このエントリは連載モノです。
・いい人生の探し方 リアルストーリー 第一話
・いい人生の探し方 リアルストーリー 第二話
・いい人生の探し方 リアルストーリー 第三話
・いい人生の探し方 リアルストーリー 第四話
・いい人生の探し方 リアルストーリー 第五話
Mさんへのインタビュー、そしてそこから得られた学びの紹介も、いよいよ最終回となりました。
「過去の正当化」と「失敗からの学び」は違う
Mさんは、「もしやりなおせたら」=タイムマシーンがあって当時に戻れるなら、もっと早いタイミングで司法試験へのチャレンジを止めるべきだったと考えています。
かけがえのない価値をもつ 20代のほぼすべてを司法試験のために使ったことは、彼女にとって、はっきり「間違いだった」のです。
もしこの経験を「とはいえ、あれも良い経験だった」と言ってしまうと、自分を慰めることはできるけど、将来への学びにはつながりません。
同じ立場にいる人へのアドバイスも不明確なモノになるし、将来のいつか、自分が再び似た状況に置かれた時、過去と異なる決断をするのも難しくなります。
でも、「あれは失敗だった。私は間違えた」が、「手ひどい失敗からしっかり学んだので、二度と同じ失敗はしない!」という形にできれば、未来は変えられます。
「失敗だった過去を“良い経験”に変えてしまうことで、未来が変えられなくなってしまう」か、
「失敗だった過去をそのまま受け止めることで、未来を変える」か。
「過去の正当化」と「失敗からの学び」は、全く違うものです。
変えるべきは(変えられるのは)過去ではなく、未来。
過去を正当化せず、失敗をそのまま受け止めることができてこそ、私達は過去の失敗から、未来につながる学びを得ることができるのです。
★★★
別のパターンについても、考えておきましょう。
たとえ 20代のすべてを司法試験にかけ、結果として合格できなかったとしても、「あの決断は失敗ではなかった」と考える人もいるでしょう。
合格できるできないに関わらず、自分にはその道しか考えられず、それこそが自分の人生なのだ、という人です。
下記の本で梅原さんが言うところの、「解けない呪い」をかけられた人ですね。
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司法試験だと想像しにくいかもしれませんが、小説家やミュージシャン、役者などを目指している人の中には、
「 20代と 30代のすべてをそのために費やした。結局、夢はかなわなかったが、今、もういちど 20歳に戻れるなら、自分は再びミュージシャンを目指して頑張るだろう」という人もいるはずです。
こういう人にとってその 10年、もしくは 20年は、
・報われなかったにも関わらず、
・もし他の道を選んでいたら、今よりずっと多くのモノが手に入っただろうにもかかわらず、
決して「失敗」でも「無駄な時間」でもないのです。
それどころかその「成果につながらなかった期間」は、いい人生を手に入れるのための必須の期間だったと言えるでしょう。
★★★
さらにもうひとつのパターン。
もし彼女が、最後の年に司法試験に合格していたら?
仕事環境や内容には疑問を感じても、「せっかく合格したんだから止めるなんてもったいない!」と、その道を進んでいた可能性が高そうですよね。
少々の疑問を持ちながらも、弁護士としての人生を楽しんでいたかもしれません。
でも「合格していたら、間違いなくいい人生になったはず!」とも思えないでしょ?
いい人生になったかもしれないけど、そうじゃない可能性もありそう、でしょ?
つまり「いい人生」になったかどうかは、「結果が成功だったかどうか」とは別問題なんです。
Mさんは今、小さな不動産屋さんで働きながら(そして子供を育てながら)新しい夢に向かってのチャレンジも始めています。
その道も、決して簡単な道ではありません。司法試験と同じように、今度は 30代をすべて投入しても、報われるかどうかはわからない。
でも彼女が「いい人生」を手に入れられるかどうかは、その夢が叶うかどうかに依存するわけではないのです。
★★★
梅原さんとの対談を通して、そして Mさんへのインタビュー取材を通して私が再認識した「いい人生を手にれるために必要なこと」のひとつが、
対談本のタイトルともなった「悩みどころと逃げどころ」を自分自身であがき、もがいて、見極めることの重要性です。
何かに一生懸命になっている時、でもなかなか成果がでない時、あまりに成果がでないので、自分がどれほど本当にそれを必要としているのかさえ、分からなくなってしまうほど大変な時、
それをいつ止めるのか、いつまで続けるべきなのか。逃げてもいいのか、逃げたりしたらダメなのか。
その見極めは誰にとっても本当に難しいことです。
読者の方の中にも、「止め時」を巡って現在進行形で悩んでいる方もありますよね?
・自分はいつまで、この夢を追い続けるのか?
・自分はいつまで、この仕事を続けていくのか?
・自分はいつまで、この人と共に生活していくのか?
・自分はいつまで、不妊治療を続けるつもりなのか?
・自分はいつまで、婚活を続けるのか?
・自分を産み育ててくれた人をベッドの上で生き続けさせるための医療行為を(延命治療を)、いつまで続けるのか?
6年前にも書いたけど、止めるのは始めるより圧倒的に難しい。
過去エントリ→ “EXIT”できない私たち
あがいてもがいて、
続けるべきか、止めるべきか
自分自身で見極める
それができないと「いい人生」にはなりえない。
あがくのを止め、もがくのを避け、
思考停止に逃げ込んでいたら、
「いい人生」にはなりえないんです。
★★★
この連載は今日で終わりです。
最後に Mさんこと三星円さんのブログとツイッターをご紹介しておきましょう。
多分に個人的な情報を含むインタビューを受けてくれた Mさんには、心から感謝しています。
多くの方に様々な学びと思考の機会を提供できたと信じて。