ずっと昔の旅行の話です。思い出はひとつの写真から。
レーニンの顔が印刷された巨大布に覆われた建物の前で、二人のロシア人男子に挟まれてにっこり微笑むちきりんの写真。が、正確には微笑んでません。寒くて凍えてました。
なんせ2月に行きましたから。モスクワはマイナス30度くらいでした。まだベルリンの壁が壊れる前で、ゴルバチョフ書記長の時代。「一回、共産主義の国を見てみたい!」と思った。で、「共産主義といえば、ソビエトでしょ!」ということで行ってみた。
最初に思ったのは言葉が通じないだろうということ。日本語が通じるわけないし、英語も彼らにとっては「敵国語」だしね。で、旅行に行く前に、まずはロシア語を勉強しました。だから実際に旅行したのは、思いついてから1年後です。すごい長期的旅行計画。ちきりんは「慎重派」だから。
しかし、ちきりんはただの慎重派ではない。正確に言えば、「貧乏な慎重派」なのです。(当時の話です。今はどちらかというと「お気楽な小金持ち」です。左諷に言えば「堕落したプチブル」ですね。)
語学学校に通うお金はない。そこへ、ひらめいた。大学で「ロシア語」を履修しようと思いついた。これなら、当時学生のちきりんにとっては「無料」です。いい案でしょ。語学学校だとすごくお金かかる。「いいアイデアだな〜、ちきりんって頭いい〜」と自画自賛で履修登録をすませ、いざ最初の授業へ!
そしたら、大変なことが起こった。
教室には、先生一人、先生かつ生徒一人、生徒ひとりの3人しかいない・・・
先生一人は、ロシア語の先生。先生かつ生徒一人ってのは、体育学の先生で、ロシアに「少年期体育教育」の在外研究に行く(当時のソビエトって、オリンピックの体操とかで、すごい若い少女が世界トップレベルの演技をしてました。今も??)予定で、ロシア語を学ぶ必要があるという人。
当然、この先生は別にテストも受けないし、単位もとる必要はない。んで、生徒ひとり。ちきりん。
えっ?ちきりん一人???この大学で、ちきりん一人なの?この授業とるの???
しかし時既に遅し。履修登録変更期間はとっくに終わっていたのでありました。(先生にも迷惑だったと思う。ちきりんが履修しなければ、このセメスター、先生は授業をやる必要がなかったのかも。)
そして、始まったのだよ。ちきりん一人の授業(体育の先生も一応いるけど・・)。半年。週2回。涙だよ。涙。
タダより高いものはない!!
そもそも、ちきりんは大学の授業にでてない。ほとんど出てません。忙しいのよ、バイトに遊びに社会勉強に運動会に・・・なのに・・・ロシア語の授業だけは、一切休めませんでした。まじかい?大学時代に皆勤だったのはこの授業だけです。
もちろん「A」を頂きました!!
もうかなり忘れたけど・・・ズドラーストヴィーチェ! (こんにちは!)
最初は思ったよ。なんで「はろー」がこんなに難しいんだ??これじゃあ、友達もできねーよ、って。
まあとにかく、1年ロシア語の授業も受けて準備万端さ!いざソビエトへ!である。
最後の方は授業もかなり笑えましたよ。
ちきりんは、「先生、“トイレは無料ですか?”っていうのは、こういう言い方でいいですか?」とか、もろ旅行会話みたいな質問しているし、
体育の先生も「あの〜、“初潮を迎えたら練習メニューを変えるのか?”というのは、こういう言い方でいいんでしょうか」とか質問してるし・・・なんかすごい実践的というか、わけわかんない授業でした。大学の語学授業なのに・・
一応、ロシア語の先生は本当は「トルストイ研究家」だったりするのに。申し訳ない気持ちで一杯です。先生、お元気かしら?
ところで、旅行記書くつもりなのに、こんなことやってたら今日中に「出発」まで書けないのでは?とご心配のあなた。心配する必要はありません。「出発までは、書きます」。まだまだいろいろあっただよ。旅行前に。
まず旅行会社を探したのだけどね、当時はほとんど旅行する人、特にひとりでの自由旅行なんてのは無くてですね、旅行代理店は皆、めんどくさそーにするわけ。
んで、元請けの「ソビエト・ツーリズム」というソビエトの国営旅行社を探し出して、日本での連絡先を教えてもらって・・・たしか日本橋に事務所があるとかで、相談に行ったです。
この相談に行くの自体怖かったです。いきなり拉致されたらどーしよ、とか。家に書き置きおいてでかけました。「私が帰ってこなかったら、ここを疑って!」とか。
勇気を振り絞り・・・しかも、なんかすごいじみーな事務所で、ロシア人だか日本人だかわかんないような事務の方にお会いしました。不思議がってらっしゃいました。「なんで一人で?」「ほんとに観光ですか?ほんとに?ほんとに?ほんとに?」って感じでした。たぶん・・・なんか疑われてたと思う。
でもさすが元締め、いろいろわかった。まず日本のパスポートは使えない。ソビエト渡航書という、特別の渡航許可書が必要とのこと。それがビザもかねるんだって。あと、基本的に自由に動くことはできない。毎日、専任ガイドをつけるか、現地ツアーに参加する必要があると。これは予算の関係もあるから迷わず、「現地ツアーに参加します」と決める。
一番怖かったのは・・・「現地に着くまでホテルはどこになるかわかりません」って・・・え〜、それなに??って感じでしょ。
ちきりんは、一人旅の場合、ホテルはたいてい予約せずに行って現地で探すんだけど、ソビエトではそういう自由旅行はno good(当時の話)なんです。全部、事前に決める必要があるのだが、その「決める人」ってのは、「政府です」っていうのよ。
政府って・・・ソビエトの政府??って感じでしょ。一瞬行くのやめよか?と思ったけど「あのロシア語授業の苦労を忘れたのか!」という思いで行くことにしました。
まあ、覚悟を決めてしまえば、そんなに手続きは難しくなかった。でも、とにかく「1週間でいくら払え」って感じで、ホテルも食事もツアーも、「我が国が手配しますからご心配なく」って感じなのよね。いや、その「我が国」が怖いんですけど、って感じです。
飛行機は・・・もちろん、アエロフロート!
いやあ・・・頼むぞ! (何を?誰に?)
斯くして、ちきりんは、ひとりソビエトに旅立ったのでありました。
★★★
アエロフロートは・・・かなーり混雑してました。誰だ?こんなの乗ってるの?と思ったけど、東欧に行く人とかロシア経由で行ってるみたいでした。
飛行機の運転が(操縦?)画期的だった。それまでも欧州やアジアには旅行したことあるんだけど、まあ、それは西側の飛行機会社でしょ。ところが、アエロフロートはパイロットが「空軍」の人なんですよ。ロシア空軍ね。
だから、離着陸がすごいおもしろい。って、おもしろくないか、怖い。すごい。しゅわん!しゅおん!って感じ。すごい角度で離着陸してる感じなんです。
飛行機もジャンボじゃない、ってか、ボーイングでもないわけ。
「そっか〜、この国、自分で飛行機作ってるんだ!」って感じ。たぶんイリューシンとかいうやつだと思う。名前もなんとなく「かっくい〜」って感じでしょ。「ちきりんスパイになる!」という・・・ふふふ。乗り心地が、なんかこう、軍用機に乗ってる感覚でしたです。
しかし・・ご飯は・・・まずい。女の子一人なんて客はいないし。みんなロシア語で話しているし。しかも・・・離陸した時と、着陸した時に、観客が皆一斉に「拍手」するし!!(←観客じゃなくて・・・乗客ですね。搭乗客かな?)
なんだ??
と思ったけど、ちきりんも拍手しました。特に着陸した時は本当に嬉しかった。あれは拍手しますよ、誰でも。
そう、ちきりんは着いたのです。モスクワに。飛行機の窓から外を見ると一面真っ白。凍り付いている感じ。飛行機も少なく、広大な、寂寥感溢れる空港。「ここ・・・一人で??」って感じでした。怖さがひしひしと・・
しかも、季節は2月。
チプローイ!(ロシア語で、寒〜〜い!)
終わり。今日はここまで。全然進まないね。次回はシェレメティエヴォ空港の前後について書きます。って、空港だけかい??旅行についてはいつ書くんだ??
頑張ります。お楽しみに!
続きはこちら → ソビエト旅行記その2