2015年に「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコの世界文化遺産に登録された長崎の端島(はしま)、通称「軍艦島」は、廃墟好きには堪らない現代遺産のひとつです。
端島は長崎港から 20キロほど沖合にある半人口島で、確かに軍艦っぽい。
この辺り、海底には多量の石炭が埋まっています。それを掘り出すため島から地中深くまで長い縦穴を掘ってから横穴を掘ることで、海底に眠る石炭を採掘します。
明治以降の富国強兵時代、石炭は「黒いダイヤモンド」と呼ばれ、各財閥が大規模な炭鉱を経営していました。
ここは三菱財閥が経営、近くには三菱重工の造船所もあり、だからこそ長崎は原爆投下のターゲットにされました。(端島でも原爆の風で窓ガラスの多くがふっとんだとか)
石炭を掘り出すには多数の坑夫が必要ですが、島はごく小さく、周辺を埋め立てて拡げたくらいでは住める人数に限りがあります。
そこで軍艦島の建物はどんどん高層化、1916年(大正5年)には、日本で最初の鉄筋コンクリート造アパート(集合住宅)が建てられました。
確かにアパートがひしめいてますね・・・
最盛期には 5000人以上が住み、東京以上の人口密度だったと言われる端島も、1974年(昭和49年)の炭鉱閉山後は無人島となり、その後は荒れ果てていましたが、世界遺産登録の準備が始まってから維持保存が始まり、今は観光客向けのツアーもあります。
私も二度ほど訪れたのですが、島は防波堤に囲まれており、
船着き場についたあと、暗い通路を通って上陸します。
大きさは南北が 480メートル、東西が 160メートル。こちらは資料館にあった全景モデル。
なんとプールもあったんですよ。当時としてはスゴイことでしょ。
炭鉱の仕事はキツく、戦前戦中は生活環境も劣悪でしたが、その後の高度成長期には労働運動の成果もあり、島の環境は急速に整えられました。
部屋は狭いけど早くから各家にテレビが普及するなど給与水準も高かったようです。とはいえ仕事自体は相変わらずきつく、定期的に起こる炭鉱事故では死者もでます。
炭鉱を所有する資本家側は大もうけしているわけですから、末端で命を賭けて石炭を掘る労働者との対比はまさに「階級闘争」の時代を思わせます。
(こちらは炭鉱入口。階段を上った四角い箱から、真下の地下に降りる高速エレベーターが設置されていたそうです)
ちなみに、この島で働いていたのは日本人だけではありません。炭鉱事故で死亡した人の記録には朝鮮人、中国人も含まれており、
特に戦前・戦中には、強制的に連れてこられた、もしくは、騙されて連れてこられた朝鮮人も含まれていました。
韓国ではここのところ(慰安婦問題に加え)この徴用工問題に再度注目を集めようという動きがあり、2005年の世界歴史遺産登録の際にも
「登録に賛成する代わりに、日本は強制動員の事実を認め、それらを軍艦島のインフォメーションセンターなどで説明すること」と求めるなど、一悶着おこっています。
(参考:軍艦島など世界遺産登録へ「朝鮮人強制動員」事実上認める)
また、今年の夏には韓国で「軍艦島」という映画が公開され大ヒット。(ただし内容は史実とは異なり、あくまで軍艦島を舞台にしたフィクション。反日映画という評価も・・)
私は日本の現代史が大好きで、こんな旅行まで企画しちゃうほどなのですが、
「脱亜入欧」というスローガンしかり、日本の近代史とはつくづく「アジアを犠牲にして日本だけ西欧の仲間入りをする」というプロセスだったんだなと感じます。
「日本はアジアを代表して世界の一流国の仲間入りをする。西欧列強に負けない国になる。
日本がそうなるためには、アジアの国は一致団結して日本を支えなくてはならない。
他国だって、日本がアジアの代表として西欧列強に並ぶ強国になれば、きっと嬉しいはずだ!」
ってな感じ?
「アジア全体が西欧の植民地にされてしまうよりマシだろ! アフリカみたいになりたいのか!」という当時の日本の指導者達の声が聞こえてくるようです。
(昔はできるだけたくさんの人が住むため建物だらけで「緑のない島」と呼ばれたそうですが、今は廃墟に緑がよく映えます)
昔のドラマには、子だくさんの家庭にひとりだけ超天才な子が生まれ、その子に教育を受けさせるため、他の家族はすべて犠牲になるといった話がでてきます。
他の兄弟は学校も行かずに幼い頃から働き、稼いだお金はすべて「もっとも有望な息子」が東京にでて学ぶことに投資される。
将来その子が立身出世すれば、家族みんなに恩返しをしてくれる。だから他のメンバーはみな彼を支えるため、我慢する(犠牲になる?)みたいなパターン。
おそらく当時はそれがあたりまえで、日本も「アジアの中では日本がもっとも有望なのだから、他国は自国を犠牲にしてでも日本を支えるのが当然」と思っていたのでしょう。
当時の資料で「朝鮮人日本兵」という言葉を見つけると、とても複雑な感情におそわれます。
反対の「日本人韓国兵」とか「日本人中国兵」という言葉を思い浮かべてみればわかるでしょ?
日本は朝鮮半島を 1910年から 45年までの 35年間、“日本”として支配していました。慰安婦にしろ徴用工にしろ、「あいつらだって日本人なのだから、日本のために身を捧げるのは当然のことだ」と考えていたのかも。
私は、慰安婦像をあちこちに建てまくったり、トランプ大統領との晩餐会に元慰安婦女性を同席させる韓国の行動を「あほすぎる」と思っている一方で、
戦前・戦中の自国の歴史をきちんと教えない日本の教育についても「あほすぎる」と思ってます。
韓国や中国のアホな行動について、私たち日本人が糾弾する必要はありません。それは彼らの国の中の、良識ある人達がやるべきこと。
でも日本のアホな行動については、日本人が正さなくちゃならない。他国に指摘され、世界中から白い目で見られた後に“しぶしぶ”変えるなんて超情けない。
つい最近まで私にとって日本の近現代史は、個人的に興味がある趣味分野に過ぎませんでした。
でも今年の旧満州旅行を通して、こういうことを広く伝えるのも私の(てかこのブログの)使命かもと思い始めました。
ネットや書店にはひどく過激で偏った言説が溢れており、12歳の時の私が日本の現代史を学びたいと思ったとき、最初のとっかかりとしての適切な資料があまりに少ないと感じるからです。
とはいえ研究者がひもといた正確な資料の多くは 12歳の子供には難しすぎるし。
軍艦島に関してもツアーガイドや現地資料館の説明は「大規模炭鉱として日本の近代化にいかに貢献したか」や「労働者達は高い給与をもらい、多くの家電を揃えた恵まれた環境に住んでいた」といった話に終始し、
その仕事がどれほどきつく危険だったかや、経営者と労働者の大きな格差、海外から無理に連れてこられた徴用工たちの待遇については、ほとんど触れていません。
だからあたしがこのブログに 12歳の子でも理解できる文章で
日本の近代化のプロセスとはどういうものだったのか、日本がどれだけアジアを見下し、自分達より劣った民族だと虐げてきたか。
日本人に関しても、どれほど人権が無視された時代だったか。
そういう歴史を知るきっかけが得られる。そんな文章を書くことにはきっと大きな意味がある。
そう考えるようになったんです。
軍艦島には 1974年(43年前)まで人が住んでいたので、当時、子供だった人が今はツアーガイドとして当時の様子を語ってくれるし、写真もたくさん残っています。
つい買ってしまった写真集。多くの人でごった返す当時の生活写真もたくさん載っていて、“あの時代”が手に取るようにわかるすばらしい写真集です。
加えて今はドローンのおかげで素晴らしい映像も楽しめる。
軍艦島 4K (Ultra HD) - Japan's "Battleship Island" 端島 Hashima
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「軍艦島空景 4K」 -Gunkanjima Aerial Shoot 4K-
さらに 2013年にはグーグルが端島のストリートビューを公開。ツアーでは入れないエリアやアパートの中も見られるようになりました。
→ 部屋の中まで!
こちらは日本在住のフランス人写真家、Jordy Meowさんのサイト
→ 端島の写真
お天気がよければ軍艦島に向かうまでのクルーズはとても気持ちよく、
三菱重工の大きなドッグや(私が行った時は)スケジュール遅れまくりで大赤字の建造中・豪華客船も見ることができました。
廃墟好き、現代史好きの方にはお勧めの場所だと思います。
<過去エントリ>
・大塚国際美術館 超お勧め!!
・富岡製糸場に学ぶ世界に通用する企業の作り方
・ブログを書く理由:12歳の時の私のために