“一点豪華基準”で行こう!

職業、学校の選択やマンションの購入など、大事な選択をする時の方法には、一般的な“総合評価方式”と、もうひとつ“一点豪華基準方式”とでもいえる方法があります。

総合評価方式とは、A商品は「高いけど好きなデザイン、でもちょっと使いにくそう」、B商品は「安いけどダサい。だけど使いやすそう」という時に、

下記のようにそれぞれの基準について個々の選択肢を評価し、最後に総合的な判断を考える方法です。

・値 段  Bの勝ち
・デザイン Aの勝ち
・使い勝手 Bの勝ち
→ 結論:Bを購入しよう

しかしこの方法には問題がふたつあります。

高度に複雑な比較検討・選択が求められる場合、「最も凡庸で、取り柄のない選択肢が選ばれてしまうこと」と「比較作業が複雑になりすぎて、決められなくなること」です。


たとえばマンションを選ぶ例を考えてみましょう。

・Aは間取りが使いやすくデザインも好み通り。しかし価格はかなり高く、しかも駅から 20分以上かかる。
・Bは駅前にあり、1階がコンビニで立地と利便性の面では最高。ただし日当たりが悪いし、価格も相当高い。
・Cは駅から 10分くらい。ごく普通の間取り。そこそこ日当たりもよい。価格はごく平均的。
・Dは、駅からバスで 15分。かなり古い物件。ただし窓の外が緑化公園ですばらしい景色。価格も格安。


こういった場合、総合評価方式では“特に悪いところのない C”が選ばれがちです。

しかしCには何ひとつ“この物件のココがすごい!”という点がありません。こういう物件を選ぶと、後から「なぜ自分はこれを選んだんだっけ?」という疑問と後悔が出てきます。

もちろん他の物件でも買った後に不満はでてくるでしょう。

しかし他の物件であれば、「でもやっぱりこの立地は捨てがたい」とか「こんな素敵なデザインのマンションは他にはないよ」と思えます。

一点豪華基準で選ぶ場合は、まずCは選択肢から排除されます。

その後、A, B, Dからひとつを選ぶために、「自分にとって大事なのは、デザイン、自然環境、利便性のどれだろう?」という点を突き詰めて考える必要がでてきます。

こうして「自分にとって最も大事な選択基準」が明確になるため、選択を誤らなくなるのです。


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総合評価方式のもうひとつの問題は「基準が多すぎると(わけがわからなくなって)選べなくなる」ことです。

大事なものを選ぶ時には、比較基準がやたらと多くなりがちですが、その基準が10個を越えると比較をしようにも複雑すぎてわからなくなってしまいます。

そんな場合、多くの人が基準点を数値化してエクセルに入力し、平均をとって決めようなどと考えますが、これでは大事な人生の判断が単なる“数字遊び”に終わってしまいます。

実はこういった比較基準の多い複雑な判断が求められる時こそ、一点豪華基準方式の出番です。

この方式で考える時には、自分が大事だと思うひとつの基準以外については、考えうる限りの悪条件を想定するのです。

そして、そんな悪条件が揃ったとしても、「ただある一点だけ満足できる状態であれば、自分はこれを選びたいか?」と考えます。それにより、自分にとっての“一点豪華”がどの基準なのか、明確になります。


就職する会社を選ぶ例で考えてみましょう。

「自分にとっては給与が高いことが最も大事だ!」という人なら、それ以外の条件にはトコトン目をつぶる。これが一点豪華基準主義です。そして自分に問うのです。

「自分は、たとえその仕事が、

・毎日残業が続き、休日出勤も頻繁であっても、
・合コンで全くモテないような地味な仕事であっても、
・体力的に精神的に極めてつらい仕事であっても
・一緒に働く人が耐えられないほどひどい性格であっても、
・給与が月100万円なら、俺はこの仕事を続けられるだろうか? と。


また、「自分にとっては給与はどうでもいい。仕事がおもしろければそれでいいのだ!」というなら、上記の項目の最後が
・給与が月 17万円(手取り)であり、しかも10年たっても25万円程度にしかならない。
・ただし、仕事内容は非常におもしろい。
と考えてみます。


また、「自分は趣味のバンド活動に使える時間さえ確保できれば満足だ」というなら、「労働時間は朝 9時から夕方 5時までで残業ゼロ。夕方以降の時間はは毎日自由に使える。ただし、非常に退屈な仕事で給与も低い。それでも自分はバンド活動ができれば幸せか?」と考えればいいですよね。


★★★

しかも昔より今は一点豪華主義で選ぶことが容易くなりました。

昔は、大事なことは自分だけではなく、親の意見や家族の事情も踏まえて決める必要がありました。

たとえば「長男だから東京に出て行くのはだめ」と言われれば、その場合の一点豪華基準は「地元の仕事であること」となってしまいます。

親が大事と思う基準と自分がそう思う基準が、相反する場合も多かったでしょう。

でも今は「長男なんて関係ない。俺様基準で生きさせていただきます」という子も、「自分で考えて好きな道を選べばよい」といってくれる親も増えています。

しかも「欲張りません。僕のほしいのはコレだけだから」と割り切れる人も多く、「選ぶとは捨てることだ」と理解されてきたように思います


そして実際に一点豪華基準で働き方を決める人も増えているでしょう。

たとえば、「フリーのプログラマーです」とか「独立して自営業を始めました」という人がそれを選んだ基準は、“自由度の高さ”という一点なのではないでしょうか。

もしも、「安定性も気になる」「給与も一定以上でないと・・」「体裁が・・」といいだしたら、なかなかそういう働き方は選べません。

一方で、「とにかく縛られたくない、こーしろ、あーしろと言われたくない。服装まで指示されるなんてまっぴら」というように、「誰からも指示されない」という点のみを基準にすれば、独立はごく自然な選択となります。

もちろん、新卒の時には“自分にとって何がそれほど大事か”わからない場合もあるでしょう。

でも、一度就職し働き始めると「自分はこれだけは譲れない、(もしくは)耐えられない」ということが一気に明確になる人もいます。

就職して数年以内で辞めることを否定的にいう人もいるようですが、“自分にとっての一点豪華基準”が理解できたということであれば、それも決して悪いことではありません。


★★★

さらに突き詰めていけば、一点豪華基準で判断をすることは、“生き方の多様化”につながります。「あなたにとって、仕事を選ぶ際に大事な基準を10個挙げてください」と言うと、結局みんな同じような10個の基準を選びます。

けれど、「あなたにとって最も大事な基準をひとつだけ選んでください」と言うと、10人が同じ基準を選ぶことはありません。

それぞれの人がバラバラの“自分にとっての一番”を挙げることになります。そうすると全体としては多様な基準に基づいて、つまりバラバラな基準で生きる人がでてきます。

ひいてはそれが、“社会の多様性”“選択肢の多様性”“価値観の多様性”につながります。

そして私たちはそういう多様な選択肢がある社会こそを“豊かな社会”とか“成熟した社会”であると感じ始めています。


というわけで、「自分にとっての一点豪華基準」を見つけましょう。そして、他の人とは違うけど自分としてはとても満足できる、という生き方を見つけていきたいものです。


そんじゃーね。


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