殺す理由

厚生労働省の年金制度企画に関わっていた引退後の官僚の方、およびその家族の方が殺傷された事件は、久しぶりに背筋が寒くなる感じの事件だ。日本にいないので社会的にどの程度の衝撃なのかわからないのだが、ネットで読むだけでもちきりん的には大きな衝撃だ。


殺人というのは、大半の場合、顔見知り間で起るものだ。日本の場合、家族・親戚内の殺人が約半分を占める。その他にも友達、知人が4分の1を占め、職場関係者と続く。たいして知らない人を殺すというのは非常に珍しい。意外に思うかもしれないが考えればあたりまえだ。誰かを殺したいと思うほど憎むにはそれなりの“関係の濃さ”が必要になる。

その辺の道で出会ったとか、なにかの会で一回一緒になった、くらいの人を私たちは殺したいほど憎んだり恨んだりはしない。というか、できない。長年一緒に暮らしていたり、この人にこそと思うからこそ「殺したい」ほどの感情にとりつかれるわけで、殺人の多くが家族親族やら内縁・恋人やらの“濃い関係”の二者間で起っていることは極めて自然なことだ。


だからこそ秋葉原の事件のように「誰でもよかった」という殺人が“異常”扱いされる。これらの場合、「殺したい理由」は殺す側と殺される側の関係性には存在しない。加害者が「殺したいほど憎んでいる」のは「社会」だからだ。「社会から阻害された自分」が「社会を構成する誰か」を殺したいほど憎んでいたということだろう。ちなみに日本ではこういった「無関係者」を殺すのは殺人の1割に満たない程度だ。


今回の事件、まだふたつの事件に関係があるかどうかもわかっていないようだが、もしも二つが関係しているとしたら、これらは「年金制度改悪への怒り」からの殺人、ということになる。

もう一段分解すれば、「世直しのために俺が犠牲になって正義を実現する」思想犯系か、「俺がこんな生活を余儀なくされてるのはおまえのせいだ」系、つまり逆恨み系かのいずれかと考えられる。

前者の思想犯系の殺人は歴史的に例が多い。“問答無用!”と右翼青年(最近は右翼オヤジのケースが多い)に刺される政治家は残念ながら後を絶たない。自爆テロと同様、彼らは「社会悪と信じる誰か」を殺すことで、英雄になれると幻想する。っていうか、それ以外に彼が英雄になれる道はない。「つまらない自分の人生の最大の活用方法」としてテロリスト、暗殺犯となることを選ぶのだ。

後者の方は、たとえば自分がもらえる年金が余りに少なくてハラがたったとか、社会保険事務所で冷たく断られて(10年しか払ってないでしょ。だからあなたの年金はありませんよ、とか言われて)怒ってるかとか、そういうやつだ。

今のところどちらかといえば前者なのだろう。これって結構めんどくさい犯行だからね。引退した官僚の住所を調べてる。しかもきちんと「ミスター年金」と言われた人を個人として特定してる。そして埼玉から中野まで移動する。自分の年金が少なくて頭に来てという後者の犯罪なら、自分の家の近くの社保庁事務所に火をつけるとか、もっと単純な形の犯罪になりそうだ。



いずれにせよ、ちきりんが恐怖するのは、この「年金」というものが「人を殺したいほどの理由」になりえている、ということだ。特にコレが「思想犯」になりえるとしたら、それは本当にびっくりだ。


たとえば右翼が政治家を暗殺する時、その理由は「天皇陛下」であったり「亡国」やら「売国」やら、彼ら的には自らの組織の存立基盤となるような、彼ら視点で言えば“世の中の根底の思想”に関わることなのだ。

左側同士で内ゲバやるのも(外部者にはなんのことか意味不明ながら)、彼ら的には「真の革命家」と「日和見主義者」だの「修正主義者」だのの「本物と偽物の戦い」なのだと思う。つまり「すごい重要なこと」なのだ。



それが、「年金」って・・・
いったい「年金制度」が誰にとってそこまで重要な思想たり得るのか。それがちきりんが驚愕した点なのだ。

たかだか社会保障制度のひとつに過ぎない制度を理由にして、人を殺したいと思うって、どーゆーことだろ、と。それともマスコミに乗せられて、これが何か世の中を変える制度だと刷り込まれ踊らされたの?


もしも本当に「年金」が、「年金制度の改悪」が、人を殺したいと思うほどの理由になり得るのだとしたら、これからは「生活保護制度の運用に関する暗殺」やら、「後期高齢者医療制度に関するテロ」やら、はたまた「消費税増税に関する殺人」とかが出てき始めるってことなのか??

いやもちろんその前に「患者たらい回し事件に関するテロ」とかが起るのだろう。



つまりね、本来もっと“動物的なもの”であるはずの、誰かを殺したいという衝動が、あまりにも社会的なことに関連付けられたことに、ちょっと違和感を覚えるですよ。「誰かを殺したいほど憎む」ということが、なんでこんな制度論的な、ある種、どうでもいいようなことに向けられるんだろうと。

人を殺すというのは同時に自分を殺すということだ。それくらいの破滅的な気持ちと共に訪れる衝動だと信じたい。最初に書いたように日本の殺人の半分は家族・親族を殺しているものだ。親や子や兄弟を殺す気持ちはいかほどのものか。犯人本人を突き動かした衝動は尋常のものとは思えない。でしょ。それはすごく“本能的”な“動物的な”衝動だと、ちきりんは思うわけ。

“社会”に絶望し憎み倒したアキバ事件の犯人も同じだと思う。彼のどうしようもない衝動や、恐ろしいほどの絶望や、表裏一体となって混濁した愛憎は“社会制度論”とは関係ない。まさに動物的な突発的な感情の発露でしょ。

もしくは右やら左やらの思想犯だって、個人を超えた絶対の国家や信条を守り抜くために人を殺してきたのだ。彼らにとっては“魂を賭けた殺人”ですよ。


それなのに「年金」・・人を殺す理由が。


ん〜。
それとも、この「年金だなんて・・ある種、どうでもいいことでしょ」というちきりんの感覚が、最早ズレてしまってるってことなんだろうか。特定のグループの人たちにとって、年金制度は何かの根幹に関わることなのか?何かの存在意義を脅かすほどのものなのか?本能的な衝動に火をつけてしまうような何かなのか?



ちょいと愕然としてしまいます。





言いたいこと、伝わってるかしら?
“殺す理由”はいったい何なんだ、と。



という感じで。


また明日。