朝青龍問題の本質

どっかの市職員で、市長が音頭をとった「メタボ対策チーム」に入り、太った体で真夏の朝からジョギングしてて突然死された方がありました。

かたや、高齢でヘビースモーカーのタレントが24時間走るという無謀なイベントに視聴者の半数がチャンネルを合わせる。

この国の人が、「スポーツに対して何を期待しているか」ということが非常によくわかる事例だと思います。


日本がスポーツに求め続けるもの、それは「根性」です。もしくは、「さわやかさ」とか「スポーツマンシップ」と呼んでもいいけど。

これ、アメリカだと「金と成功」ではないでしょうか。南米でもそう。「栄光と経済的な成功」。ロシアや中国など大国主義の国にとっては「国家の威信」でもあるでしょうし、北朝鮮では「特権」であり、「生きる術」とさえ言えます。

ベッカムのように、労働者階級の学も常識もない若者が、超人気スターと結婚し、貴族のようなお城に住める。それが、スポーツが世界の頂点を極めた成功者に提供している価値なのです。


っていうか、実は日本でも、長らくスポーツは「金のツール」にすぎません。しかしながら、この国は「金の臭いのするもの」をやたらと嫌うのです。

間違いのないように。「金」が嫌いなわけではないんです。。「金の臭いのする金」が嫌いで、「金の臭いのしない金」が大好きなんです。

★★★

高校野球があんなに人気なのは、金の臭いのしない、巨額の金脈だからでしょう。オリンピックも「アマチュア精神」という隠れ蓑があるから大好き。頑張るマラソンランナーの笑顔のCMに、何千万の金が動いていることが見えないから、汗と努力しか見えないから、みんな大好きなのよね、

貧しくても高貴であれ!というのは、歴史的に長い教えだからなのか。儒教か、神道か、武士道か知らないけど、とにかく、やたらと信じられ、根付いてる、と思います。

イチローも松井も松阪も、「世界の頂点を目指したい」と匂わせて渡米したから「許せる」けど、もしも、「なんで僕の実力で、年に2億円しかもらえないんですか?」と言って渡米していたら、皆、彼らを罵倒するはず。

「かっこが大事」です。

★★★

朝青龍はちがうんだよね。この国の長い歴史にはぐくまれた価値観など持ってない。彼にとって相撲というスポーツは、ブラジルのサッカー少年にとってのサッカーと同じです。「貧しさから脱出し、富と栄光と権力と人生の意義を手に入れるための手段」なんです。

言葉も通じない国に来て、ようやく頂点を極めたんです。実力社会を実力でのし上がった。ようやく目的が達成されたのに、「一生清貧でいろ」というわけ? 「清貧である振りだけはしろ」と?

彼はそんなの待ってられないよ。彼の一族、親族や友人、故郷の仲間達がみんなして、彼が手に入れたその富を分けてくれるのを待っている。なのにそれを責める日本の相撲界、そして、相撲ファンだという人達。


なんで、最近はもう日本人の大関も横綱も登場しない? なんで日本人が相撲取りにならない?

簡単です。昔は、東北地方の「食えない農村」が相撲取りを輩出していたからでしょ。今は、東北でも「食える」から、誰もあんな生活をしたいと思わない。中学を出てすぐに親元を離れ、先輩力士からの理不尽な修行を受けたいと思う人はもう日本にいないからでしょ。

今までの日本人だって、「貧しいから相撲取りを目指していた」だけなんです。国技だからでも武士道に感動したからでもありません。子だくさんの農村で食べていけないから、親方に人生を預けた親と息子がいただけ。

日本は田舎でも食べていける国になった。だから、食べていけない国から力士を集め始めた。なのに、「金のためにやってくる若者達はどこでも同じ。変わらない」と思ってた。

でも、ちがう点もあった。


「金は悪くないが、金の臭いを漏らしてはならない。」という微妙な感覚が、彼らにはわからない。

「実力で手に入れた金ならば、おおっぴらに誇示し、おおっぴらにばらまき、おおっぴらに振る舞うべきだ」超のつく大豪邸に住み、親類縁者に贅沢をさせ、超美人の奥さんに、超高給クルーザーに別荘に・・・。

それが自分の後を担う若者への夢を与えることになる、それが、成功した者の責務なのだ。

という世界を、今度は、日本人側がわからない。

★★★

相撲の世界における「お茶屋さん」、力士や部屋の「後援会長」そして、「親方株」、地方巡業の興業。

どれもこれも「金から、金の臭いを取り去るため、長い時間をかけて作られた仕組み」だよね。検察も、国税も、「国技」の御旗の前に手を出せない、守られた、万全で安全な「金のパイプ」が相撲界の周りには、ものすごい巧妙に張り巡らされている。

日本人の横綱なら、そういった先祖先輩が用意してくれた隠れ蓑を利用して、「金の臭いのしない金」を入手できたし、必要な人にばらまけた。

しかし、モンゴルからやってきた出稼ぎ青年には、そんな仕組みは使えない。彼らが金をばらまきたい人達に、既存のパイプを使って、お金を届けることはできない。横綱は日本人であるということを前提として作られた既存のパイプは、モンゴルまでつながっていないのだもの。


彼には夏巡業なんかにでているヒマはなかった。モンゴルでは、彼が立ち会わなければならない様々なビジネスの予定がぎっしりだった。彼が行かなければまわらない仕組みが既にできているわけです。

夏巡業が「つらいから」逃げたなんて、あり得ない。彼は「甘やかされた日本人」とは全然違う。そんな発想は彼にはないよ。なんだって我慢できるはず。どんなつらいことでも耐えられる。金と権力を手に入れるためならなんでもできる。だから彼は今、横綱になってるんだよ。

「夏巡業が暑くてつらいから逃げた」と報道するマスコミの記者ほど、本質が見えてない人達はいないよね。彼らこそ「暑いと働く気がしない」などという贅沢が許される社会で育ってきた。

朝青龍が育った環境は、そんなんじゃなかったと思うよ。



「金の臭いがしない金の仕組み」を守ろうとする相撲協会。

出稼ぎで成功した錦を故郷に還元しようとする若者。



「国技とスポーツ道の精神を理解せず、わがままで、つらい夏巡業を嫌い、金に走る、モンゴルの若者」を責める日本の常識ほど、気分悪いものはない。


じゃね。



<追記>
既存の金のパイプと「異なる金のパイプ」を作ろうとした人達は、過去、日本人にもいます。貴乃花夫人の景子さんとか、20年くらい前に地方巡業から「入れ墨のある人」を取り除こうとした親方とか。

でも、誰も「日本相撲協会」には勝てなかった。既得権益ってのは、尋常じゃない力をもっている。