条件が揃いすぎ

欧米はもちろん、中国や韓国でも、40代で大企業、一流企業の社長や政治リーダーになる人は珍しくありません。そういう世界の潮流に逆らって、日本ではそのひとつ上の世代がリーダー層として実権を握り続けています。これはなぜなのでしょう?


思いつくままに「シニア層が、パワー志向となり、権力を握る理由」を考えてみると、

(1)寿命が長くなった

日本人の平均余命はとても長いため、政治家や経営者、自治会長のような“年齢による一律定年が適用されない世界”では、元気な高齢者は80歳までなど、そのままリーダーポジションに残ります。


(2)人生における家庭の位置づけが低い

今のシニア世代には、「男は外で戦い、女が銃後(家庭)を守るものだ」という概念があります。長い間に染みついた、この男女の役割論的な感覚に基づき、「働き続けること=男であり続けること」、「引退して家庭や地域などの女の世界に入るのは、男として終わりを意味する」くらいに思っていそう。

「俺は死ぬまで働いていたい」などという科白がでてくる深層心理も同じで、彼等にとって家庭とは“女子供が暮している二流の場所”なのです。だからできる限り長く、職場にいようとする。


(3)階級なき年功序列社会である

たとえば欧州は「階級ある実力社会」、米国は「階級なき実力社会」=完全な実力社会、韓国は「階級ある年功序列社会」です。中国は米国型、サウジアラビアは韓国型でしょう。

その中で日本は、「階級なき年功序列」、すなわち「完全なる年功序列」です。この国には年齢を超えるヒエラルキー基準が存在しないのです。


階級があると、完全な年功序列にはなりません。韓国社会は非常に年功を重んじますが、リーディングカンパニーの多くが財閥支配の会社で、そこではトップ経営者は一族から抜擢されます。会長の息子や一族の青年は海外で勉強した上、若くして経営者ポジションにつきます。

欧州も同じです。特定階級の人は特殊な大学や職業学校からいきなりリーダー、経営者候補として社会にでます。カルロス・ゴーン氏が卒業した学校は社会のリーダーになる人だけが行くところで、東大のように、“卒業生は皆一兵卒として就職する”ような普通の学校ではありません。

つまり、アメリカのように年功よりも実力や成果が重視される国に加え、階級や特権層が存在する国でも「若くても権力を握る人」が一定数でてくるわけです。

ところが日本では年齢以外に重要な要素がなにもありません。優秀でも若いというだけで権限を与えず、「若い間は下積みが重要」などと公言します。

また、若い人までがエリートコースの存在を毛嫌いしたりします。若い人まで「成果主義」「実力主義」を肯定しないのなら、全員が納得できるヒエラルキー基準は(この国では)「年齢」しか存在しえないのです。


(4)実際、シニアな人の方が優秀だ。

この国には「経験を知識にして学ぶ」という仕組みがなく、「経験は経験として学ぶ」という方法しかありません。なので学ぶのに時間がかかり、学び終えた時には皆シニアになっています。

「経験を知識として学ばせる」のはアメリカが得意な方法で、彼等は「経験知をなんでもマニュアル化して、学校で教え、意識的に若い人を育てよう」とします。だから若い人の成長が早いのです。

一方の日本には「誰かが20年かけて学んだことを、システィマティックに3年で学ばせる」という概念がありません。さらにいえばそういう概念が嫌いです。「経験を知識として短期間で学ぼうなんてズルイ」、「時間をかけて、人生をかけて、学ぶべきだ」と思っているのです。

そのため、この国では「若い=未熟」です。頭がよく新しい分野の知識があって行動力もあるのに、精神的な未熟さ、視野の狭さ、場や雰囲気をつかむ下手さなどのために、狡猾なシニア層の手のひらで踊らされてしまい、時にはひっかけられて逮捕されたりもします。

リーダーとして必要なことを、誰しも「年齢分しか学べない」のであれば、若い人はいつまでたっても年をとっている人にかないません。

★★★

というわけで、、まとめると、


(1)寿命が長くなり、シニア層には長い時間がある。

(2)彼らにとっては家庭の価値が低いので、いつまでも仕事社会に居続けたがる。

(3)年齢だけによって機会を分配するので、若い人にリーダーポジションが与えられない。

(4)経験を知識や智恵として学ぶという教育方法がないため、学びに長期間が必要で、学んでいるうちに皆がシニアになってしまう。(結果として、シニアの方が優秀・・)


この国のパワーシニアは、出るべくして出てきたのです。


じゃね。