極論があぶり出す「俺の選択」

先日、紹介した『俺のイタリアン 俺のフレンチ』という本(特に電子書籍)の売れ行きがスゴくて、ちょっとびっくりしています。学びの多い本だったので多くの方に読んでもらえてとても嬉しいのですが、それにしても予想以上の反響です↓


 (ブログで紹介した翌日)


なのですが、私自身が「俺のイタリアン」なり「俺のフレンチ」というレストランに行きたいか、と言われると・・・「別に」って感じでもあります。

ビジネスへの関心はあるので、マーケティング調査として行くのはアリですが、純粋に客として外食するレストランを選ぶとき、こういう店を選びたいかと問われたら、答えは明らかに「いいえ」です。


なぜなら、

1)今の私は、同じ料理を 3倍の値段でゆっくり食べられる店に行くという選択肢(経済力)を持っています。


2)その一方、立って夕食を楽しむために必要な体力が不足しています。
  (正確には“体力”じゃないので、詳しくは後述します)


3)加えて(たぶんコレが本質的な理由なんだろうと思いますが、)私はたいしてグルメじゃありません。


堀江貴文さんが以前に「店員のサービスとか雰囲気とかどうでもいいから、とにかく旨いものを出すレストランが知りたい」とおっしゃっていて、確かに、そういうニーズってあるんだろうなと思いました。

本当に美味しいものが好きな人は、どんな環境だろうとおいしいものが食べたい、味わいたい、体験したいんだと思います。南極まで行けば、この世のものとは思えない美味なモノが食べられると聞けば、実際に行っちゃう人だっているわけです。

梅宮辰夫さんも「採りたての魚が旨い!」と聞くと、(その日にその魚が釣れる保証もないのに!)夜中の 3時に漁に出る漁船に同乗してまで食べに行こうとしてましたが、そんなにまでして食べたいモノなんて、私にはひとつもありません。(寒いじゃん!)

「味も大事だけど、食事のおいしさの大半は一緒に食べてる人との会話の愉しさで決まる」とか思っている人は、本質的にグルメ(美食家)では無いんです。


2番目の“体力”に関していえば、レストランだけでなく、私はどこであれ混んでる場所がとても苦手です。クラッシックやオペラなど整然と着席して聴けるものを除くコンサートや、バーゲンやルミナリエ的イベント(期間限定で何十万人が集まるイルミネーションイベント)にも、行くことができません。

スポーツもしていて、それなりに体力のあった 20代の頃でさえ、クリスマスのディズニーランドに行きたいとは思えなかったので、たぶん問題は“体力”ではなく、“混雑”とか“ワサワサして落ち着かない雰囲気”とか“行列”なんだと思います。

さらに正確に言えば、「苦手だから行かない」というより、「そういう場所に行くと気分が悪くなってしまうから行けない」という感じです。


もし下記のような 3つのお店があったら、皆さんはどの順に行きたいですか?

A) 超高級料理が、立食で、格安で食べられるお店
B) 超高級料理が、ゆっくりと座って食べられて、値段も高いお店
C) ごく普通の料理が、座って食べられる、普通の価格のお店

今の私なら、B>C>A です。もし経済力がなければ Bは選択肢になりえないので、その場合は、C>Aです。

でも世の中には、たとえお金があっても Bより Aの店を好む人はいるし、Aと Cの比較なら迷わず Aを選ぶという人もたくさんいます。「俺の・・・」店がターゲットにしているのは、そういう人たちなんですよね。私じゃなくて。


たまに「俺のフレンチ」とかに行って「混み過ぎ」とか「落ち着かない」と怒ってる人がいますが、「そんな無茶なコト言うなよ!」と思います。

あの店が「一流料理人+高級食材」という料理を安く提供できるのは、家賃などの固定費を極限まで有効活用し、食材の大量発注と廃棄率ゼロによる食材コストの最低減化を実現しているからです。

つまり、毎日毎日、普通では考えられないほどの客数が確保できることを前提として成り立っている収益モデルなのです。


高級レストランでは、客は最大一回転しかしません。実際には、毎日満席になる店さえ少ないので、回転率は 1を下回るのが普通です。でも、「俺の店」では 3回転が普通であり日常です。そうやって時間的に(店の家賃を)有効活用しているわけです。

また、テーブルとテーブルの間を大きくとり、隣の客とぶつからないのはもちろん、会話のプライバシーさえ確保しようとするのが高級店です。でも「俺の店」では、隣の客が触れそうなくらい近くに立っています。そうやってスペース的に(店の家賃を)有効活用してるわけです。


だからこそ“食材費 60%”なんていう(客から見れば)異常に格安な価格設定ができるのであって、それを「狭い」だの「落ち着かない店だ」の言うのは、無茶ってもんです。それって、この家賃の高い東京で「オレはスペースを占有することに金を払いたくない」と言ってるのと同じでしょ。

反対に私は、喜んでそのスペースに料金を払う客です。上に書いたA,B,Cの優先順位でもわかるように、レストランでの食事に関しては食べ物の高級さや美味しさより、「ゆったりと食べられるかどうか」が重要だとさえ考えています。(繰り返しますが、こういう客は美食家とは呼ばれません)


★★★


自分が外食をした時、会計で払う価格は、いったい何に対して支払われているのか。そして、自分はいったい何にいくらまで払う気があるのか。それは、人に依って大きく異なります。

たとえばミシュランが星を付けた店ばかりを訪れる客は、その“星”に対価を払っているのです。でも本人たちは「俺は美食家だから、美味しさに金を払ってる」と思い込んでいます。このように、自分が何にお金を払っているのか、きちんと意識できていない人はたくさんいるわけです。


ところが「俺の・・・」のように極端なコトをする店が登場すると、それぞれの人にとって、自分が外食に求めているものとは何なのか、がいきなり明確になります。

これって、何かに関して極論をぶち上げると、それを聞いた個々の人の考えや選択が明確になるのと同じメカニズムですよね。


というわけで今日の結論

→ 極論万歳!


そんじゃーね


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