「一家二軒」の勧め

「暑いな−、夏は北海道か長野あたりの高原で過ごしたいなー」と考えていたら、同じようなことを考えている人は多いらしく、長期滞在客の増加により、スキーリゾート地のホテルが夏でも混み始めているらしい。

そりゃそーだよね。こんな暑いのに節電とか意味不明です。


そういえばここ数年、九州や紀伊半島は「大豪雨」も多いでしょ。特に大変なのが山間の川沿いにある集落。川が氾濫して家が流されたり、裏山の土砂が崩れて家が潰れたり、川沿いの一本道も土砂崩れで寸断されやすく、すぐに村落ごと孤立する。ああいう場所に住むのってホント命がけ。

加えて雪の多い地域では、冬になると必ずといっていいほど「雪かきをしていた80代の男性が屋根から転落して死亡」してる・・・。(死なないと報道されないからわかんないけど、骨折したりしてる人は何倍もいるはず)


こういうニュースを自分のアタマに放り込んでガラガラポンすると出てくるちきりんの結論は、「こんな過酷な環境に住み続けるのは、もう止めたほうがいいんじゃないの?」ってことです。

真夏に東京とか大阪に住む、2月に豪雪地方に住む、台風シーズンに「後ろは山、目の前は川」みたいな一軒家に住むとか・・・止めたほうがよくない?


じゃあ、どこに住むのかって?

夏は北海道か高原、冬は沖縄を中心に、九州、瀬戸内、四国など。台風シーズンは、山間の村やよく氾濫する川沿いの村の人は、近隣の街中にある高台マンションに住めばいいじゃん。そんなことは『自分のアタマで考えよう』よ。

日本の人口はこれからどんどん減るんだよ。家が足りないわけじゃない。これからは、「ひとり二軒の家を、1年の間に適宜棲み分ける」というスタイルに変えていくのはどうだろう?経済活性化にもよさそうじゃん。


仕事はどーすんだよ?とか言われそうだけど、日本は「働く年齢」の人は、今どんどん減っている。昨年から団塊世代が完全引退に入り始めたこともあり、これからは「働いてない人」の方が多い国になる。

加えて「働いてる人」だって、実は「絶対ここにいないとできない仕事」の人ばかりじゃない。夏の一ヶ月くらい長野の高原にいて、時々新幹線で東京に出張にくればそれで済む、という仕事だってあるでしょう。

小さなベンチャーで、しかも「ネットさえあればできる」事業なら、会社全体で「夏は北海道で働きましょう」みたいにしてしまえばいい。「全員で行っちゃえ!」作戦です。気分も一新されて仕事の効率もよくなるのでは?


家を二軒も買えないよ、ローンはどうするんだ?・・・どっちも借りればいいのよん。地震や洪水、液状化で“自分の家”がやられちゃうリスクも無くなるしね。災害が起こった時には「もうひとつの家」に避難すればいいだけで、避難所や仮設住宅に長く滞在する必要もなくなる。

「暴論だ!」って? そうです。暴論ですよ。だからやりたくない人はそれでいい。東京や大阪の全員が夏に北海道に住むのは実際には難しい。でも、できる人から、やりたい人から、そういうことも考えてみればいい。

ロシアのダーチャとか、スペインの人の「冬の家、夏の家」など、たいして豊かでない国だって、「一家で二軒」的な発想は昔からある。日本で絶対できないなんてわけはない。



こういうふうに↓、家族の家を利用しての季節移動、複数地居住もアリだと思う。



結局のところ、もうちょっと自由に考えてみればいいじゃん、ってことなんです。人口も減っていくし、地方はどんどん人が減って、街自体が縮小している。ひとりがふたつの地域に住むようになれば、活性化するエリアだって増えるはず。

なにより「災害大国」の日本においては、「一家二軒」は究極のリスクヘッジになるはず。昨年の311の後、水道水にまで放射性物質が・・と報道された時、東京に住む人でさえ「もうひとつ、住める地域が確保できていないとヤバイのかも」と考えたでしょう。

最近は原発事故が起こることも想定し、立地周辺都市では避難訓練(ぽいコト)も行われるようになったけど、現実になにか問題が起こったとき、30万人都市なんかに避難指示がでれば、政府がそれらの人の行き先を確保するなんてまず不可能です。そんなことを国に期待すること自体が間違ってる。

それぞれの人が(少なくとも、そういう希望があり、余裕がある人が)「一家二軒」を始めておくべきなんだよね。


こんな灼熱の都会にひしめき合って住み、毎年、命をかけて屋根の雪かきをし、大雨が降るたびに公民館に避難する。大災害が起これば、街が復活するまで何年も仮設住宅で待たなくちゃいけない。そうじゃなくて、なんかもうちょっと違う方式はないのか、ということ。

そんなことを思ったのは、たぶん暑すぎてアタマがぼーっとしてるせいだと思う。


そんじゃーね