“大機小機”から

ちきりんは日経新聞を平日朝刊だけキオスクで買って読むのですが、この新聞の中で「これは読む価値あるよね!」と思える好きなコラムがいくつかあります。それは、


(1) 「大機小機」・・・マーケット総合面の左上に載っている、業界人の匿名コラムです。持ち回りで数人の方が書かれています。

(2) 「経済教室」・・・外部の学者など専門家の寄稿欄です。となりの「ゼミナール」や「やさしい経済学」なども勉強になります。

(3) 「私の履歴書」・・・最後の面に載っている有名人、企業人の自伝ですね。大半がゴーストライターが書く口述筆記伝だかな。あと、いくら有名でも「かなりの高齢にならないと」掲載依頼をしてもらえないです。


もしもちきりんが「中年のおっさん」であれば、(4)として「最終面のポルノ小説」も挙げたかもしれませんが、ちきりんにとってあれは、「日本経済、および、日本経済新聞社が、いかに男性オンリー社会であるかを高らかに宣言することが目的」としか感じられません。日経新聞の経営者の半分が女性になるまで、あの連載はあんな感じなんでしょう。


というわけで、上記の(1)から(3)のコラムはいろいろと勉強になるし、さすがと思わせる視点や思いがけない思考の切り口にも遭遇でき、歴史観や時代を勉強するにも役にたつのでほぼ毎日読みます。ところで、この3つのコラムには共通点があります。


それは・・・





(1)(2)(3)とも、「日経新聞の記者が書いているコラムではない」とういことです。すべて書き手は“外部の人”です。

「日経新聞社の記者以外の人が書いている」ことが、ちきりんが「日経新聞の中でここが一番読む価値があるよね!」と思う3つのコラムの、共通点です。



いや、もちろん、たんなる偶然だと思いますけどね!



さて、今日の本題は以上で終わりですが、以下、昨日の「大機小機」を読んでの雑感を書き留めておきましょう。担当はペンネーム腹鼓さん。タイトルは“最高裁判所の国民審査”です。

内容を一部引用すると、

最高裁の裁判官は内閣が決める。通常、国民が関与する機会は、任命直後の総選挙の際に行われる国民審査だけである。

と説明があります。遠からず行われる総選挙で、この最高裁判事の信任を問う国民審査が同時に行われるわけですね。


しかし、最高裁は

たとえば、民主主義の根本である一票の格差問題。国政選挙のたびに裁判所に持ち込まれる問題だが、最高裁は、格差が衆議院は3倍、参議院は6倍を超えなければ憲法違反ではないという判断を長年続けている。

ほんとこれてひどいよね、とちきりんも思ってる。日本の司法の頂点にたつ機関は、自らの義務を放棄しており、事なかれ主義に徹している。こんなひどい格差でさえ「行政と立法にお任せします」ってう態度にはあきれるばかり。“三権分立”って言葉の意味を知ってるのか、一度聞いてみたいもんだ。司法なんていらんじゃん、こんな大事なことを丸投げするなら。


でね、コラムは最後にこう締めくくられる。

問題は判断材料がろくにないことだ。


(中略)


とりあえず今回の国民審査にあたっては、どなたかしかるべき方が、審査対象の9人の裁判官に質問し判断材料を提供していただけないだろうか。仮に「回答しない」という答えであっても判断の一助にはなる。

ほんとにそうだよね。


というわけで昨日の腹鼓さんのコラムには「100%そのとーり!」って感じなのだが、特に一番最後のパラグラフ(上記の“中略”の後の文章)は、考えさせられることが多い。


これを読んでちきりんはこの人に「だったら貴方が調べてくれたらいいのに!」とはとてもいえない。そういうことをするには一定の時間と一定のエネルギーをこの問題のために使う必要がある。それなりの立場や知識もいるかもしれない。フルタイムで仕事をもち働いている立場の人には無理だろう。


ふむ。


そしてちょっと考えたのだけどね。こういうのを「おし、俺がやってやろう!」という人が現れたらそれってすごい大きな社会貢献だよね、と思った。たとえば法律関係や裁判所関係、大学の法律の先生などの仕事を定年した人とかね。

普通だとそういう人は定年後もそれなりの“行き先”があって、結構な給与でお車なんかもつけてもらって“顧問”みたいになるか、もしくは、別の形でまたばりばり働かれたりするんだと思います。

もちろんそれもいいと思うよ。だけど定年後の人が働き続けることって若い人の働く場所を奪うことでもあるわけで、ちきりんとしては「できるだけ早く引退しましょうよ」ともいつも思ってる。


んで、上記のコラムを読みながら考えたわけ。

こういう「すごく社会のために意味があるけど、働きながらではできない、もしくは、誰もこれに対価をはらってくれないから、食べていくために働いている立場の人ではできないことって、あるよねえ」と。

「でも一方で、既に多額の年金が確保されてて、働く気力や必要な知識まであって、んで、なにか世の中にインパクトを与える仕事ができたら」と思ってる人って結構いるんじゃないの?と。

実は上記の一票の格差の判決では“反対意見”を表明している判事の人もいるわけです。そういう人が定年した時にリーダーシップをとって、「それぞれの判事の判決履歴」をきちんと開示する、みたいなことだって本当は可能なはず。

なんだけど、実際にはああいう世界は「完全に仲間内」の世界なので、定年したからといって「今までの仲間がちょっとでも嫌がることは絶対しない」のが掟。だから元判事とかの人には期待できないでしょう。それでもね、一定の知識があって、そういう活動(NPO的な活動)に関心がある人はいてもおかしくない。と思う。


もちろん早期引退を目論むちきりんにとってもこういうのは示唆に富む話であって、上記の話が「時間と手間」だけで可能なら自分の引退後の営みとして十分に魅力的だ。ただ実際には、これらの判事の方が今までに担当した裁判の記録を読み解くことから、それを素人の国民一般にわかるように解釈して伝えることが必要にもなるので、この特定のことについては、スキル的にちょっとちきりんには無理かな、とは思う。


でもね、別のことで、もしくは、分業ならできるかもしれない。


ちきりんのブログも最近はそれなりの数の人に読んでいただける。しかも、ちきりんが考えている読者層が増えているようにも思う。まだまだ先は長いのだけど、今から“引退のその日”(←考えただけでワクワクしますね!)までにもっと信用や影響力のベースを重ねていければ、「知らせる場」としてだけなら使っていただく事も可能になるかもしれない。

いや、別に上のようなトピックでなくてもよくて。いろいろあると思うんです、これを広く説明して知らせるべきだよね、ってことが。世の中にはね。



とか、いろいろ考えたりした。


まあ、思いつきみたいな話ですけどね。


とりあえず“朝イチで日経新聞”を読んでいてもすぐに思考が“リタイヤ後”のことに飛んでしまう自分をなんとかした方がいいかも、って感じではある。



そんじゃーね!