2001年のニューヨークで起こった911テロ、そして2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発の事故。このふたつを見ていると、国家的なパニックを引き起こすほどの大事件が起こった際、国民が平静を取り戻すまでには、最低でも3年くらいはかかるんじゃないかと思えます。
911が起こった 2か月後の11月、仕事でニューヨークやボストンなど、米国の主要都市を訪れた私は、その異様な風景に衝撃を受けました。テロ跡地であるグランドゼロの惨状に、ではありません。
道行く車の多くがアメリカ国旗を掲げ、テレビが一日中、あからさまに特定の宗教や地域をターゲットにして、報復機運を盛り上げる“煽り口調”のニュースを流し、
セキュリティや荷物検査が格段に厳しくなった空港では、国籍に関わらず(=アメリカ国民であっても)“アラブ諷”の名前や風貌の人たちだけが、1時間近くも荷物を調べられるなど、ひときわ長く拘束されているのを見て、
さらに言えば、そういう人たちだけが特別に厳しく調べられることを受け入れてしまう他の人たちの様子を見て、衝撃を受けたのです。
人種のるつぼと言われる米国で、根強い人種差別が存在していること自体はみんなわかっていたことでしょう。でも、彼らは決してそれを“良し”とはしてきませんでした。
それは良くないことであり、克服すべきことであり、どうやったら克服できるのか、と真剣に議論し努力する。その姿勢に嘘はありませんでした。
でもあの頃のアメリカは、その冷静さを完全に失っていました。恐怖に怯えていたのでしょう。あれだけの事件が起こったのだから当然です。
報復のために「大量破壊兵器を隠し持っているイラクのフセイン政権を打倒すべきだ」と主張する政治家の声は、喝采をもって迎えられ、
「本当に大量破壊兵器があるのか?」
「本当にフセイン政権を打倒すれば、世界からテロの恐怖が減るのか」
といったごくまっとうな疑問さえ、「それを口にするだけで、非国民的な言動である」という空気に封殺されました。
テロが起こるまで支持率が低迷していた大統領は、北朝鮮、イラク、イランの3国を「悪の枢軸」と明言し、自分たちが彼らを成敗するのだと高らかに宣言することで、一躍、国民の支持を集めます。
冷静に考えてみてください。いくら気に入らない国だとはいえ、独立した他国のことを「悪の枢軸」」などと呼ぶのは、宣戦布告にも近い暴言です。
その後、数多くの好戦的な施策が「テロとの戦い」というスローガンのもとに正当化されました。
「イラクには、本当に大量破壊兵器があったのか」とメディアが検証的な報道を始め、
「国民のヒーローになれると言われて軍に入り、イラクに赴いて命を落とした自分の息子の死は、本当に意味がある死だったのか?」と、泣きながら訴える母親がホワイトハウスの前に座り込んだことを、メディアが報道できるようになるまでには、
3年から5年の歳月が必要でした。
★★★
2011年の大震災に伴う福島での原発事故においても、同じようなことが起こっていると感じます。
最近になってようやく「本当に、このままの方法で除染を続けるべきなのか」といった報道がでてきました。
「除染が終われば、村&町には人が戻ってくるのか?」
「除染の費用対効果はどう考えればよいのか」
そんなことを口にするだけで「非人間的だ」と後ろ指を指されるような空気が支配的だと、誰も彼もが「本当にひどいです。きちんと除染を行ってほしいものです」みたいなコメントを、したり顔で続けるしかありません。
あまりにも理不尽な目に遭った人たちが「何が何でも俺の故郷を元に戻してくれ」と望むなら、何年でも何回でも除染を続けます、という方針に疑問を持つような人は、他人の気持ちのわからない“人でなし”だと後ろ指を指されるからです。
使用済み核燃料を含む、放射能汚染物質の最終処分地をどこにするかの議論も同じです。福島県の汚染地域にそれらを集中的に保存することは、少なくとも議論されるべきひとつの案でしょう。
でもそれは、その地域で生まれ育ち、故郷を失い、事業基盤を失い、既に2年も不便な仮住まいを続けながら、故郷に戻れる日を切望している人たちの気持ちを考えたら、議論さえすべきでないと考える人もいます。
あの日、ニューヨークのワールドトレードセンターで亡くなった人のことを思えば、「イラクという他国の政権を、米国の軍隊が崩壊させにいくことに、本当に意味があるのか?」などと考えること自体が不謹慎であると、多くのアメリカ人が考えていたように。
議論が許されるようになるまででも 3年、冷静かつまともな議論が交わされるようになるには、おそらく5年・・・国家的なパニックが起こった場合、最低でもそれぐらいの年月は、どこの国でも必要なのかもしれません。
そんじゃーね