一か月前にプロ格闘ゲーマーの梅原大吾さんと対談し、関連エントリを書き始めました。
意外な組み合わせだったとは思いますが、概ね好意的に受け止められたみたい。
梅原さんネタだけを書き続けていることに関しても、
一部の方には心配されたりもしましたが・・
シリーズ自体はかなり好評!
途中やや息切れしたのがバレてる?
★★★
看板効果で、新たな論点をいただいたり、
最近話題の、将棋の電脳戦についても書いてほしいと言われ、
なんと、電脳戦でプロ棋士(四段)に勝利した将棋ソフト開発者の方からも!
緊張しつつお返事してみたら↓
とんとん拍子にお話が・・
ツイッターすごいー、話が早いー
★★★
一方、「ゲームと教育と研究とイノベーション」というエントリには、大学の先生からコメントを。
ゲーミフィケーションの勉強会を主催された千葉大学の藤川先生
シリアスゲームの研究者である藤本先生からも!
慶應義塾大学の中村伊知哉先生からは下記が。
★★★
もうひとつおもしろかったのが、運と才能の話。
梅原さんは、「自分がここまでこれたのは努力の賜物。年をとって勝てなくなったら、それは今まで自分は努力じゃなく才能で勝ってたということだから、ちょっと残念」とまで言われ、彼の周囲の方も「ウメハラは努力でここまできた」とおっしゃってます。
でも、遠くからみればどうしても「才能でしょ」、「彼はもともと特別」などと言いたくなる。
で、ツイッターで聞いてみた。
そしたら環境や遺伝子、運によって今持っているものを得たという人が大半で、「努力で大半を手に入れた」と言う人はすごく少なかった。
その後、これに「なるほど」と思った。
ちきりんの返事
イチローもよく自分は努力でここまで来たと言っている。でも多くの人が「とはいえ、才能でしょ」と考える。
あたしは今回、気が付いた。「努力でここまできた」と言ってる人は、才能の有無はともかく、普通の人の常識を超える努力をしてきてる。
だからそういう人に「才能でしょ」とか、「努力できるのも才能のうち」なんて言うのは、とても失礼。それって、彼らの尋常じゃないレベルの努力に対するリスペクトが足りてないってことなんだなと思い至りました。
★★★
14歳は大人ですのエントリで、ちきりんはいろんな分野のスペシャルな人の例を挙げました。彼らも外から見れば「才能があるんでしょ」って思われてる。
でも、そうじゃない。才能だけだと最初はちょっと目立ってても、彼らみたいにはなれない。「小さい頃は神童と呼ばれてた」で終わってしまう子は世界中にたくさんいる。
彼らのうち、尋常じゃない努力をした人だけが、ああいう結果を出せているんです。違いはやっぱり努力の量と質にある。そこを忘れちゃいけないんだよね。
そういえば、当然に世界を目指すのであろうテフ君(17歳かな?)も、このエントリを読んでくれたみたい。
あと、こんな17歳もいますよというのも教えてもらった。
正直、この子(とか呼ぶこと自体失礼)、この人のインタビューの受け答え、17歳とはとても思えない・・ちきりんが書いたエントリでは、アスリートや勝負師、音楽家だけだったけど、もはや商品開発やビジネス企画の分野でも年齢なんて関係なくなってきてる。
★★★
あと、「ゲームが社会を救う!」的な論調も、あちこちに。
この話は当時も話題になったのを覚えてる。最近はTedにも「みんながもっとゲームをしたら社会がよくなる!」っていうスピーチがある。
最後に、ツイッターで教えてもらったこのブログエントリは非常に示唆的。
いわく、自分が最近思う、頭のいい人とは、
・ゲームやパズルに熱中していて
・勝負師(ギャンブラーやチャレンジャー)だという内容。
これ、ほんとにそうかも。
上記のイギリス人高校生を見ても、「いい大学に行くなんて、なんの意味があるの?」みたいになってきてる。それより自分の好きなことに思い切り熱中して、ここぞと思ったら大胆に勝負する、そういう姿勢が成功に不可欠。
いい大学からいい会社に入ろうとする保守的な人、すなわち、23歳から守りに入ろうとするような人が、10代から「自分で勝負する」生き方をしてきた人に、勝てると思う?
子どもを塾に通わせてせっせと「いい大学」コースを狙わせてる人は、マジで時代がどう変わろうとしているか、よーーーーーーーーく考えたほうがいい。
自分の子供にそんな保守的な姿勢を教え込んでしまったら、わざわざ“まったく時代についていけない人間”をつくろうとしてるようなもんです。
そんじゃーね