戦う相手、ちがってますよ

昨年以来、若年貧困層が立ち上がり声をあげています。そのスローガンの中に「この年収では結婚もできない!」というタイプのものがあります。

ちきりんは、若者層がひどく虐げられているといるという現状認識については同意見なのですが*1、この手のスローガンにはいつも違和感を感じます。

それは、この「結婚できる給与額の要求」が、まさに日本が高度成長時代に作り上げてきた「年功序列賃金制度の維持」を意味しているからです。

その主張の中では、給与とは“お金が必要な人に払うもの”であり、“仕事の成果に対して払う”ものとは位置づけられていません。

だから、子供の教育費や家のローンなど一番お金が必要な 50代の給与を高くして、薄給でも暮らしていける若者には安い給与を払うのです。

日本では女性の給与は男性よりかなり低く抑えられていますが、この背景も同じでしょう。

女性軽視云々の前に、女性とは“一家を養わない種族”であり、“一家を養う必要のある男性”により多く払うのは当たり前だと考えられてきたのです。

さらに今は多くの企業で廃止されましたが、以前は大企業には「家族扶養手当」なども存在していました。給与とはまさに「家族を養うのに必要なお金を支給する制度」だったのです。


翻って現在、若者者は「こんな年収では結婚できない」と自らの不遇を訴えます。けれど、もし今の段階でそれに必要な額を払えば彼らは数年後には「こんな給与では子育てできない」と言い出すでしょう。

そして 10年後には「こんな給与では家のローンが払えない」、60才になれば「こんな退職金では親も介護できない」と言い出すことになります。

これをすべて満たしていけば、彼等の主張は「年齢があがれば必要な額も大きくなる。したがって、中高年により多くを支払え」という主張となり、つまりは「年功序列賃金を維持してくれ!」という主張と同一となります。


35才の男性(妻と子供あり)と、23歳の新卒1年目の男性(独身)が同じ仕事をしていたとしましょう。

妻子がいる 35才の男性には 35万円の給与を支払い、22才単身者には 22万円を支払う。その代わり、22歳の男性が 35歳になった 13年後には 35万円(+インフレ分)を支払うと約束する。これが年功序列賃金であり、正社員の給与はこのように決められています。

ところが非正規雇用では時給で給与が計算されます。

同じ仕事であれば、労働者の年齢に関わらず時給は同じです。すなわち時給の仕事では賃金は年功序列ではなく、“同一労働同一賃金”なのです。

だから 35才妻子持ちの男性も、22歳の単身者と同額しか稼げなくなり、結果として「この年収では結婚できない」となる。これが現在起こっていることです。

しかし、だからといって「非正規雇用の労働者にも、年功序列賃金制度を導入するべきだ!」というのが、本当にワーキングプアと言われる若者達が主張すべきことなのでしょうか。

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図で見てみましょう。左側が若者で右側が中高年です。上段(青とピンク)は「人件費が桁外れに安い外国の労働力に代替されない能力を持っている人」で、下段はそういった国の労働者に「代替される人たち」です。

現在は、グローバリゼーション(生産等の海外移転等)によって、下段の人達の給与が世界水準に向けて下がり続けています。

世界では“同一労働同一賃金”が普通ですから、年齢が高いから、妻子を養う必要があるから、日本の物価が高いから、というような理由で、給与額を決めるわけにはいきません。

しかし、中高年の多くは正社員であるため給与が下げられません。そのため緑の箱にいる若者にすべてのしわ寄せが来ているのです。



それぞれの箱には彼等の主張を入れてありますが、ちきりんが違和感があるのは、ここで左下、緑の箱の若者が発する「結婚生活に必要な額を支払ってほしい」というタイプのスローガンです。

前述したようにこれは「年功序列賃金を払え」という主張と同じです。「給与は生活給である」という前提の上にたつ要求です。

ちなみに上段の人にとっては成果主義制度が有利で、下段の人には年功序列賃金が有利なので、緑の箱にいる若者が「年功序列賃金が望ましい」と主張すればそれは、それは下段の人から上段の人に向けた要求と認識されます。


けれど、ちきりんにはこの“上下の戦い”があまり生産的に思えないのです。

なぜなら、上下の戦いは「資本主義の上段」と「共産・社会主義の下段」という構図だからです。

資本主義では給与は成果に基づいて分配しますが、共産主義では成果とは関係なく生活費の必要性に応じて分配するのが原理原則です。上下の対立とはそういう対立です。

しかし、その構図で今から戦うのは無理ではないでしょうか。1991年にソビエト連邦を初め共産主義体制は大層が崩壊してしまいました。また社会主義的な政権の欧州の国でも、再分配機能は強化されていますが、下段の労働者の賃金制度は“同一労働・同一賃金”となっています。

このグローバル経済の時代に、日本だけ「給与は成果に基づく額ではなく、生活必要額を払います。非正規雇用の人にも年功序列賃金制度を導入します」などという結論を勝ち取るのは不可能に思えます。


しかし一方で、左(若者)と右(中高年)の問題に注目すればどうでしょう。

下段の若者と中高年は、仕事においてほぼ同じ成果を出しているのに、既得権益を持つ中高年だけが正社員として厚く厚く守られています。同一労働をしているのに、若者の方は正社員になれず、その賃金は非常に低いのです。

この左右の格差について「それはおかしい!」と主張するのは十分に理のある戦いです。こう主張するなら、若者達の主張が通る可能性は十分あります。

ちきりんが不思議なのは、若者達がなぜ勝てる可能性のある「中高年との格差の理不尽」と戦わず、勝ち目のない「資本主義の原則」と戦おうとするんだろう、ということです。

いや、若者の中にも「既得権益者である中高年vs犠牲を押しつけられた若者世代」という対立構造を意識している人はたくさんいるでしょう。

しかしながら、彼らの多くが「結婚できるだけの給与を払え」というスローガンが、その対立構造と矛盾していることに気が付いていません。

彼らが唱えるべきはあくまで「成果に基づいて払え!」というメッセージのはずなのです。

そうすれば、自分達と変わらぬ成果しかだしていない中高年(下段、赤い箱の人達)が貪っている不当に厚い賃金を一部分配させることができるはずなんです。

この「成果に基づいて払え!」というスローガンは、「結婚できる給与を払え」=「生活に必要な額を成果に関わらず払え!」というメッセージとは全く異なるものです。

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現在の中高年の中心である団塊の世代には、若い頃の経験から「資本主義 vs. 社会主義・共産主義」という対立構造が染みついている人がいます。

彼らはデモやアジテーションにも慣れており、若者がデモをするといえばいろんな指導をしてくれるでしょう。

しかしちきりんから見れば、その人達が若年貧困層の不満を利用して、対立の構図を歪めているのではないか、とも思えます。

若者達の怒りが自分たちに向かうことを避けるため、他の人達に怒りが向かうように仕向けている、と。つまりは(ここでも?)若者は中高年に巧みにだまされているんじゃないでしょうか。


というわけで、ちきりんからのアドバイスは「戦う相手を間違えるな」ってことです。

戦うべきは「成果に基づく報酬を受け取っている人」ではなく、「成果より遙かに多い報酬を受け取っている人」です。

その「成果より遙かに多い報酬」を正当化している「年功序列賃金」制度を支持するようなスローガン(=「結婚できる給与を払え」)を掲げていては、話が混乱するばかり、という気がします。


そんじゃーね。

*1:以前のエントリでは、右側の中高年が左側の若者を切り捨ててきた、という話について書いています →http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20071228