「正しいこと」の定義

世界の人口は何人ですか?ちきりんが初めてこの数字をならったのは小学生の高学年で、たしか38億人と習いました。中学に入って42億人と聞いたときに、ひょえ〜増えてる!と驚きました。

ちきりんが驚いたのは、その増え方ではありません。学校で習うこと、教科書で習うことが、「不変の事実ではなく、数年で変わっていく(役に立たなくなる)知識なのだ」と気が付いて驚いたんです。

あれは大きな学びだったと思います。だって「つーことは、他の科目で習ってることだって、3年もたったら変わっていて、役立たなくなっているのかも?」と気がついたから。

ちきりんは、学校で習うことは真理だと信じている純真な子どもだったんです。でも、そうじゃないとわかった。あれは学びでした。


日本で一番高いビルは霞ヶ関ビルと習いました。少し下の代だと池袋サンシャインタワーだと習っています。その後はもうめまぐるしく変わっています。今はどこ?都庁か六本木ヒルズか。

今はですね、誰も「どのビルが日本で一番高いか?」を気にしなくなっています。どのビルが一番高いか?ということが教科書で教えられ、試験問題となりうる。それこそが、あの頃の日本の価値観なんです。

私たちが教えられていたことは、日本一高いビルの名前ではなく、その価値観だったということです。「日本は、技術先進国を目指しているのだ」そして「こんなにすばらしい技術を持っている我が国ニッポンなのだ!」という価値観。

教科書には霞ヶ関ビルの写真まで載っていて、馬鹿な教師だと、「日本で一番高いビルは?」というような愚問をテストにだす。それを覚えることが価値があるわけではない、と何故教えない?これだから「学校で学んだことは社会に役立たない」とか言われてしまうのよ。


世界で一番高いタワーはどこでしょう?東京タワーでもエッフェル塔でもなく、たしかメキシコシティだか、リマだかにあるタワーです。なぜかというとそもそも海抜が高いから。4000メーターくらい海抜があって、その上にタワーがあるからなんです。

こういうダジャレセンスはなかなかおもしろい。高いビルやタワーを建てる技術力をいばる昔の日本と、それをちゃかす開き直りを感じる南米。


昔の広告を見ると怖いのがあります。1960年頃の雑誌に載っている化粧品の広告。S生堂など一流会社の商品でも、「美顔クリーム ホルモンたっぷり!」みたいなのがあります。

当時はよく売れてたんでしょう。お金持ちしか買えない高価なクリームだったんでしょう。こういうことから学ぶのは、「効果がありすぎるモノは疑え」ということです。

その時代においては、びっくしするほど効果的な成分が見つかったと思うかもしれませんが、その副作用までは当時の技術ではわかっていない。「塗るだけでたちまち肌が白くなる!」という化粧品には、漂白剤が入ってるということかもしれない、ということなんです。

ちなみに洗濯洗剤も「驚くほど白く!」とか言ってますが、あれも蛍光増白剤です。きれいになっているのではなく、「白くみえている」のです。

ちきりんは黒の服が多いので、洗濯には蛍光増白剤の入っていないのを使います。そうしないと、洗っているうちに色が薄くなってしまうからです。「白くなる洗剤」とは、文字通り「白くなる」んです。「きれいになる」んじゃなくて・・


コンタクトレンズを50年使い続けたら目はどうなるか?目の病気の発症率は変わるか?これに答えがでるのは、あと20年後くらい後でしょう?

初めてコンタクトレンズが日本で使われ始めたのはせいぜい30年前。長くつかったらどういう影響があるか?「何の影響もない」のではなく、今、私たちにはわかってないだけです。40年前に杉を大量植林した時には、誰も花粉症を知らなかったのと同じです。


まあでも、仕方ないです。だって合成洗剤も美白化粧品もコンタクトも、無いよりマシだしね。

今日のちきりんのメッセージは「人間よ、奢るな」ということです。「科学技術が万能だなんて思うな」ということです。

私たちは、わかっていることの範囲を「事実」とか「真実」とか言っています。事実とは、「今、私たちが知っていること」と定義できるし、もっと限定的に言えば、「事実とは、私たちが現時点で証明に成功していること」に過ぎません。


謙虚になりましょう。


ではまた明日〜