変わる

六本木ミッドタウンに行ったら入り口に中国語の案内板が新設されていた。にわか作りの簡単な立て看板で急遽作ったという感じ。各フロアの簡単な説明と銀聯カードのマークが書いてある。その後で地下にオープンしたユニクロをのぞいたら、まだ少ないけど確かに中国人のお客さんも来ていた。

が、中国人買い物客といえば銀座です。最近の銀座はほんと中国の人が多い。デパートやブティックで買い物をしてる人、店員と話してる人、ショーウインドウを見ながら歩いてる人、エスカレーターやエレベーターですれ違う人、あちこちから中国語が聞こえてくる。

店側も中国語表記を大幅に増やしているし、「中国語が話せます」と名札を付けた店員さんが熱心に商品説明をしている。

改装を終えたばかりの銀座三越のエスカレーター脇、休憩用のソファ前に小さなテーブルがある。そこにおいてある案内板には、英語で“Please do not eat food here.”と書いてあり、加えて中国語でおそらくそれと同じ意味のことが書いてある。日本語はなし。そりゃそうよね。日本語が読める人は、こんなとこで弁当拡げたりしないし、いても口頭で「お客様、恐れ入りますが・・」と話しかければいい。


それに、相当高級なブティックでも、つるしてある婦人服にはヒモが通され始めた。盗難防止というより勝手に試着されるのを防止するためでしょう。ユニクロならともかく、こんな高級ブティックで店員に声もかけず、何十万円もするジャケットをその場で試着しちゃう人がいる(現れた)ってことだ。

と、まあいろいろ工夫をしながらも、銀座は中国からの観光客なしには成り立たないエリアになりつつある。反対に、だからこそ平日なのにすごい活気なのだ。「なにここ?不況の国??」っていうくらい人が溢れてる。


20年くらい前にパリのシャンゼリゼを歩いた時、外人ばっかだなーと思いました。アジア人は日本人だけですが、西洋人もみなガイドブックやカメラを抱えて歩いてた。カフェやレストランではドイツ語や英語やその他にも明らかにフレンチではない言葉が飛び交っていた。

当時からシャンゼリゼは「フランス人の街」なんかではなかった。通りを行きかう人の半分以上が世界各国からの観光客だった。NYの5番街も同じ。ビジネス街が近くにあるからニューヨーカーも歩いてはいるけれど、「ゆっくり歩いている人」はみんな世界あちこちからの観光客だ。

つまり世界大都市のメインストリートは、その国の人のものではないってこと。そして、銀座もいよいよ日本人の街じゃなくなりつつある。世界のメインストリートの仲間入りをする銀座。


今は、英語と中国語しか書かれていない案内板の言葉は「ここでモノを食うな!」です。でも、「こちら10%引きです!」と英語と中国語だけで書かれたボードが近いうちに銀座に現れても、ちきりんは驚かない。


秋葉原も同じだけど、生き残る街というのは、変わることを怖れないし、寧ろ、積極的に変わろうとする。変わるからこそ生き残れる。

この前、「金沢がすばらしかった」と書いた。あそこだって加賀百万石の遺産はもちろんすばらしいけど、金沢21世紀美術館を作らなかったら全く話は違っていた。変わろうとしたから魅力がぐっと増した。

パリだってエッフェル塔ができた時もルーブルに巨大なガラスピラミッドを設置した時も、「悪趣味すぎ」とパリっ子に非難された。でも、変わらない都市に未来はない。

金沢に行った時は、小松空港行きの飛行機の便数が多く、しかも搭乗率も高くて驚いた。後から「新幹線がくるのは4年後」と聞いた。4年後には確実に小松空港は危機に陥る。それがわかっていても変わらないかもしれないし、変わるかもしれない。


変わりたいけど、変れない。
変りたくないけど、変わらざるを得ない。
いろいろあるけど、結果としては「変る人だけが生き残る」


そんじゃーね。