人を殺すことへの罰

先日みたニュース。

超高齢で認知症の母を誠心に介護していた、これまた高齢の息子が、介護に行き詰まり母親を殺害したのだけど、母親の承諾があったということで「承諾殺人」だそうです。

で、言い渡された判決の刑期が 3年未満、執行猶予付き。


これって、事実上「罪ではあるが、罰はなし」という判決ですよね。どう思われます? 

ちきりんはちょっと「違和感」が捨てがたいです。


(1) 人を殺して、懲役 3年未満? 執行猶予??

日本の裁判は、「情がらみ」の「身内」殺人に非常に寛容です。

今回のようなケースの他に、親が子供を、夫が妻を、誰かが自分の愛する人を「道連れに殺す」、すなわち「心中」の場合も、非常に甘い判決がでます。

こういった「身内殺人」には多くの場合「やむにやまれぬ理由」があります。経済的な行き詰まりとか病気とか、二人の愛を貫くためとか・・・

でも、いろいろ事情はあろうとも、これって「殺人には違いない」のに、本当にこんな甘い罰でいいのかな?  親を殺して 2年半の懲役。しかも執行猶予付き。どうも違和感がぬぐえません。


今回の場合、犯人(息子)が「非常に熱心に介護していた」様子が伝えられ、「法廷が涙で包まれた」と報道されてたけど、じゃあ、彼が近所の人にしょっちゅう愚痴をこぼしていたら違う判決になったんだろうか?

介護は大変です。今の行政が役にたたないことも事実です。

でも、「殺していいのか???」


執行猶予付きで 2年未満の懲役なんて、事実上

「まあ一応ちゃんと介護してくださいね。自分の親なんだから。やってみて、それでも無理なら、いざという時には殺しちゃっても罰しませんけどね」

と言っているようで、ちょっと怖い。


(2) 法律的な判断をきちんとやってる?

「本人の承諾があった」と認定されているようだけど、犯人以外の誰かひとりでもそれを聞いたのでしょうか?  他の事件と同じレベルで証拠認定をやっているのかどうかがやや疑わしい感じです。

あと、「裁かれてるのは被告だけではなく、生活保護行政だ」という裁判官の言葉にも違和感があります。裁判官がそんな「感想」みたいなこと言ってていいの?


個人が自分の意見を言ってるなら、それでいいです。でも裁判所ってそういうとこだっけ?? そういうこと言い出したら、

「無年金の人が食べるために強盗殺人の犯罪を起こした」→「裁かれているのは被告だけではなく、年金行政である」

「中学生がホームレスを殺した」→「裁かれているのは被告だけではなく、教育体制である」

「失業者が犯罪を」→「裁かれているのは失業保険制度である」


とかいえるはず。 訳がわかんないよ。


(3)「独自の価値観」を押しつけてる気がする。

犯人は「すごくまじめな性格」だったとのこと。

だから「返せないのにお金を借りてはいけない」と生活に困っても消費者金融からお金を借りなかった。

(ここまではまだいい。しかし)友達や親戚からも「悪いから」「してはならないことだから」という理由で、お金を借りてません。

そして家賃を滞納せざるを得なくなり、自らアパートをでているんです。

追い出されたわけではなくて、家賃を払えないから、自らアパートを出たんだよ。


これ・・・「まじめ」とも言えるけど・・・一方で、「生きる力がない」とも言えないか?


昔、「違法だから闇で食料を買わない」と言った裁判官がいたらしいけど、同じ状況にたいして「正式の配給米しか食べない」と言って餓死する人、生きるために闇米を買いだしに行く人、家族を生きさせるために夜中に近所の農家の畑を荒らす人など、いろんな人がいたでしょう。

このうち、「配給しか食べずに餓死する人」が「正しい」のでしょうか?

もっとも「同情されるべき人」なの?そういう人の場合だけ、最終的に「食べるものもなく、やっていけないから親を殺しても情状酌量の余地がある」の?


反対にこの人があちこちから借金して、お母さんの世話は最後までやりきったとしましょう。

でも借金は返せない。踏み倒すか、もしくは、罪を犯してお金を盗んだら、もしもコンビニ強盗の際に相手を傷つけたら、その場合は執行猶予がつかない可能性もある。

親を殺して執行猶予でも、介護をやりきるために強盗したら牢屋に入れられる可能性がある。これって妥当なの?


私が問いたいのは、「まじめに頑張っていた」ことが、「罰するのはかわいそう、罰する必要はない」理由として妥当なのか?ということです。「まじめ」なのはほんとにいいことなのか?

今回の判決は、「介護を誠心誠意やってたかどうか」、が量刑に影響を与えてるようにみえて、とても気になる。


「嫌々介護してたら」執行猶予つかないの??
「一生懸命子育てしてたら」殺しても執行猶予なの??
嫌々でもなんでも、ちゃんと介護してたら、十分に偉いと思うんだよね。


なんつーか・・・「金を借りないのは偉い」とか「介護にイヤな顔をしないのは偉い」とかいう価値観があって、それが「殺人の罰の質と量」に影響を与えてる気がして、違和感があるちきりんです。

裁かれるべきは「罪の行為」であって、それを犯した人の「生活信条」や「一般的なまじめさ」ではないはず。


★★★


今の生活保護行政はむちゃくちゃで、今後よりいっそうむちゃくちゃになることが確実な折り、こういう「人間的な」判決がでることは「心温まるお話」なんだろうとは思います。

それに、この人は本当に「かわいそう」な状況だったと思います。しかしながら、今回の判決はやっぱり“なんだかね”と思えます。

「親からずっと虐待を受けていた」とか「愛情に飢えていた」とか言う理由で、重大な犯罪を起こした少年に「情状酌量」を求めるのも同じです。

確かに加害者も、別の面では被害者かもしれない。かわいそうかもしれない。しかし、だから犯した罪は罰さない、というのは、それでいいのか?

介護殺人に「お墨付きを与える」ような結果にならないことを祈りたい。



ではまた明日


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