大きな政府と高福祉社会

昨日「巨大な政府」という話を書いたのをきっかけに思い出したのですが、「大きな政府」「小さな政府」という概念と、「高福祉社会」「低福祉社会」という概念について。

この二つの概念は、無関係とはいいませんが、対になっている言葉ではありません。が、その違いが整理されているのを余り見かけないので、今日はそれを書いておきます。


パターン1)大きな政府で高福祉社会
税金や社会保険費用の負担は大きい。

そして公立保育園や公営の特別老人養護施設がいつでも入園&入居可能なほど存在し、国立や県立市立の大病院や総合大学が各地にあって、公的な教育訓練施設や大規模なハローワークなどが多数存在する、という社会です。

病気になったり、失業したり、離婚で一人親世帯になったり、障害ができたり、高齢で一人きりになったりした場合、「公的な施設やサービス」が日本の隅々の町にまで建設されており、誰でも格安(もしくは無料)で利用できます。

国立○○センター、県立○○所、市立○○館などがたくさんあり、そういう公的なところで働いている人(公務員とか準公務員のような人)が多い社会になります。



パターン2)大きな政府で低福祉社会

税金や社会保険費用の負担は大きい。

ただし、その税金を福祉ではなく、
・地方空港や高速道路や地方大学の建設&維持費用にあてたり、

・産業政策(エコポイント制度に税金を投入して車やテレビが売れるようにする政策、高速道路を土日格安にして観光業を支援する政策、潰れそうな半導体企業に公的融資を行う政策、多大な広告費を使ってデジタルテレビを推進する政策など)に使う社会です。

・また福祉関連にお金を使う場合も、“失業保険金”を失業者に直接払うことより、職業体験施設「私のしごと館」などの公的な大施設の建造を優先させます。

年金についても、手元にあるお金を年金原資として支払いにあてるよりも、グリンピアという宿泊施設を建造することにあてたり、「年金の不払いを撲滅するためにタレントを雇ってポスターを作ったりキャンペーンを繰り広げる」ためにお金を使う、という社会です。



パターン3)小さな政府で高福祉社会

税金や社会保険費用の負担は小さい。

ただし、国は福祉のみにしかお金を使わない=国土開発や産業政策にお金を使わない。また福祉に使う場合も、直接配布を基本とすることにより公務員の数を減らし、公的な“建造物”も作らない。

=例:失業者には失業保険として現金を支給する。が、ハローワークは存在せず、失業者はリクルートなどの民間人材紹会社や求人誌で仕事を探す。公営の老人ホームや病院を作るのではなく、お金のない人に直接現金を支給する。そのお金で民間施設や民間病院にいって貰う、という方式。

国が国土開発や産業政策を手がけないので(それでも一定の経済成長やインフラ整備が行われるためには)、徹底した規制緩和や市場主義の導入、一定の割り切り(外交的・軍事的な大国になることをあきらめる。宇宙開発もしないしノーベル賞やオリンピックのメダルも競わない。また、田舎と都会は便利さが異なることを受け入れるなど)が必要。



パターン4)小さな政府で低福祉社会

税金や社会保険費用の負担は小さい。

そして国は国土開発、産業政策、福祉など様々な分野にわたって最小限の支援だけを行う社会です。

たとえば、公的な年金や医療保険の制度も存在しなかったりします。また警察官も十分にはいないので、普通の人も自分で銃をもって自衛することが当然と考えられています。

先端大学や大学院は国立ではなく民間に任せればいいと考えているし、美術館や芸術団体などの文化活動も税金ではなく寄付で運営されるべきと考えているような社会です。ホームレスなども、宗教家(教会)、ボランティア、NPOなどが助ければよい、と考えている社会でもあります。


★★★

つまり、「大きな政府」とは、「公務員が多い」「公的な建造物が多い」システムのことです。「高福祉な社会」を「大きな政府」と呼ぶわけではありません。


「高福祉社会」とは、社会の「先端」ではなく「底辺」に優先的にお金を配分する社会のことです。(反対に“産業政策”などは「先端」側にお金を配分する考えに基づいています。)どこにお金を使うか、という優先順位の問題と、政府の大小の問題は独立して設定することが可能です。


このように「政府の大小」と「福祉分野の優先順位の高低」はリンクした概念ではありません。もちろん上記では大小、高低で考えましたが、それぞれ「中」という選択肢もあると思います。(極論好きのちきりんは“中”の話をエントリに書く意義を感じないだけです。参考エントリ:http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090404



そんじゃーね。