最近は普通に生活するだけでも、法的効力をもつ様々な書類にサインや同意、判子を求められますよね。たとえば、、
(1)不動産を取得&売却した時
自宅マンションを買った時、販売契約、ローン契約、抵当権設定、登記関係、委任状、保険契約など多数の契約書に実印を押しました。一応すべてに目を通しましたが、当時は仕事も忙しく、帰宅後、深夜に難解な文書を読むのは苦痛な作業でした。
住宅ローンが終わって抵当権を解除する時は自分で手続きしたのですが、この時は法務局の職員の方に教えられるままに書類を作りました。「よくわからないけど、これでいいらしい」という感じです。不動産の売買やローンを組むというのは、まさに「契約作業」なのだと実感しました。
不動産よりはマシでしたが、車を購入した時もあれこれ書類を作った記憶があります。
(2)国際機関に就職しようとした時
20代の頃ですが、この時は、中学校の卒業証明書から成績証明書、さらに「その学校は中学校である」という証明書まで求められて笑えました。その上、面接のプロセスが進むごとに「次はこの書類を用意して下さい」と次々と提出が必要な書類の一覧表が渡され、「これは私には合ってない仕事だ・・」と気がついて、途中で応募をやめました。
教育制度が全く違う世界中の国から応募がある国際機関では、履歴書に書いてある学校が何年間の学校なのか、義務教育なのか、いちいち証明書が必要というわけです。
でもそういった背景を考えても、求められた書類の量は尋常ではありませんでした。日本も多額の資金を国際機関に拠出していますが、それらの一部は、こういった提出書類をチェックする人の人件費になっているのでしょう。
(3)許認可や補助金をもらう時
許認可や免許の必要な事業を始める時の手続きはあまりに複雑で、多くの場合、その分野に明るい弁護士の支援が必要になるし、書かれたルール(法律など)を読んだだけでは理解できず、役所の担当者に直接教えてもらう必要があります。
株式会社の設立については昔よりはかなり簡素化されましたが、それでも、なんだかんだと役所に通わされた経験のある方も多いでしょう。
また、たかだか“バリアフリー・リフォームの補助金を申請する”というレベルのことでも、それなりに複雑な手続きが必要です。本来は単身高齢者のための補助金なのに、「高齢者一人じゃとてもこの手続きはできないでしょ?」と思えるような事務処理を求められます。
(4)ソフトウエアを買う時。ネットサービスを利用する時
インターネットの世界も、すぐに「同意」を求められますよね。延々とスクロールをする必要のある長い文章を読んで(?)「同意する」というボタンを押さないと何ひとつ始まりません。特に金融取引をする際に求められる確認文章の量は膨大です。
★★★
というように、役所からインターネットまで、最近の世の中は“法的な文章”に溢れていて、もはや私たちはそれらを回避して生活することはできません。
祖母の時代であれば、一生の間に判子を押した書類はせいぜい婚姻届けくらいだったはずです。(それも戦前なので、親ではなく本人の判子が必要だったのかどうか不明です。)
一方、今の二十代の人などは、一生のうちにいったいどれくらいの契約書に判子を押すのでしょう?そして、そのうち「目を通して、ちゃんと理解して契約する文章」はどれほどあるのでしょう?
そういえば、先日テレビが、高齢の一人暮らしのおばあさんが悪徳リフォーム屋にだまされて大金を巻き上げられた事件について伝えていました。その人には身寄りがないので、今後は役所が後見人を紹介するとのこと。で、その様子をテレビが放映してたんですけど……。
市役所の人と担当の専門家が家に来て、「おばあちゃん、ここに判子を押してね、押すだけだからね」といって、後見人になるための契約書に判子を押してもらっていました。
なんだかブラックジョークみたいだなと思いました。この認知症のおばあさんにとっては、悪徳リフォーム屋も役所の人も同じに見えていたことでしょう。わけのわからない紙に「ここに判子を押してね!」と笑顔でいう人達。
なんだかな〜ですよね。
また明日