情報開示できるかするかやるべきか

学生から社会人となった最初の職場で学んだことが、“三つ子の魂”のように長くその人の信念となることがあります。

ちきりんも最初の証券会社でたたき込まれた「情報開示」(ディスクロージャー)の重要性については、今でも「これこそ物事を適切に動かしていくための鍵」だと信じています。

「説明責任」(アカウンタビリティ)という言葉もよく聞きますが、これも本質的には同じことを意味しているのでしょう。情報開示が中立的な言葉なのにたいして、説明責任は「説明する義務のある人」が「内容を知る権利のある人」に情報を開示するという「権利義務関係を伴う情報開示」と言えます。


最近は、官僚が周到に準備して法案提出した案件について、事前の情報開示が不足していたため、後から問題化するケースが増えています。

たとえば「後期高齢者医療制度」や「電気用品安全法(PSEマーク法)」に関しては、法律成立時は国民どころか国会議員や関連業界さえ、よくその内容を理解しないまま法律が成立してしまったと思われます。そのため実際に施行される日が近づくと、関係者から次々と問題点が指摘され、議論が大紛糾しました。

他にも、自治体レベルでのゴミ収集ルールが変更される際、実際の変更日の直前に「そんな話は聞いていなかった!」という住民からの抵抗が高まり、実施を延期せざるをえなくなるケースも起こっています。


この「官僚組織内だけで検討・法案化され、何も知らされていなかった国民や企業が実際の施行前にびっくりして反発」というのは、まさに「情報開示」の問題です。いずれも法案の内容そのものに問題があるというより、そもそも「誰も知らなかった」ところに大きな問題があります。

一度大騒ぎになると、その後で首相や担当大臣が「説明不足だった」と頭を下げて説明を始めても「すべてが言い訳」のように聞こえます。最初から丁寧に説明していれば納得してもらえた話も、問題化してからでは、説明しても揚げ足を取られて前に進まなくなるのです。


しかも、説明不足をさんざんに糾弾された後、やっと始めた「説明」もお世辞にも上手とは言えないものです。後期高齢者医療制度に関しては、なぜこんな制度が必要なのか、という問いにたいして、多額の医療費を使う後期高齢者を通常の健康保険から分離することで、若者層や中高年層など労働者の負担を軽減するのだというような説明がなされました。

しかし、すべての人は年を取るし、高齢になれば病気になる可能性が高くなります。若年層はともかく中高年層は、「後期高齢者を切り離したから、貴方の負担がラクになりますよ。」と言われても、手放しで喜べるはずがありません。むしろ「自分が年をとった時には、どうなっているんだ?」という不安の方が大きくなるでしょう。

抜本的に制度を変えようという時に、その背景にある資料や数字も、それ以外にどんな選択肢が検討され、なぜ最終的にこの案が残ったのかというロジックも何ひとつ伝えずに、「貴方にトクになる改正なんですよ」とだけ言われても、「ああ、そうですか」と素直に納得するほど、今や国民は政治家や官僚を信頼できていません。

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このような事態が多々発生しているのは、政府与党も官僚組織も、「情報開示なんてものが全く不要であった長い過去の経験」が頭から離れていないからでしょう。

実際に昔は、官僚が作った政策や法案は国民がよく知らない間に問題なく成立していました。それがここ10年くらいは、事前説明を怠ると大混乱するようになってきたのです。

過去に情報開示が不要であった理由は、自民党政権が盤石であったということに加え、どんな政策変更が行われても「国民負担が大きくは増えなかった」ということがあります。


たとえば国民皆保険制度が昭和30年代にできました、という話なら、事前説明などなくても誰も文句を言いません。なぜなら、それは国民に有利になる政策変更だからです。

バブル時代には、地方に高速道路やら美術館などがじゃんじゃん建造されました。これだって、国債発行で作るわけですから、国民は懐の痛みを感じずに済みます。そういう状況であれば、為政者が国民に何も説明せず好きにやっても問題にならなかったわけです。

そんな時代が長く続いてきたので、政治家も官僚も、身内以外にその背景や理由を説明する必要性をほとんど感じなかったのでしょう。

しかし、今や新たな政策の大半は国民に負担を強いるものとなりつつあります。こんな経済停滞時代に国民の負担を増やす政策を通そうと思えば、当然に、なぜそれが必要なのか、本当にそれが必要なのか、一番適切な方法なのか、などについてきちんと説明しないと話は通りません。情報開示と説明責任を果たすことが政策成否の鍵を握るようになってきたのです。

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とはいっても、政治家、官僚側も有権者に全部を見せられるか?というと、コトはそう簡単でもありません。彼らはこれまで、情報を囲い込み、自分達に都合のいいようにその情報を解釈することで、その権限や権益を維持してきたからです。すべての情報を開示すれば、その情報をどう判断するかという権限は、自分達ではなく国民に移ってしまいます。

このため彼らは、情報開示不足が原因で足下が揺らいでいるにも関わらず、自分達の権限維持のためには、やはりすべては見せられない、という矛盾した状態に追い込まれています。

このジレンマにどう立ち向かうか。「決して積極的には情報開示をしない」、「聞かれたことだけに答え、聞かれていないことは重要なことでも一切説明しない。」という今までのやり方が、本当にこれからも通用するのか、頭のよい霞ヶ関のみなさんの今後の行動に注目したいものです。


そんじゃ。