テロルの構造、ネットの可能性

ちょうど一ヶ月前の11月26日にインドのムンバイで起ったテロについて書いておくです。

捕まったテロリストの一人が「今回の実行犯の多くはパキスタンの施設で一緒に教育と訓練を受けた」と自白してた。それを聞いた時、


ああ、また同じ構造だと思いました。


自爆テロに典型的なのだけれど、過激派っていうのは“頭”=“かしら”がいて、彼等は「テロをする手下」を大量に集めて(洗脳し)育てるのだよね。んでテロの実行部隊として一斉に現場に送り込む。

テロの実行部隊となる人達=自分の命と引き替えに他人の命を奪う人達、には共通点がある。それは、貧しく、無知で、とてもいい人だということ。


パレスチナでは、ハマスという宗教団体が貧しい家庭の集まる地域に寄付をしたり、教育支援をしてる。貧しい家の子供達はハマスのおかげで学校に通え、飢えをしのぐことができる。でも同時にこのハマスという団体は、過激派組織への入り口でもある。

子供たちは勉強会や祈りの会に誘われ、それらに参加するうちに、極めて過激な教えを移植されてしまう。そしていつからか、民族の誇りを賭けた熱い志に人生を賭していこうと決めてしまう。


イスラエルで頻発する自爆テロも、911も今回のインドのテロも同じ。極貧の中に育ち、なんの人生設計も持ちえない彼ら実行犯達にとって、与えられたそのミッションは、彼等の人生において唯一の、意味ある、誰かの役にたつ、自分の誇りと情熱を捧げるのにふさわしい、使命だというわけです。


これはポルポト派の兵士達も、文化大革命の紅衛兵達も全く同じ。貧農の村に生まれ、なんの教育も受けなかった飢えた子供達は、10代の半ばという年齢で“兵士”となることで糊口をしのぎ、やがて崇高なる使命として与えられた虐殺犯としての人生を、奇跡的に巡り会えた貴重な運命として受け入れる。

彼等を操るのは、自らの過激思想を世界に知らしめるために「大量の、自分の命の重みも知らない手下」を必要とする、悪魔のような人たちだ。彼等は贅沢な生活をしているわけではないけれど、自分の過激思想を“自分の命を賭けて”実現しようとは考えてないし、自分の息子に自爆テロをやらせるつもりもない。


この構造ってホントやばいよね、と思うのです。


日本のような国でも、ここまでの(命を賭ける云々の)話ではないけれど、やっぱり似たような構造の問題が起る。

たとえば最近あったネット上での“国籍法反対”運動。


現行法の不条理を正した最高裁判決を受けて行われた法律改正を、「国籍バラマキ法案」であるとか「中国人がホームレスに金を渡して国籍を買う」などと煽りまくり、法律成立反対運動のチェーンメール(もしくは、チェーンブログ)活動を“仕掛けた”人達がいる。

この問題でも、“頭=かしら”には極めて過激な思想をもった人達が存在してる。国粋主義、排外主義的な思想を持ち、大和民族の絶対的な優越性を主張するマッチョな人達で、関東大震災の時に「朝鮮人が日本人を虐殺している!今こそ彼らを叩き潰せ」と煽ったのと同じ種類の人たちだ。

だけど、これらの“頭”に煽られて「国籍法改正反対!」とネット上で叫んだ多くの人達は、思想的にはなんの偏りもないごく普通の、善良な心の持ち主に過ぎません。

自らの良心から「日本のために今こそ自分が頑張らねば!」と意気に感じ、誰から頼まれたわけでもないのにせっせとネット上での宣伝活動に情熱を傾けた。(一部の有名人や政治家までがこれらの動きに同調した。彼らの影響力も絶大だった)


実行部隊として利用された多くの人は、先般の最高裁判決の背景を知らないし、認知という法的行為の意味も理解していない。

「知られないうちに、こっそりと決められた法案だ!」と叫ぶ人達は、最高裁が判決を出した時のニュースさえ読んでない。もちろん、この最高裁判決のずっと前から同じような問題が何度も報道され、改正前の国籍法に問題があったことも全く知らないはず。


「認知が生まれた後でも可能になります。つまり10歳の子供でも認知できるのです!!」と主張する人たちは、少なくとも11年前に親二名が同じ国にいたと出入国書類上で証明できなければ認知なんて受け付けてもらえないってことを知りはしない。ホームレスが金目当てに認知されるなんてことがどれくらい非現実的なことか、理解しえていない。

「最高裁の判決に問題があるのだ。だから法律の改正は阻止すべきだ」と書き込む人は、最高裁判決と法律の位置関係を理解していない。

一番笑えたのは「認知した子がもらう生活保護にはわれわれの税金が使われる。その防止策として、認知した親に扶養義務を求めるべきだ!」という意見。これじゃあ「私は認知が何であるか理解していません。」と言っているのと同じだよね。


この議論を意図的にふっかけた“かしら”の人達は、当然そんなことは十分に理解している。その上で、確信犯としてこの煽りをしかけてる。

彼らの目的は「中国人やイラン人が日本国籍を狙っている!」という「外国人に対する怖いイメージ」を広めること。農水省が「外米はまずいし危険」という印象を植え付けたがっているのと全く同じ。



ところが(ここからが本題なのですが)、今回の国籍法反対のネット言論テロに関しては、非常に早い段階から、冷静かつ専門的な「ちがいますよ、おかしいですよ、その主張」という人が現れました。

詳しい解説ブログやサイトが多数表れて、多くの人が途中から「ああ、そうなのね」と気がつき、いったん参加した「実行部隊」への参加をやめてしまった人もたくさんいた。

これがちきりんにはおもしろかった。


最初の言論テロ的な“仕掛け”は非常に巧くできていた。多くの善意の熱い心の人達がたかだか数日から1週間ほどの間に、宣伝ブログやまとめサイトやご丁寧に動画まで用意して「国籍法改正反対!」を叫んだ。どこまでが“かしら”の仕掛けで、どこからが“増殖する賛同者達のサイト“かわからないほどだった。

ところが、途中で「おかしな動き」に気がついた専門家も多かった。そして彼らの行動も非常に早かった。

名前を出された政治家も自らのサイトできちんとした解説をし、法律の専門家や、これまで長くこの問題の解決(国籍法の改正)のために頑張ってきた市民団体や活動家の方も、それぞれのサイトなどを利用して積極的に発言された。


そして急速に、正論が過激派の目論見を打ち砕いた。未だに検索では、極右の主張を展開したサイトが大量に上位に並ぶし、なかには弁護士であると自称している人のサイトもある。にもかかわらず議論がきちんと収束しつつある、ことに結構な意味がある。“市場”は何が正しいか見分ける嗅覚をもっている、ということ。




それをみてちきりんは思った。


最初に書いた本当の過激テロだって、ネットで一定レベルの防止が可能になるのだろうなって。



外界の情報と遮断された山奥の軍事施設で、過激な思想をまるで「国と民族を救うための、極めて重要な考え」であると教え込まれ、「自主的にあなたの人生をかけてその主張を広めて欲しい」と頼まれて心を熱くする若者達は、もしもネットで世界の情勢を知ることができたなら、きっと「ああ、これは違うかも。俺はのせられているかも」と気がつくことができたかもしれない。

ポルポトによる若者の動員や、文化大革命時の紅衛兵の動員は、今の中国くらいのネットの普及率があれば(たとえグーグルが思想統制に協力してたとしても)おそらく不可能なのではないかしら? 


もちろん第二次世界大戦の時のような「日本軍は快進撃を続けております!」と、国民をだまし続けるようなことも、今ではほぼ不可能でしょう。同じことが中東のテロでも起こりえるはず。

ちきりんは、これもネットが世界を変えうる新しい可能性のひとつだと思う。ビルゲイツが地球のあちこちにパソコンを寄付しまくっていることは大きな意味がある。はやくアフガニスタンとパキスタン国境あたりの山岳部とか、パレスチナとかに配りまくってほしい。

もちろん、ネット上にもテロは存在するし、サイバーテロ的な動きは情報化システムに極度に依存した現在社会にとって今までとは異なる脅威になるでしょう。

でもこのツールの特徴は、“狂気の独裁者”ではなく、“一般の多くの人達”により大きな力を与える点にある、とちきりんは思ってる。そう、ちきりんは“市場”を信じているわけ。



私は今まで、ああいったテロをなくすには世界から貧困をなくす必要がある、と考えてた。けど今は「なくすのは無知のほうでもいいのかも」と思い始めた。そしてそちらのほうはネットの力がまさに活きる分野じゃないかしらん。



などと考えたりする楽観的なちきりんなのでありました。