ちょこっと解説編

ちきりんはブログの中で、自分がこー思った、あー思った、と好き勝手に書き散らしているわけですが、「どんな人に向けて書いているか」というのを当然に意識して書いています。

これは、雑誌やテレビが「ターゲットセグメント」、「主な読者層」を意識して作られるのと同じで、子供向け、若者向け、シニア向け、などもあるだろうし、○○の志向の人向けとかもあるよね。雑誌は「誰向け」なのか比較的わかりやすいし、新聞だって朝日と産経は相当違う層を想定して書かれていると思います。

が、どのメディアもおそらく“ターゲット以外の人に読んで欲しくない”などとは思っておらず、できるだけいろんな人に読んでほしいとも思っているでしょう。(多分ね)

ちきりんもそれは同じで、「こういう人に向けて書いてます」というのはあるけど、読み手の中に範囲外の方が多数含まれることは、ありがたいと思います。

そして、そういう読者想定外の方が読まれると、ちきりんが考えてもいなかった形で解釈をされることも多々あります。もちろん想定内読者でも同じことは起りますが、より頻繁に、かつ、よりぶっ飛んだ形で、それが起ります。

前はそういうことにたいして「どうやったらちきりんの言いたいことが伝わるだろう」と考えたり、「伝わらないのは私の文章力の限界だわ!」などと思っていたのですが、最近はあまりそう思わなくなりました。

ネットに限らず、ただしネットは特に、ということだと思うけど、「本当に幅広い層の方に読まれる場所に文章を置くということ」なんですよね。そしてそれは、ひとつの文章がすごく違う角度から解釈され、受け止められるということなんです。

個別のコミュニケーションにおいては、「ちきりんが言いたいことがストレートにそのまま伝わる」というのが“コミュニケーションの成功“なのだろうけど、ネット上のブログでは必ずしもそれを目標にすることはできないと思います。

むしろ「いろんな人がいろいろに感じ考えることのできる材料にしてもらえばいーじゃん」と思っています。ちきりんのブログを読んだ人が、それぞれに自分の関心のあるポイントだけをピックアップして、どんどん視点や考え方が拡がっていくのは、悪くないじゃん、と。


下記では、ここ直近のエントリで「これじゃあ何がいいたいのか意味不明だよね」という感じになってしまってるエントリについて「ちきりんが伝えたかったこと」を書いておきます。

ただし、上にも書いたように下記のように解釈するのが正しいわけでも何か良いことがあるわけでもないです。それぞれの人が好きに解釈してくだされば共思います。それぞれの皆さんの解釈で、お楽しみくださいませ。


★★★


急がば回れ!
これは、「ふたつの正反対の意図を持つ人が、同一の行動を支持することがある。」という事例がおもしろいと感じて書きました。

たとえば仕事の取引で交渉をしているAさんとBさんが「○○でやりましょう!」と合意する。ところがお互いの目的とするところは全く真逆である、ってことがあるよね、と。夫婦の間で何か合意する、友達の間で何か合意する、という時もそう。意見が合致して「お〜、同じ意見だよ〜」とか「合意できたじゃん!!」とか喜んでいると、実はお互いの目的は完全に相反している、という場合があるよね、と思った。

そして、それを意識している人と意識していない人が交渉すると、すごく交渉上の立場に有利不利がでるな、と思いました。これを意識して交渉すると、たとえ合意しても「相手の目的は自分の目的と真逆だ」と理解してるわけですから、合意してからも気を抜かないだろうし、むしろ合意してからの方が大事だと思うでしょ。

一方の人は「やったぜ、合意できたぜ」と喜び、そこがゴールであるかのように感じているわけで、これはこの後の進み方に相当違いがでてくるなあと。そして、「この仕組みを“意識的に”上手く利用している人達も結構いる」よね、とも思いました。

“二世三世が是か非か”、“田舎の利益と都会の利益が云々”みたいな話は(それに焦点をあてて別の方が別の考えを展開されるのはなんの問題もないし、むしろそれこそが“つながるブログ”のおもしろさだと思います。*1)この日のエントリに関して言えば焦点ではないし、急がば回れなんていうタイトルは完全に遊びです。すんません。



もうひとつ。
全体最適 vs.オレ様最適
これは一種の反省文みたいなエントリですよね。今までちきりんは「全体最適で考えないなんて、なんて目線が低いの?」と思ってきました。でも、そうじゃないよな、と。結局「全体最適=自分最適」になりやすい立場にいるから、そういう思考になりやすいだけなんだな、と最近思うことがあったので、そのことを書いてみました。

「全体最適って、社会的な強者の理論だな」と思ったんです。「地球を守るために中国も煙出すな!」みたいなね。

全体最適に考える理由として(1)(2)(3)とみっつ書きましたが、(1)や(2)だと思っているけど、結局(3)なのではないか、というのが、この日の主題だったと思います。

そして実はもう一歩いえば、(3)の人が“自分の意見は(3)だ”とあからさまに表明することが憚られるために、(1)とか(2)の考え方を“世界に布教してるんだな”と思ったんです。そこが“一番すごいとこ”なんだよね、と。

ゲームってのはルールを作った人が圧倒的に強いってことです。そしてそれこそが“強者の強者たる所以”だよね。



最後にもうひとつ。
保育所が永久に足りないであろう理由
「解決されない社会問題の多くは、社会が解決しなくてもいいと思っている問題なんだな」と感じたので、保育園の例を使って書いてみました。

世の中には何十年、何百年と解決されない問題があるでしょ。技術的なものは別として、社会的な問題でそういうものは、結局のところ、本音では、多くの人が「解決できなくてもいい」「解決する必要はない」「解決できない方がいい」と思っていることなんだ、と感じたんです。

なので専任の大臣をおいても予算をいくら増やしても問題は解決されないと思う。社会はそれを解決したいとは思ってないですよ。

これはたぶん貧困問題も同じです。だから解決されない。そこにつなげたのがこちらのエントリ→反“貧困問題”の思想まとめです。

国際関係でいえば戦争とか紛争とかも同じ。武力行使だって“紛争解決の手段としてなくす必要はない”というのが多数派意見なんだよね。と思います。



というわけで、きりがないのでこの辺でやめます。最初にも書きましたが、これが唯一正しい解釈なんかではありません。そう言えば昔、国語の試験で文学を含め文章を読ませた上で「以下の中から著者の意図を選べ」っていう問題がよくありました。あれ、ちきりんは「超きらい」な問題だった。著者の意図など読者にわかるわけもないし、その意図通りに理解させること(それ以外の理解を排除させること)に意味があるとも思えない。

好きに解釈してください。


そんじゃーね!



*1:ちきりんは結構よくトラックバックいただいたエントリを読ませていただいてます!