氏当選一期目)の57.87%に近いです。期日前投票が前回の1.5倍以上もあったことも、関心の高さを示しています。

今回、いったんは不出馬まで決めた石原氏が再選されたことで、投票することの無力感や、相変わらず低いであろう若年層の投票率にたいする同世代からの批判など、「投票する側」に問題意識をもつ人が多いようだけど、ちきりんは異なる感想をもちました。

問題は、「投票する側」ではなく、「投票される側」にある、と思えたのです。


★★★

今回の都知事選の結果を、先日行われた名古屋・愛知の地方選、今回行われた大阪の議会選挙と併せて考えてみましょう。名古屋・愛知では、河村陣営が圧倒的な強さを見せて県知事と市長職を独占したし、大阪でも(橋下知事は敗北宣言とか言っているけど)、府議会で維新の会がいきなり過半数をとるなど、既存政党や既存政治家は大敗北を喫し、新しい勢力が台頭しました。

大阪と名古屋で既存勢力が大負けし、政治が大きく変わりつつあるのに、なぜ東京では過去12年間も知事であった人が、開票前に当確を決めてしまうほど強いのでしょう?

今回の大阪府議会選挙の投票率は46.46%で前回から1.56%高いだけだから、都知事選との違いは投票率ではありません。年齢別投票率はまだいずれも発表されていないけど、若い人の投票率が低いのも、有権者に占める高齢者の比率が一定以上なのも、どの地域も同じだと思います。


違いは、「投票する側」ではないんです。

最大の違いは、東京都知事選には橋下徹氏がいなかったし、河村たかし氏がいなかった、という点です。違いは「投票される側」にあったんです。


★★★

結局のところ、「この人だ!」という候補者がいれば、その人が当選できます。どこの地方選挙でも「現職」というのは圧倒的に強いです。圧倒的に強い現職を倒すには、圧倒的に強い対抗馬が必要です。大阪と名古屋にはそういう人がいたのに、東京にはそういう人が出馬しなかった。それが最大の違いです。

石原氏は261万票を獲得しました。2位の東国原氏は169万票、3位のわたなべ氏が101万票です。2位と3位を併せれば270万票なので、石原再選への批判票はそれなりの数、存在していました。けれど、それを併せて得票できる候補者はいませんでした。個別に比較すれば、石原氏は2位に100万票差をつけ、3位にはダブルスコア以上の差をつける集票力をもっていました。

いったい他の候補者に足りなかったモノは何なのでしょう?そもそも東京都知事になるのに必要な能力、要素とは何なのでしょう?


ちきりんが思う「都知事に選ばれるために必要な要素」は、まずは「選挙力」、「集票能力」です。組織力でもいいし、本人のカリスマ力や知名度も含めて、票がとれないと話になりません。最初に石原氏の後継者として立候補した松沢氏はここが弱すぎたので石原氏に見限られました。

次に「実務能力」です。東京都知事に求められる実務能力は、この国では首相に求められる実務能力より遙かに高いので、政治家か行政家としての経験が皆無の候補者が当選するのは至難の業です。

この点で12年在職の石原氏の実務能力を◎、副知事の猪瀬氏、同じ都市型の神奈川件の知事を務めた松沢氏を○とすると、都会の行政を知らない東国原氏は一歩後ろ、わたなべ氏や小池氏は全くの素人と判断されたと思います。


さらに重要なのが「東京のリーダー」としての自覚です。東京のリーダーの仕事は、地方の知事とは全く違います。地方の知事の仕事は、平時であれば「中央に嘆願して補助金をもらってくること」と「地元の名産品をPRすること」です。これらは東京では重要な仕事ではありません。

またお金の流れに関しては、地方リーダーと東京のリーダーは完全に利害が対立しています。この国ではお金は、「大都市→中央(霞ヶ関)→地方」に流れており、地方リーダーの仕事はこのお金を多くすること、都市のリーダーの仕事はこのお金を少なくすることです。「(東京のお金で)宮崎にもっと高速道路を造るべきだ」と主張していた人なんて都知事にはふさわしくない、と考える都民は多いでしょう。


この「対中央への対抗意識」が非常に重要なのは、大都市圏の特徴です。大阪でも名古屋でも「中央に嘆願するのはやめよう。中央とは交渉するのだ。屈しないでやっていこう!」と訴えるから、河村氏も橋下氏も人気があるんです。石原氏も「財務省が東京の金をネコババした」的な発言をされてましたが、この感覚がないと都市ではリーダーに選ばれません。

この点で、地方の知事であった人は相当態度を変えない限り当選が難しいです。また、強者が日本で一番多い東京において「私は弱者の味方です」と強調することは、そのまま「私にとって都民が一番大事なわけではありません」と言っているのに等しいです。

当選することより主義主張を明確にすることに存在意義がある共産党の小池氏が、弱者保護を前面に出すのはわかります。しかし、わたなべ氏にも「都民より弱者が大事」という姿勢が感じられました。経営マインドを強調しながら、「うちの店の顧客はどんな人か?」を読み間違えていては、当選はできません。



まとめるとこんな感じでしょうか↓。得票数上位4名に、立候補を取りやめた松沢氏と、待望論も強かった猪瀬氏も加えてみました。


(敬称略)


石原氏も今回はそんなに立候補したいわけではなかったと思います。それでも「他にいないから」立候補したし、有権者もそんなに石原氏に続けて欲しいわけでもありませんでした。それでも「他にいないから」石原氏を選んだのです。

★★★

なんで、候補者がいないんでしょう?実は、前回の都知事選にもまともな候補者はいませんでした。前回は、東国原氏と同様に「中央への陳情が最も大事な地方知事」であった浅野史郎氏が、石原氏に100万票以上の差を付けられて負けています。さらにその前は石原氏があまりに強いので候補者が集まらず、2位の樋口恵子氏の3倍以上の得票で石原氏が勝利しています。この12年間で、石原氏と拮抗できる候補者はひとりもでていないのです。

なぜ、東京都知事の候補者がでてこないのでしょう?


日本人が「エリート教育でリーダーを育てる」のが嫌いだからだと、ちきりんは思っています。先に書いたように、東京都知事は首相より重要なポジションなのです。この点で大阪とも名古屋とも圧倒的な格差がある特殊なポジションです。相当の人でないとつとまりません。

石原氏は一種の特権階級で育っています。戦後の混乱の中、一般の子供が鼻水をすり切れた綿シャツの裾でふいていた時代に、自家用車の中で、ラクダのセーターを着て、フランス詩集をたしなみ、ヨットに乗りに行くような家で育っています。

お金持ちであることが重要なわけではありません。若い頃から「社会のリーダーになる」ことを意識していることが大事なのです。「リーダーになる以外、ありえないでしょ?」的な環境で育っていることが大事なんです。日本では、そういう環境で育てられた世代は、もうみんな80才近くになっている、ということなんでしょう。


あきらめ論かって?

違います。


今、10才から19才くらいの人に言いたいんです。今から、社会のリーダーになることを目指せ、と。それくらいじゃないと間に合わないということなんです。


そんじゃーね。