下流社会

久々に「おもしろい!」本に“あたり”ました。三浦展さんの「下流社会」という本です。最初に話題になったのはもう半年くらい前かもしれません。

多くの含蓄・洞察があり、300ページ弱で780円、読む時間は3時間くらい・・価値あるお金と時間の使い方だったと思います。(←なんだか発想が下流的ですが)


何がおもしろかったかというと、まずは

「自分らしく」症候群が、「下流社会」の源泉である、という洞察。

いわゆる団塊ジュニア層=30才前半の人の層が、“やたらと”「自分らしく生きたい!」と言う傾向が強いと。この点は多分この本より前に指摘している人がいますが、ではこの「自分らしく症候群」はどこからきたのか、という話が新しい。

実は団塊世代(これから数年で定年する世代です)が、最初に「自分らしく生きたい!」を言い出した世代なんです。でも、この世代がそれを言い出した時代は、すべての人に“全国民は日本の高度成長のための従順でタフな歯車たれ!”という大号令がかかっていた時代なのです。

そういう、モーレツサラリーマンの道を否定することがほとんど不可能だった時代に、滅私奉公的な働き方の中にも“なにかしら自分らしい味付け”を探していく、そういう試みが「自分らしく生きよう」運動(思想)だったわけです。

したがって、その世代の人達にとって「自分らしく生きる」のは、単に歯車になりさがるのにくらべて圧倒的に大きなエネルギーが必要とされる生き方であり、社会との戦い、抵抗運動のスローガンとしての生き方論、だったのです。


で、この人たちが親として教師として子世代を育てる際に「自分らしく生きることの価値」を強く説いた。そのために、団塊ジュニア世代に「私らしく症候群」が受け継がれた。

ところが団塊ジュニア世代は親世代と違って、「お国の復興のための歯車たれ!」などというプレッシャーは全く受けていない。

だから「自分らしく生きる」のは、親世代にとっては“社会への抵抗”であったのだけど、この世代にとっては“社会がどうであれ、自分には関係ない”みたいな生き方として伝わってしまった。で、いわゆる「上昇志向」を失ったセグメントがでてきたと。そういう話です。

説得力あるなあと思いました。なるほどね〜です。


自分らしく生きること」の難易度が大きく変わったわけですね。昔はすごくエネルギーが要る生き方だったのに、今はすごくエネルギーレベルが低くてもよい生き方になった。

エネルギーレベルの高い昔の「自分らしく生きた人」は勝ち組(中の上の層を獲得)となり、エネルギーレベルの低い今の「自分らしく派」は下流となっている、というわけです。


ちなみに、ちきりんは、団塊と団塊ジュニアの間にいる「新人類世代」で、この世代は「昭和ヒト桁生まれ父親」の世代に育てられてます。昭和ヒト桁世代は「自分らしく生きろ」などとは言いません。社会規範や道徳観、家族観の規範の中で生きた世代ですから。

なので、その子供である新人類世代は「ぐだぐだわがまま言わずに働け!」という考えで育てられています。実際に「頑張れば報われた最後の世代」でもあり、頑張ることに肯定的です。

なので下流に向かいにくい。そして「自分らしく派」が口にする「自分探し」だとか「自己実現」などという言葉を忌み嫌っています。「甘えてる」とか「世間知らず」と言ってね。ここでも「親の世代の意識」が「子供世代の意識」に引き継がれているように思えます。


もうひとつおもしろい点。下流というのは経済力の話としてよく語られますが、この本の中で、経済力は「結果」であり、むしろ「上昇志向」「エネルギーレベル」がないのがそもそも“下流になる原因”だと指摘されています。

で、結果として経済力がなくなるのだが、それを気にするそぶりもない層のことを下流と呼ぶのだと。そうなると、極端なこと言えば「引きこもるのが俺らしい生き方なんだ」という理屈もありうるわけです。

この理屈に沿えば、自分の子供をニートやフリーター、それを含む下流層にしたくなければ、「自分らしく生きろ」とか「自分のやりたいことを見つけろ」とか言わない方がいい、ということになります。が、まあ行き過ぎると暴れられたり(最近あった事件では)自宅に放火されたりしちゃうし、難しいところです。

とにかくこの本では「自分らしく症候群」が下流社会発生の根本原因としてとりあげられており、それが親世代の育て方から影響を受けたものだと解説されています。この点はおもしろかったです。


★★★

他にも興味深い着眼がいくつかありました。下流の人が「動かなくなっている」という話。地元の大学に行くというレベルの話ではなく、例えば東京でも「生まれた街の私鉄沿線の大学に進学する」みたいになってると。

これ、ほんとそうなってるよね。小学校から大学まで、そして遊びに行く街まで、全部「○○線沿線の街」になってる人いそうです。

地方に住んでいて、「東京で学生生活を送りたい」と思うと高いエネルギーが必要なわけです。めんどうだからそんなことしたくない。「地元でのんびり暮らすのが、オレ流」であり、それにたいして「自分らしい」という免罪符もある。

こうなると「自分らしく生きる人」というのは、別の見方をすれば単に(未知の世界に挑戦する意欲も行動力もない)「エネルギーレベルの低い人」であり、もっと批判的に言えば「怠け者」にすぎない。

なんだけど、「自分らしく生きる」という免罪符を手に入れてるから、やたらポジティブに聞こえる、そんな感じです。


長くなるのでもう止めましょう。

もちろん世代論は、「この世代はこんな感じ」と言っても「例外無し」というのはありえない。ちきりんとしても「?」な点もいくつかありました。

また、女性に関する分析は特に難しいと感じました。夫の給与が高いのも自分の給与が高いのも、いずれも女性にとって自分の「上流意識」に貢献するんですが、このふたつの意識が必ずしも同じでないから「上流意識をもっている女性」という分析では、全く異なるふたつのグループが混じってしまう。この辺は将来の分析に期待したいです。


ではでは