1970年代という時代


本を処分、整理する目的で机に積んだので撮影してみました。

「よど号事件」(それに関連して北朝鮮関係)と「連合赤軍、浅間山荘事件」の本が大量にあります。このふたつの事件に関する本は他にも持ってて、中でも当事者の著作に関してはほぼ全部読んでるかも?って感じです。

なんでこれらの事件にそんなに興味があるのか、というと・・


ちきりんは「時代に翻弄される個人」が大好きなんです。私は個人の力なんて全然信じておらず、たとえ何かを成し遂げた大物であっても、それって単に時代とマッチしたからでしょ、とか思っています。

「時代に翻弄される個人」というのは、たとえばラストエンペラーの溥儀であったり、上記の本の主役である70年代の新左翼活動家たちのこと。出来る限り「人生を狂わされた」振り幅の大きい人の人生に興味があります。

基本的に「自分でコントロールできることなんか、たかがしれてるよね」と思っている私には、まさにそれが“証明されちゃったような人達”なんですよ。反対に、計画たてて努力してその通り実現しました!みたいな人生には関心がないんです。



「よど号」「連合赤軍事件」というと、“左”に関心があるの?と言われますが、それは全く違います。ちきりんは完全に資本主義系の人であり、市場原理の信奉者です。

左翼に関心がないのに、上記のような本に関心がある理由は、それらの事件の“時代性”です。“70年代という時代の中での新左翼”に関心が引かれるのです。


70年代って日本にとってどういう時代だったか。1960年代に日本は高度成長を始めてますが、1970年は、日本のほぼすべての人が「これは、行ける!」と確信し始めた時期です。ここが1960年とは全く違います。


1960年にはまだ、「日本は本当に立ち直れるのか?」という疑問がごく普通に社会に存在してました。だからこの時期は、移民として他国に移住した日本人もいたし、ルーツが朝鮮半島にある人達の中には「夢の楽園、北朝鮮」に渡った人も多い。日本がここまで経済発展すると思っていたら、そんな決断をする人はいなかったでしょう。

左翼、新左翼運動も同様。1960年の安保闘争は“実質的な国の方向性を決めるタイミング”だったし、活動をしていた人の多くが本気で「米国の同盟国ではない日本」=「(多分)共産国になる日本」という選択肢があると思ってたんでしょう。

「革命は夢ではない」というか「革命はもうそこまで来ている」と思う人がいたのは、不思議ではないし、その人達を「社会の流れの読めない人達」とは思いません。

実際に、その後企業のトップとなった人達の多くが、この頃は革命を信じていたり、その運動の先頭にたっていたわけで、むしろ社会のリーダーになるような人こそが、そういう方向を「あり得る」と考えていたわけです。


でも、1970年は違います。高度成長は既に目の前の事実になってました。誰でも「日本はいける!」とわかった時期なんです。失業率も低くなり、給与は毎年アップし、三種の神器をはじめとする便利な家電を毎年買いそろえていくことができる時代。

やっぱ共産革命なんてありえなかったな、ワハハハハの世界なわけです。

北朝鮮への帰国船に乗る人もいなくなってしまったし、中国共産党トップと米国大統領が握手して「そもそもイデオロギーなんて意味がなくなるのかも?」という気配さえ見えていました。

そんな時期に“革命だ”とかいって潜伏生活をするだの、山に籠もって軍事訓練とかいって汚い格好で走り回るなんて、「かなり変」でしょ?

相当、時代の空気が読めてないというか、変わってるというか、一言で言えば「あほちゃうか」という感じです。


そして、そのちょっとしたアホさ、まあ大半は若い学生なので社会経験もないし時代を読む目も欠落してた、そんなちょっとした「わけわかんなさ」が、取り返しのつかない人生につながっていく・・。

何十人もの人を殺すとか、一生刑務所で暮らすことになるとか、北朝鮮で人生を終えることになるとか。軽〜く空気が読めなかっただけなのに、とてつもない人生になってしまう、というのが、あまりにも残酷で、まさに時代の犠牲者という感じ。

これが、ちきりんが彼らを愛してやまない理由です。


世の中の空気が読めない人、明らかに得な、楽な方に進まずに変わった決断をする人は、いつの世にもいます。しかし大半のケースでは「あっ間違えた!」と思った時点で変更が可能です。

なのに、よど号にしても連合赤軍にしても、事件が起ったあの時点で彼らの人生は(たかだか二十歳そこそこで)終わってしまいました。こんな残酷な運命がありましょうか。


なぜ、すべてが巧く回りだした時期に、それに反するような方向へ進む人がいるのか?なぜ永田洋子は普通の女子大生みたいにおしゃれを楽しみ、結婚生活に憧れ、消費中心の生活、経済成長の時代に“乗っていく”という選択をしなかったのでしょう?

ちきりんは彼らのその心情にすごく関心があります。「いったい何を考えていたのさ?」と聞いてみたいですよね。そういう翻弄された人生を「どう思いますか?」と。

タイムマシンがあって1年間過去に留学できるなら、ちきりんはこのあたりの時代に大学生としてぜひ行ってみたいです。


そんじゃあね。