ゆがんだ清貧思想

この国は特に、お金持ち、お金を稼いだ人にたいする「妬み」ってのがすごいなあと思う。

清貧の思想って、論理的にゆがめられている。「貧しいことがいいことだ」みたいになっているでしょ。貧しいことがよいことだったりしませんよ。貧しいよりお金があるほうが、いいに決まってるじゃん!

そういう当たり前のことを否定するために、ものすごくゆがんだ思想が使われる。たとえば、
「お金があると、人は心が汚くなる」みたいな話ね。

そんなことにはなりませんよ。お金持ちで心が清い人も、貧乏人で性格がゆがんだ人もいます!


清い人がよくて、清くない人がよくない、というごく当たり前の結論が、「貧乏はよくて」「金持ちはよくない」という結論にすり替えられる、その原動力が「妬み」だ。


「お金持ちなのにやさしい」とか「稼いでいるのに気さくな人だ」という言い方も、とても変。その二つの間には何ら相関も因果関係もその他の論理的つながりもない。

同じコトは「外見」でもある。「美人なのにやさしい」とか「かっこいいのに性格がいい」とか。なんで「but」でつなぐのよ。外見と性格に論理的なつながりがあるのか?あるとすればむしろ「美人だから、やさしい」という方だと思うけど。


「貧乏で清い」より、「金持ちで清い」方が、
「ぶさいくでやさしい」より、「美しくてやさしい」方が、
「能力はないけど幸せ」より「能力もあって、かつ、幸せ」の方が、
余程良いよね!


という当たり前のことを、ちゃんと言えるようになった方がいいと思う。

負け惜しみを美学に置き換えて自分を慰めるのはその人の自由だが、そういう負け惜しみ思想を次の世代に伝えないほうがいいと思う。


んじゃね。