どっちが正しいか

若い人が言う。「大人の言うことは信じられない」「自分たちの生き方を押しつけるな。」
大人達が言う。「時間がたてばお前にもわかる」「お前のためを思って、言っているのだ。」


たとえば、勉強が嫌いな中学生の息子に親が言う。「勉強しろ」
子供が言う。「勉強なんか嫌いだ。得意でもない。大学なんか行かない。」

親が言う。「お前は世の中がわかってない。大人になればオレに感謝するだろう。とにかく大学だけは行っておけ。」



たとえば、離婚したいという娘に母親が言う。「夫婦は耐えるものなのよ。」
娘は言う。「もうだめ。我慢できない。この人と一生を過ごすことはできない。」

母は言う。「私も(あなたの)お父さんと何度も別れようと思ったのよ。でも、あなたも年をとったらわかるわ。あの時、別れなくてよかったと。」


どこにでもありそうな一般的な会話です。「大人の言うことは嘘ばかり」と思う若者に、「若者は世の中がわかってない。」というシニア。

これ、どっちが正しいのか?

というのが今日のテーマ。

★★★

まず直感的に「どっちも嘘はついてない」と思う。若者の「論理」も正しいし、シニアの「経験」も正しい。お互いに「正しいと思って言っている。」

ちきりんは昔は、これは「論理と経験のぶつかり合い」であり、したがって、包括的にみれば「シニアの方が正しい」と思っていた。だって世の中は論理だけでは動かない。実際に何が起るかを体験してからモノを言っているシニアの方が、論理で「こっちが正しいはず」と主張する若者より「現実的には正しいだろう」と思っていた。

でも今はそうは思わない。「若者が言っていることの方が正しそうだ」と思うこともたくさんある。つまり「どっちが正しいのか?」という“主語・主体”の問題ではなく、「何について話しているか」という“対象”側によって、若者が正しい場合とシニアの方が正しい場合にわかれるのだ、と気がついた。


では、「何に関しては若者の方が正しく」「何に関しては、シニアの言うことの方が正しいのか?」

その分かれ目は「数十年以内で変わること」と「変わるのに百年はかかること」だ。

数十年で変わることについては、年配者のアドバイスは無用などころか、誤りを誘いさえする。30才で生んだ子なら、自分とは30年は違う時代を生きることになる。したがって30年以内に変わることについては、親の経験に基づいたアドバイスは役立たない。

たとえば教育制度、雇用制度、結婚のトレンド、経済制度などの社会的な制度や枠組みは30年もたてばすっかり変わってしまう。今から30年前の1970年代後半には、一流大企業がリストラをするとは誰も思ってなかった。大学が生徒集めに必死になる状況も想像できなかったし、バブルが来るとさえ誰も思っていなかった。

ちなみに「百年変わらない」というのは1907年(明治40年)から今まで変わってないってことです。「そんなに長い間、変わってないことが何かあるのか??」と思うほど昔です。

社会慣習や社会制度などにおいて、こんなにも長く不変ということは余り存在しない。しかも変わるスピードはどんどん速くなっている。つまり、大半の“社会的な常識”は数十年で変わってしまうのだ、と思った方がよい。

というわけで、両親や先生、もしくは、40才も年上の会社の経営者の方が言う「大学だけはでておけ」とか「籍だけはいれるべきよ」、「○○業界は将来有望だ」、「とにかく若い時は我慢しろ」みたいなアドバイスは、必ずしも有用とはいえない。

★★★

じゃあ百年変わらないこととは何か?

百年変わらないことの多くは「人間の本質」に関わるようなことだ。生まれて、成長して、成熟して、老いて、死んでいく、というサイクルは千年単位で変わらない。

また、嬉しいとか好きだとか楽しいとか、反対に、羞恥心、嫉妬心、憤りのような気持ちも変わらない。人間の感情のありようが太古の昔から変わってないことは、歴史を見ればよくわかる。

つまり、社会制度ではなく人間の“生物としてのサイクル”や“感情や心”に関わるようなことは百年たっても変わらないから、そういうことに関しては、シニアな人が言うことをよく聞いておけば役に立つ。


昨日、薬害訴訟の元原告で今は国会議員の川田さんが記者会見で、「中学、高校の頃から“いつまで生きられるか”と考えつつ生きてきた」とおっしゃっていた。

そんなこと、普通の人は中学、高校時代には考えもしない。しかし70才になれば死を意識しない人は寧ろ少数派になる。つまりシニアな人の多くは、「死」というものを意識した時に人はどのような心持ちになるのか、人生はどうみえるのか、ということを知っている。

それは、大半の健康な若者にとって考えたこともない、未知の世界だ。が、それは将来必ず自分にも訪れる気持ちの変化、人生への姿勢の変化なのだ。若い頃からそのことを意識しておけば、生き方が変わることもあるのではないだろうか。

また、「親が子供にどんな気持ちをもつものなのか」「大事な人を失ったら、どういう気持ちになるのか」、そういう“人間の感情”も若い時には想像がしにくいが、いずれは誰もが感じることになる感情だ。

「年をとらなければわからないことがある」というのは、事実なのだ。


というわけで、

<本日の結論>

人生の先輩方へ:後輩へのアドバイスは、“人間として”“人との関わりにおいて”どうすべきかという点に絞って与えてください。社会について、仕事についてのあなたのアドバイスは、残念ながら多分役に立たないです。そういうことについては、若い人が若い人のやり方でやるのを、信じてあげましょう。


人生の新米の人達へ:人生の先達が、勉強や仕事などについて何かもっともらしいことを言ってきても、おそらくそれらはあなたの人生には関係がありません。

でも、人として、人との関わりにおいて、こうなのだ、という話があれば、それには謙虚に耳を傾けましょう。ずっと後から、あなたもそのことがわかるでしょう。



なんだけど、更に一歩進めるともうひとつ大事なことが見えてくる。それは、

「人として、人との関わりにおいて、生きてきて、学んでこなければ、後輩に残せる言葉はひとつも得られない。」ということだ。

いくら“社会的に”様々なキャリアを積み、ビジネスで大成功しても、“人”として、体験し、感じ、成長してこなければ、何も誰かに伝えられない。


つまり「仕事ばっかりしてたらあかんのよ」と、いうことだ。子供や親や友人や同僚と人として向き合い、ポジティブな感情だけではなくネガティブな経験や感情も含めて、“人として”感じ考えたことが、次の世代の誰に伝える価値のあるなにかを生む。


これがわかったのは、実は結構、役立ったかも、と思う。


じゃね。


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