医学部を卒業したのに医者にならない人が増えていて、そのことについて業界内から違和感、憤りの声があがっていると聞いたことがあります。
似たような話は昔からあり、「防衛大学校を出たのに任官を拒否する人が増えている」と報道されたり、バブル時代には「工学部を出たのに銀行に就職する学生が増えている」と批判されました。
今や工学部を出て技術者以外の職を選ぶ人は珍しくありませんが、そのうち医学部をでた人も(今の工学部出身者と同じくらい)医者以外の職業を選ぶようになるかもしれません。
工学部より医学部の方がその動きが遅いのは“技術者の社会的な地位は低いが、医者の社会的地位はまだ高い”からではないでしょうか。もしくは“医学部は工学部より入学が難しいので、捨てるのがもったいない”のかもしれません。同じように似合わない服が2枚あっても、安い服より高い服の方が捨てにくいのと同じです。
一般に、大学の学部は高校生の時に決めます。細かい専攻は2年生後半に選ぶ大学もありますが、防衛大学校や医学部に入る人は、18歳の時に「自衛官になる!医者になる!」と決める必要があります。
この“自分の一生の職業を18歳の時に決める”というのは、すごいことだと思いませんか?
多くの人は22歳の就職活動時でも職業選択に大いに迷うし、実際には数年働いてから「やっぱり違う」と思い直す人もいます。
18歳なんて世の中のことが何もわかっていないだけでなく、自分のことさえ理解できていない年齢です。自分がどんな生活を送りたいか、どんな仕事をおもしろいと感じるか、そういうことが分かっている高校生は多数派ではないでしょう。
だから、医学部を選んだ高校生の中には、成績がよかったから、親が勧めたから、という人も少なからず存在します。そう考えると、18歳で医学部を選んだ人の9割以上が実際に医者になっていることの方がむしろ驚くべきことです。他の職業もすべて18歳で決めろと言われたら、多くの人が反対するだろうし、そもそもそんな制度は成り立ち得ないでしょう。
もちろん若い時から「オレにはこの道しかない」と確信をもっている人もいるし、そういう人はできるだけ早くその道に集中できる環境が望ましいでしょう。でもそんな人はごく一部です。医者だからといって18歳で選んだ職業に、実際に100%就業するのが当然というのは、最初から無理があるように思います。
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ところで、この議論に絡んでもうひとつよく言われるのが、「税金で勉強しておきながら○○にならないなんてけしからん」という話です。防衛大学校や医学部はもちろん、理・工学部にも多額の税金が投入されています。それなのに、ということです。
しかし、18歳で選んだ職業を後から変えたいと思った人を“税金泥棒”扱いするのはいかがなものでしょう。国民に教育を授けるのはそれがたとえ直接的に職業につながらなくても、長期的には様々な形で社会に還元されるはずです。
医学や医療の基礎知識を身につけた人が、法律や行政の世界、金融やITの世界、さらに教育の現場などで働くことは、遠回りながら大いに国や社会のためになるでしょう。また、音楽家にはならなかったけれど音楽教育を受けた親や、医者にはならなかったが医学教育を受けた親が子供を育てたり、地域のコミュニティに参加することもメリットがあるでしょう。
それは、専門知識が直接的に役に立つかどうか、というだけの話ではありません。多様な分野の専門教育を受けた人が職場や組織にいて異なる視点からの議論ができれば、それがそれぞれの場所での思考の深さに、ひいてはその企業や組織、産業の強さにつながるはずです。
“教育=職業”という直線的な効率性追求だけを正しい道と位置づける“税金泥棒呼ばわり”は、決して生産的な議論とは思えません。
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そんなことを言い出したら医者が足りなくなるという人もいますが、それなら医学部の定員を増やせばいいのです。定員を増やせば入試も楽になり、そうすれば途中で「これは違う。自分は医者に向いていない」と思った人が、進路変更をする際の抵抗が少なくなります。
「この職業は自分には向いていないけど、もったいないから医者になった」という人に診てもらいたい患者は多くないでしょう。それに、医者の質の確保は、大学入試の難易度ではなく医師免許取得のための国家試験で担保すればよいのです。
またそのことにより、他の道を進んでいた若者が20代半ばで「やっぱり医者になりたい」と思った場合に、途中から医者を目指すことも容易になります。18歳の時には医者を目指していなくても、そういう人の中に、医者という職業に向いた人もいるはずでしょう。
今の制度は、18歳で医者になりたいと思った人には一生医者として生きることを求める一方、18歳で医者になりたいと思わなかった人には事実上チャンスを与えない制度です。これでは親戚や家族に医者がいたかどうか、親が教育熱心であったかどうかで職業の選択が決まってしまいかねません。
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その昔、日本でも「女は大学なんていかなくていい」と言われた時代がありました。あれも根は同じです。「女はどうせ結婚して子育てと家事に従事する。学問なんてやっても意味がない」ということです。もっと遡れば、武士以外は読み書きさえできなくてよい、という時代もありました。
このように昔は、「必要な人だけが、必要最低限の教育を受ければよい」とされていたのです。なぜなら国全体が貧しくて、全員に教育が授けられない状態だったからです。
そういう考えの先に「医療従事者として働く人だけが、医学教育を受ければよい」「医学教育を受けたのに医療従事者にならないのは税金の無駄」という考えが存在しています。
教育に“職業に必要な知識と技能を習得させる”という意味しか持たせないのであれば、小学校に入る6歳の時に職業を決めて最初からその職業に必要なことだけを教えるのが最もよいという話になってしまいます。
でも、本当にそれが今の日本において“意味のある税金の使い方”でしょうか。財政赤字や経済停滞が取りざたされることが多い日本ですが、それでもこの国はまだ十分に豊かです。
教育は“特定職業に就くための技能教習”ではなく、個々人がそれぞれの生き方を継続的に模索、追求していくための土台であり、社会に多様な視点やより深い洞察をもたらす源泉となるものです。
そう考えれば、医学部をでて医者以外の職業を選ぶ人がでるのも悪いことばかりとは思えません。個々人が複線的に生きる道を選べる豊かさや、やりなおす自由を広く認めることを、より肯定的に捉える社会であってほしいと思います。
そんじゃーね。