見えやすさ

海外にいくと「日本は格差が見えにくい国だなー」と思います。

格差の存在自体については、「日本の格差なんて、他国と比べれば余程マシ」という人もいれば、「いやそれは既に幻想で、日本は他国と比べても格差の大きな国になった。」という人もいます。

再配分前か後(社会保障還元後)かによってもかなり違い、どの年代、家族形態で見るか、によっても状況が異なり、意見が分かれています。

でも、すくなくとも「格差の見えやすさ」については「日本は圧倒的に(格差が)見えにくい国」なのではないでしょうか。


その最大の理由は「格差と人種が結びついてない」ことでしょう。

欧米だと、経済格差と肌の色に高い相関があるために、格差がビジュアルにわかりやすいです。

欧米では、ゴミ収集車の作業員、格安ファーストフードの店員、ホテルのハウスキーパーなどは、オフィス街でスーツを着て働く人や、ホテルの受付にいる人とは、明らかに“肌の色”の割合が違います。

だから「ああ、格差があるんだな」とすぐに気がつく。

日本でもオフィスビルやホテル、新幹線車内でお掃除の人に会うことはあっても、宿泊客や乗客は、その“格差”を意識することはあまりないですよね。

けれど、もしも掃除をしている人達の多くが自分と肌の色が違っていたり、日本語以外で話しているのを聞いたら、その格差は圧倒的に「見えやすく」なります。


二つ目の理由として、日本は“職業と所得が見えやすい形で関連していない”。

日本ではゴミ収集をしている人達が公務員やそれに準じる立場で、実はかなり安定した年収の高い層だったりするし、関西のどこかの市バスの運転手の年収も 800万円から 1000万円と報じられていました。

一方で、スーツを着てアタッシュケースを持って街を闊歩している人が、過酷なノルマに追われる英会話教材販売員で“年収 200万円、しかも歩合給”だったりします。

日本には、こういう、一見“颯爽としてパリッとしているワーキングプア”の人達がたくさんいる。


3つめの理由として“混ざり方”が違う。

アメリカだと経済レベルによって住んでる地域も違うし、利用する店も違う。スーパーマーケットとかレストランにも“格”のちがう数種類があったり。

一方の日本では、ワーキングプアレベルの人と年収 1000万円以上の人が同じコンビニに行き、その奥さんは同じスーパーで夕食の買い物します。

そして、どっちの子供も学校帰りにマクドナルドに行くわけです。

アメリカに留学している時は貧乏学生だったちきりんですが、それでもマクドナルドにはほとんど行く気になれませんでした。

味の好き嫌いの問題ではなく、雰囲気や客層、周囲の街の様子からして「あなたが行くべきところではありません」的な臭いがプンプンしていたからです。

利用する店、生活エリア自体が、収入層によって分離してしまっていると強く感じました。


最後に、親子の関係も日本の格差を見えにくくしている理由でしょう。

英米だと親が成人した子供を養わないので、若年層が失業するとホームレスになってしまいます。

実際、日本でも親が助けてくれない若者は、ネットカフェで寝泊まりし半ホームレスにならざるをえません。

でも日本では親が同居させてくれる場合も多いので、その場合若者の貧困層が街で顕在化しません。

親の家に住んでいれば少なくとも飢え死はしないし、路上で寝たりもしないし、コンビニ強盗にもならない。

「見えない貧困者」として隠れてしまいます。

「余裕のある親が貧困の子供を抱え込んでいる」というのも、日本の格差を見えにくくしている理由のひとつでしょう。


というわけでいくつかの理由により、日本はとても格差が見えにくい国です。

日本の格差レベルについてはいろいろ議論があるんでしょうが、日本で格差が「見えやすくなった時」には、“あっと驚くレベル”になっているかもしれない・・。

ちょっと怖い。



んじゃね。

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